Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

名越朝時

北条 朝時(ほうじょう ともとき、1194年~1245年)は、鎌倉時代前期の武将、御家人鎌倉幕府第2代執権・北条義時の次男。名越流北条氏の祖で名越朝時(なごえ ー)とも呼ばれる。

 

朝時については『吾妻鏡』に元服の記事がある。 

【史料】『吾妻鏡』建永元(1206)年10月24日条*1

建永元年十月大廿四日辛未。相州二男 年十三 於御所元服。号次郎朝時。 

記載は、相州(相模守)=執権・北条義時の次男(13) が御所に於いて元服したという、実に簡素なものであるが、ここでいう「御所」は幕府御所で良いだろう*2。当然ながら、当時の将軍・源実が立ち会っていたことは想像の範囲内であり、「」と名乗っていることから、その偏諱」が許されたものと考えられる。実朝自らが加冠役を務めて名前の一字を下賜したのであろう*3

但し、後にこの源実朝の勘気を蒙ることとなり一時謹慎処分を受けている。

 

以降の生涯・活動内容についての詳細や経歴については

 北条朝時 - Wikipedia

 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その18-名越朝時 | 日本中世史を楽しむ♪

を参照のこと。

 

脚注

*1:『吾妻鏡』より。

*2:山野龍太郎「鎌倉期武士社会における烏帽子親子関係」(所収:山本隆志 編『日本中世政治文化論の射程』, 思文閣出版、2012年)P.168

*3:前注山野氏論文、P.164 表1。今野慶信「鎌倉武家社会における元服儀礼の確立と変質」(所収:『駒沢女子大学 研究紀要 第24号』、2017年)P.46。