【コラム】明治維新期の改名現象
今年2018年(本項執筆当時)で、明治新政府が出来てから150年が経ちました。
江戸時代には、主に外様大名が徳川将軍に拝謁し、その偏諱を賜るということが慣例的に行われていましたが、江戸幕府滅亡後、それを改める者もいました。
まとめると以下の通りで、いずれも明治維新期に入ってからの改名でした。
藩 | 改名前 | 改名後 |
---|---|---|
安芸広島 | 浅野茂長 | 長訓 |
浅野茂勲 | 長勲 | |
筑後久留米 | 有馬慶頼 | 頼咸 |
筑前福岡 | 黒田斉溥 | 長溥 |
黒田慶賛 | 長知 | |
薩摩 | 島津茂久 | 忠義 |
肥前佐賀 | 鍋島斉正 | 直正 |
鍋島茂実 | 直大 | |
肥後熊本 | 細川慶順 | 韶邦 |
細川喜廷 | 護久 | |
※長州 | 毛利慶親 | 敬親 |
毛利定広 | 広封→元徳 |
※長州藩主は、禁門の変(1864年)により徳川将軍からの偏諱を剥奪されたが故の改名である。
〈徳川将軍〉 ⑪家斉 ⑫家慶 ⑬家定 ⑭家茂 ⑮慶喜