Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

北条高時の偏諱

相馬高胤

相馬 高胤(そうま たかたね、1315年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将、下総相馬氏当主。通称は小次郎。 相馬氏の系図上では確認できない人物だが、次の史料により実在が確かめられる。 【史料A】元弘4(1334=建武元)年正月付「…

足利高義

足利 高義(あしかが たかよし、1297年~1317年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。足利貞氏の長男で最初の嫡子。母は北条(金沢)顕時の娘・釈迦堂殿とされる。足利尊氏・足利直義の異母兄にあたり、子に足利安芸守、田摩御坊源淋、女子(上杉朝定室)、女子…

五大院高繁

五大院 高繁(ごだいいん たかしげ、1304年頃?~1333年カ)は、鎌倉時代後期の武士、御内人(得宗被官)。実際の史料で確認できる通称は五大院右衛門太郎。妹は北条高時の側室・常葉前(ときわのまえ)。 生年と烏帽子親の推定 高繁の最期 五大院氏について 脚…

普音寺高基

北条 高基(ほうじょう たかもと、1316年頃?~1333年)は鎌倉時代末期の武将。普音寺流北条氏の一門。第13代執権・北条基時(普音寺基時)の子で、普音寺高基/普恩寺高基(ふおんじ ー)とも呼ばれる。 まずは次の史料をご覧いただきたい。 【史料1】 (年…

摂津高親

摂津 高親(つ の たかちか*1、1306年頃?~1333年)は、鎌倉時代末期の武士・吏僚、得宗被官(御内人)。摂津親鑒の嫡男。官途は宮内大輔。 史料上における摂津高親 高親の子・摂津時親 摂津氏歴代の任官年齢 北条高時の烏帽子子 脚注 史料上における摂津高…

戸次高貞

戸次 高貞(べっき/へつぎ たかさだ、1305年頃?~没年不詳(1320年代後半?))は、鎌倉時代後期の武将、御家人。大友氏の一門・戸次氏の人物。 【表1】各系図類における戸次氏嫡流の記載内容(烏帽子親に関する情報を中心に)*1 上表に示した通り、高貞が元…

葦名高盛

葦名 高盛(あしな たかもり、1318年~1335年)は、鎌倉時代末期の武将。 葦名盛貞(盛員とも)の最初の嫡男。蘆名高盛、芦名高盛とも書く。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 【史料A】『会津四家合全』黒川小田山城主佐原十郎義連家系之事*1 より一部抜粋 …

安藤高季

安藤 高季(あんどう たかすえ、1315年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての陸奥国の武将、御内人。幼名は犬法師。通称は安藤五郎太郎。父は安藤宗季。 北条高時の烏帽子子 安藤師季 脚注 北条高時の烏帽子子 【史料1】正中2(1325)年9月…

六角時信

佐々木 時信(ささき ときのぶ、1306年~1346年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。のちの六角氏となる家系に生まれ、六角時信(ろっかく ー)とも呼ばれる。父は佐々木頼綱(六角頼綱)。 『尊卑分脈』*1での注記は次の通りである。 …

畠山高国

畠山 高国(はたけやま たかくに、1305年~1351年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人、守護大名。 『尊卑分脈』での注記には「観応二二十二於奥刕(=奥州)為貞家被討四十七才」(=観応2(1351)年2月12日、奥州にて吉良貞家に討たれ、…

京極高氏

佐々木 高氏(ささき たかうじ、1296年~1373年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将、御家人、守護大名。 京極流佐々木宗氏の子。母は佐々木宗綱の娘(貞宗の姉)。 父・宗氏を介して母方の叔父・貞宗の京極流惣領の座を継ぎ、京極高氏(きょうご…

大仏高直

北条 高直(ほうじょう たかなお、1316年頃?~1334年)は、鎌倉時代末期の武将・御家人。 大仏流北条維貞の子で、大仏 高直(おさらぎ ー)とも呼ばれる。 元弘の変における高直 "陸奥右馬権助"高直 生年と烏帽子親の推定 高直の刑死 参考ページ 脚注 元弘の…

武石高広

武石 高広(たけいし たかひろ、1297年~1339年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。 実際の史料上では確認できないが、「千葉大系図」によると、通称は四郎、暦応2(1339)年5月22日の和泉国石津の戦いで高師直の軍勢に敗れ、大将の北畠…

長井高広

長井 高広(ながい たかひろ、旧字:長井髙廣、1305年頃?~没年不詳(1352年以後)) は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての人物、御家人。長井氏の庶流、六波羅評定衆家(泰重流)の当主。 官途は左近大夫将監、縫殿頭。法名は高阿(こうあ)か。 はじめ…

塩冶高貞

佐々木 高貞(ささき たかさだ、生年不詳(1300年代後半?)~1341年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武士、御家人。塩冶高貞(えんや ー、旧字体:鹽冶髙貞)とも。 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちらの記事▲で父・佐々木貞清が1280年代後半…

佐々木清高

佐々木 清高(ささき きよたか、1295年~1333年)は、鎌倉時代後期から末期にかけての武将、御家人。隠岐清高(おき ー)とも*1 。 父は佐々木宗清、母は佐々木宗綱(京極宗綱)の娘*2。妻は太田時連の娘(『続群書類従』所収系図・『諸家系図纂』所収「佐々…

