Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

大仏宗宣

北条 宗宣(ほうじょう むねのぶ、1259年~1312年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人、北条氏一門。鎌倉幕府第11代執権。

大仏流北条宣時の子で、大仏宗宣(おさらぎ ―)とも呼ばれる。

 

主な活動内容・人物についての詳細は

北条宗宣 - Wikipedia

を参照のこと。 

 

以下、本稿では名乗りに関する内容を記す。

 

細川重男の研究によれば、生年は正元元(1259)年である*1。 従って、紺戸淳の考証方法*2に従うと元服の年次は1268~1273年頃と推定できる

」の名乗りは、「宣」が父・時からの継字であるのに対し、一方の「」は烏帽子親からの一字拝領と考えられる。言うまでもなく、当時の得宗(第8代執権)・北条時からの偏諱であろう。

以降「宣―(のち維貞)宣」は「時時―時」と代々得宗と烏帽子親子関係を結ぶこととなった*3

 

(参考記事:宗宣以降の大仏流当主) 

historyofjapan-henki.hateblo.jp

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脚注 

*1:細川重男『鎌倉政権得宗専制論』(吉川弘文館、2000年)巻末「鎌倉政権上級職員表」(基礎表)No.72「大仏宗宣」の項 より。

*2:紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」(『中央史学』二、1979年)。元服の年齢を数え10~15歳と仮定した場合。

*3:前注紺戸氏論文 P.15系図・P.21、および 山野龍太郎「鎌倉期武士社会における烏帽子親子関係」(所収:山本隆志 編『日本中世政治文化論の射程』、思文閣出版、2012年 )P.182 脚注(27)。