Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

和田朝盛

和田 朝盛(わだ とももり、生年不詳(1180年代後半?)~1227年?)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将・御家人。和田常盛(つねもり)の嫡男で、和田義盛の孫にあたる。通称は三郎、新兵衛尉。法名は実阿弥陀仏、高円坊。 はじめに:和田氏における元服お…

阿野時元

阿野 時元(あの ときもと、1190年頃?~1219年)は、鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の異母弟である阿野全成(1153-1203)と北条時政の娘・阿波局の子。子に阿野義継(よしつぐ、又三郎)。通称は阿野三郎、阿野冠者。 ▲【図1】『尊卑分脈』より*…

平賀朝雅

平賀 朝雅(ひらが ともまさ、1182年~1205年)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての鎌倉幕府の御家人。父は平賀義信。母は源頼朝の乳母・比企尼の三女。妻は北条時政と牧の方の娘。名の表記は平賀朝政とも。 詳細な生涯や事績については ● 平賀朝雅 -…

小山貞宗

小山 貞宗(おやま さだむね、1290年頃?~没年不詳(1310年代?))は、鎌倉時代後期の武将、御家人。父は小山宗朝。子に小山政秀(藤井政秀)。 貞宗の名は『尊卑分脈』上で確認ができる。 ▲【系図α】『尊卑分脈』小山氏系図(一部抜粋)*1 しかし、他の史料…

小山宗朝

小山 宗朝(おやま むねとも、1270年頃?~没年不詳(1336年以前))は、鎌倉時代後期の武将、御家人。父は小山時朝(時村)。子には小山貞宗と娘が一人。通称は出羽守(および 出羽前司、出羽入道)。法名は円阿(えんあ)か。 史料における小山宗朝 生年と烏…

小山時村

小山 時村(おやま ときむら、生年不詳(1245年頃?)~没年不詳)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。初名は小山時朝(- ときとも)。通称は四郎(出羽四郎)。官途は左衛門尉か。 父は小山長村。弟に小山時長。子に小山宗朝、女子(結城時広…

結城朝光

結城 朝光(ゆうき ともみつ、1168年~1254年)は、平安時代末期から鎌倉時代中期にかけての武将、御家人。下総結城氏初代当主。 父は藤原北家・藤原秀郷流の小山政光。 母は八田宗綱の娘・寒河尼。 幼名は一万丸、初名は小山宗朝(おやま むねとも)。通称…

葛西時清

葛西 時清(かさい とききよ、1215年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代前期~中期の武将、御家人。葛西氏宗家第3代当主。通称および官途は 小三郎、三郎、左衛門尉。 父は葛西清親。弟に葛西光清。子に葛西清経、女子(長尾景茂室、景忠母)*1。 "伯耆三郎左衛門…

葛西清経

葛西 清経(かさい きよつね、1235年~1287年)は、鎌倉時代中期~後期の武将、御家人。葛西氏宗家第4代当主。通称および官途は 三郎、左衛門尉(伯耆新左衛門尉)。法名は経蓮(きょうれん)か。父は葛西時清。妻は尼・仏心。子には、女子(富安三郎〈北条時嗣…

江間頼時

江間 頼時(えま よりとき、1183年〜1242年)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。江間小四郎義時(北条義時)の長男。母は阿波局*1。幼名は金剛(こんごう)。通称(仮名)は太郎。表記は「江馬」とも。北条頼時(ほうじょう -)とも呼ばれる。 のちに北条泰時(…

北条時連

北条 時連(ほうじょう ときつら、1175年〜1240年)は、鎌倉時代前期の武将。北条時政の3男で、北条政子・北条(江間)義時の異母弟。北条(大仏)朝直らの父。鎌倉幕府初代連署。仮名は五郎。 本項では、後に北条時房(- ときふさ)と改名するまでを扱う。 次の…

河越泰重

河越 泰重(かわごえ やすしげ、生年不詳(1210年代?)~1246年頃?)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武蔵国河越館の武将、鎌倉幕府御家人。通称および官途は 次郎、掃部助。河越重時の嫡男。子に河越経重。 泰重の活動について 生年と元服についての考察…

河越経重

河越 経重(かわごえ つねしげ、1230年頃?~1285年頃?)は、鎌倉時代中期の武蔵国河越館の武将、鎌倉幕府御家人。通称および官途は 次郎、遠江権守。苗字の表記は「川越(川越経重)」とも。 河越泰重の嫡男。子に河越宗重、河越貞重。 historyofjapan-henki…

葛西高清

葛西 高清(かさい たかきよ、1312年~1365年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代前期にかけての武将。 系図類によると、葛西貞清の長男。母は長崎円喜の娘。通称および官途は 八郎、左衛門尉、陸奥守、因幡守 と伝わる。 まず、次の系図2種を見ておきたい。 …

葛西貞清

葛西 貞清(かさい さだきよ、1291年~1324年)は、鎌倉時代後期の武将。通称および官途は 又太郎、左衛門尉。法名は道西。 系図によると、父は葛西清信(千葉頼胤の子で葛西清時の養嗣子、初名: 胤信)、母は本間景隆(山城守)の娘と伝わる。 まずは、次の…