常葉重高

北条 重高(ほうじょう しげたか、1312年頃?~1333年5月22日?)は、鎌倉時代後期~末期の武将、御家人。北条氏一門、常葉流北条範貞の子で、常葉重高とも。通称(輩行名)は三郎(越後三郎 → 駿河三郎?)。 「正宗寺本 北条系図」での記載について 重高の年…

大仏高宣

北条 高宣(ほうじょう たかのぶ、1305年頃?~1328年)は、鎌倉時代末期の北条氏一門。大仏流北条維貞の子で、大仏高宣(おさらぎ ―)とも呼ばれる。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 以下本稿では、これまで未詳とされてきた高宣の生年や烏帽子親の推定を…

安達高茂

安達 高茂(あだち たかしげ / たかもち、1305年頃?~1333年)は、鎌倉時代末期の武将、御家人。名は安達高義(ー たかよし)とも。官途は美濃守。 各史料での安達高茂とその最期 高茂の世代と烏帽子親の推定 脚注 各史料での安達高茂とその最期 ▲【図A】『…

安達顕高

安達 顕高(あだち あきたか、1310年頃?~1333年)は、鎌倉時代末期の武将、御家人。通称(官途)は式部大夫。『尊卑分脈』によれば、安達時顕(法名:延明)の子で安達高景の弟。 ▲(吉川弘文館より刊行の、国史大系本『尊卑分脉』第二巻より) 実名に着目…

安達高景

安達 高景(あだち たかかげ、1302年頃?~1333年)は、鎌倉時代後期から末期にかけての武将、御家人。安達時顕の嫡男。通称(官途)は讃岐権守、秋田城介。 はじめに:主な活動歴 高景の讃岐権守任官と世代の推定 高景の名乗りと北条高時 「秋田城介安達高景…

小山秀朝

小山 秀朝(おやま ひでとも、1306年頃?~1335年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初頭にかけての武将。 初めは得宗・北条高時の偏諱を受けて小山高朝(- たかとも)と名乗っていた。 小山秀朝の最期 小山秀朝の系図上での位置 小山秀朝の活動 ―鎌倉幕府滅亡…

【特集】得宗被官・長崎氏

今月主体的に扱ったのは、鎌倉時代後期に御内人(得宗被官)の筆頭格として著名な長崎氏である。 その中でも北条高時政権期に安達時顕と双璧を成す形で事実上の最高権力者であった長崎円喜(えんき)は、北条時宗の死後、その子・貞時の内管領として安達泰盛一…

【論稿】『金沢文庫古文書』324号「金沢貞顕書状」の年月日比定 について

はじめに 書状中の人物の比定 (1)書状の筆者と寄合衆のメンバー (2)期間の絞り込み (3)奥州・武州・相州 (4)他人物の比定① (5)他人物の比定② :「長入道」「長崎左衛門」 (6)貞顕の鎌倉下向時期 (7)他人物の比定③ :「武州」 書かれた…

長崎高重

長崎 高重(ながさき たかしげ)は、鎌倉時代末期の武将・得宗被官。通称は次郎。 長崎高重の活動とその系譜 「高重」の名乗りと実父についての考察 長崎流における通称名 長崎氏嫡流の名乗りと平資盛後胤説 高重と北条高時の烏帽子親子関係 系譜についての…

名越高家

北条 高家(ほうじょう たかいえ)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 北条朝時を祖とする名越流北条氏、同時代に2名実在が確認され、ともに名越高家(なごえ ー)とも呼ばれる。 名越時家の子。鎌倉時代末期に名越流嫡流の当主を務めた。本項で中心的に扱う…

足利尊氏

足利 尊氏(あしかが たかうじ、1305年~1358年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。初めは鎌倉幕府の御家人で 足利高氏(読み同じ)を名乗っていた。のち室町幕府の初代征夷大将軍。 父は足利貞氏。母は上杉頼重の娘・清子。 ▲伝足利尊氏像(浄土寺蔵…

【論稿】北条高時滅亡後の改名現象・補

備考: 改名を行った家柄について 足利氏一門 三浦氏一族 千葉氏 武田氏 小笠原氏 佐々木氏一門 伊東氏 その他の氏族 総括 脚注 前回記事では、鎌倉幕府滅亡後、最後の得宗(鎌倉幕府第14代執権)であった北条高時からの偏諱「高」を棄てる形で改名する御家…

【論稿】北条高時滅亡後の改名現象

historyofjapan-henki.hateblo.jp ▲前回記事では、江戸幕府滅亡後の改名事例を取り扱った。 本項では、鎌倉幕府滅亡後の改名現象について紹介する。 [目次] はじめに ―二階堂氏の改名現象を例に― 〔史料A〕補注 高時滅亡後の改名現象 〔表C〕補注 改名の理…

斯波家兼

斯波 家兼(しば いえかね、1308年~1356年6月13日)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。 活動の詳細については 斯波家兼 - Wikipedia を参照。本項では名乗りに関する考察を述べたいと思う。 改名の時期と理由 historyofjapan-henki.hateblo.jp…