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偏諱に関するコラムを綴る。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。鎌倉幕府御家人などの名前に着目し、誰から1字を貰ったかについての個人的な見解も論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

小山時長

小山 時長(おやま ときなが、1246年~1276年5月)は、鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府御家人

 

通称は左衛門五郎。下野大掾。父は小山長村、母は刑部少甫忠成(=大江広元の子・海東忠成)の娘。(以上『尊卑分脈』より)

 

『鎌倉大日記』建治二年の項に「五月小山判官時長卒、三十一歳」*1とあり、文永6(1269)年に父・長村が53歳で逝去(同じく『鎌倉大日記』より)してから十年も経たないうちの早世であった。

 

逆算すると1246年生まれとなり、「」の字は元服の頃の執権であった北条頼からの偏諱と考えられる*2元服と近い時期と思われる正嘉2(1258)年には、姉または妹(長村の娘)が時頼の子・時輔(当時は時利)に嫁いでおり*3、烏帽子親子関係を結ぶことになった経緯と関係があるのかもしれない。時長の系統はその後も、長―朝―朝と、得宗からの偏諱を受けるようになった*4

 

脚注

*1:続群書類従』所収「小山系図」でも時長の注記に「建治二年五月卒。三十一歳。」とある。

*2:紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」(『中央史学』二、1979年)P.15。市村高男「鎌倉期成立の「結城系図」二本に関する基礎的考察 -系図研究の視点と方法の探求-」(所収:峰岸純夫・入間田宣夫・白根靖大 編『中世武家系図の史料論』上巻 高志書院、2007年)P.96~97。松本一夫 「総論 − 小山氏研究の成果と課題」(所収:松本一夫 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第六巻 下野小山氏』(戎光祥出版、2012年))P.13。

*3:高橋慎一朗『北条時頼』〈人物叢書〉(吉川弘文館、2013年)P.159。典拠は『吾妻鏡』正嘉2年4月25日条。

*4:注1同箇所。