【論稿】鎌倉時代末期の安達氏一族 -師顕と師景-

本項では、鎌倉時代末期に現れる安達氏一族について紹介したいと思う。 まずは、扱う史料3点を年代順に挙げておこう。 ●【史料A】(正和4(1315)年3月)「施薬院使・丹波長周注進状」(『公衡公記』同月16日条)*1:同月8日、鎌倉で起きた火事の被災者の中に「…

摂津親鑒

摂津 親鑑(つ の ちかあき [ちかみ]、1270年代後半?(1280年頃?)~1333年、旧字体表記:攝津親鑒)は、鎌倉時代後期から末期の武士・吏僚、得宗被官(御内人)。官途は隼人正、刑部権大輔。官位は正五位下。法名は道準(どうじゅん)。 父は摂津親致。子に摂…

北条義時

北条 義時(ほうじょう よしとき、1163年~1224年)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士。鎌倉幕府第2代執権。 北条時政の次男。母は伊東入道(=祐親か)の娘と伝わる(『前田本平氏系図』)*1。通称および官途は 江間小四郎、相模守、右京権大…

北条貞村

北条 貞村(ほうじょう さだむら、1270年代?~1305年)は、鎌倉時代後期の武将、北条氏一門。政村流北条氏・北条時村の子。 細川重男氏の研究*1によれば、嘉元3(1305)年4月23日子の刻に、得宗・北条貞時(副将軍*2・前執権、法名:崇演)の「仰」と号する(『保…

北条時益

北条 時益(ほうじょう ときます、1301年カ?~1333年)は、鎌倉時代末期の武将、北条氏一門。鎌倉幕府最後の六波羅探題南方。北条氏政村流・北条時敦の嫡男。兄弟に親雅(しんが)*1がいる。主な通称および官途は、左近将監、越後(左近)大夫将監。 生年の推定 …

桑原高近

桑原 高近(くわはら / くわばら たかちか、生年不詳(1300年代?)~没年不詳(1333年以前?))は、鎌倉時代末期の武将、得宗被官。通称は桑原新左衛門尉。 まず、高近については、元亨3(1323)年10月の故・北条貞時13年忌法要について記録された『北條貞時十…

塩飽高遠

塩飽 高遠(しわく*1 たかとお、生年不詳(1300年代?)~没年不詳(1333年以前?))は、鎌倉時代末期の武将、得宗被官。通称は藤次。 「遠」字の共通からして塩飽聖遠(新左近入道、俗名不詳)や塩飽盛遠(右近将監、右近入道了暁)らと同族とみて良いと思わ…

塩飽盛遠

塩飽 盛遠(しわく*1 もりとお、生没年不詳)は、鎌倉時代後期の得宗被官。官途は右近将監。 尚、出家後の同人と思われる塩飽了暁(― りょうぎょう、右近入道)についても本項で扱う。 はじめに 得宗家公文所職員としての活動と政治的立場 了暁の俗名につい…

三浦貞連 (甲斐六郎左衛門尉)

三浦 貞連(みうら さだつら、生没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。甲斐一条氏・武田時信(一条時信)の子で、三浦行連(佐原行連、甲斐守)の養子。通称は(三浦)甲斐六郎左衛門尉。 元亨3(1323)年10月27日の故・北条貞時(鎌倉幕府第9代執権)13年忌…

三浦貞連 (因幡守)

三浦 貞連(みうら さだつら、1290年頃?~1336年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。 「横須賀系図」(『諸家系図纂』11上所収)*1などによると、父は三浦時明(安芸守)、母は同族・大多和行秀の娘。初名は三浦貞明(さだあき)。通称…

山河貞重

山河 貞重(やまかわ さだしげ、生年不詳(1270年代?)~没年不詳(1320年代後半?))は、鎌倉時代後期の武将、御家人。表記は山川貞重とも。父は山河重義(山川重義)、母は網戸朝村(あじと ともむら/十郎、法名:蓮忍)の娘。結城朝光は父方・母方双方で…

京極貞氏

佐々木 貞氏(ささき さだうじ、1290年頃?~1355年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。 京極流佐々木宗氏の子*1。母は佐々木宗綱の娘(貞宗の姉)。京極貞氏(きょうごく ー)、鏡貞氏(かがみ ー)とも呼ばれる。息子に鏡高治、長岡貞高、伊…

武田貞信

武田 貞信(たけだ さだのぶ、生年不詳(1270年代?)~1347年カ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。武田政綱を祖とする石和流武田氏の第3代当主。父は武田信家(宗信)。妻は安藤左衛門入道の娘か。子に武田政義・武田貞政。通称は三郎。官途は…

武田信宗

武田 信宗(たけだ のぶむね、1269年~1330年)は、鎌倉時代の武将、御家人。甲斐源氏武田氏第6代当主。父は武田時綱、母は名越朝時の娘と伝わる。通称は孫六。 北条時宗の烏帽子子 流浪時代の信宗(伝承) 没年について 脚注 (*画像は 武田家伝来の遺品 …

武田宗信

武田 宗信(たけだ むねのぶ、生年不詳(1250年代?)~1326年カ)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。父は武田政綱。子に武田貞信。『尊卑分脈』によれば、通称および官途は 石禾三郎、伊豆守。別名(初名か)は武田信家(のぶいえ)。 historyo…