小山時長
小山 時長(おやま ときなが、1246年~1276年)は、鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府の御家人。
通称は五郎、左衛門尉、下野大掾。父は小山長村、母は海東忠成の娘。(以上『尊卑分脈』より)
『鎌倉大日記』建治二年の項に「五月小山判官時長卒、三十一歳」*1とあり、文永6(1269)年に父・長村が53歳で逝去(同じく『鎌倉大日記』より)してから十年も経たないうちの早世であった。逆算すると1246年生まれとなる。
但し、『吾妻鏡』では建長4(1252)年7月23日条に「小山五郎左衛門尉時長」の記載が見られ、当時数え年7歳で元服済みの上、左衛門尉に任官していたとは考えにくいので、生年については再検討を要するところである。
ただ、父・長村との関係を考えれば、現実的に考えて1237年以後の生まれであろうから、いずれにせよ、「時」の字は元服の頃の執権であった北条時頼(在職:1246~1256年)からの偏諱と考えられる*2。
正嘉2(1258)年には、姉または妹(長村の娘)が時頼の子・時輔(当時は時利、11歳)に嫁いでおり*3、烏帽子親子関係を結ぶことになった経緯と関係があるのかもしれない。時長の系統はその後も、宗長―貞朝―高朝と、得宗からの偏諱を受けるようになった*4。
脚注
*1:『続群書類従』所収「小山系図」でも時長の注記に「建治二年五月卒。三十一歳。」とある。
*2:紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」(『中央史学』二、1979年)P.15。市村高男「鎌倉期成立の「結城系図」二本に関する基礎的考察 -系図研究の視点と方法の探求-」(所収:峰岸純夫・入間田宣夫・白根靖大 編『中世武家系図の史料論』上巻 高志書院、2007年)P.96~97。松本一夫 「総論 − 小山氏研究の成果と課題」(所収:松本一夫 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第六巻 下野小山氏』(戎光祥出版、2012年))P.13。
*3:高橋慎一朗『北条時頼』〈人物叢書〉(吉川弘文館、2013年)P.159。典拠は『吾妻鏡』正嘉2年4月25日条。
*4:注1同箇所。