Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

佐介貞資

北条 貞資(ほうじょう さだすけ、1283年頃?~13??年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人歌人。北条氏一門・佐介流の一族で、佐介貞資(さすけ ー)とも呼ばれる。

 

 

系図類での記載について

尊卑分脈(以下『分脈』)『前田本平氏系図(以下『前田本』)『諸家系図纂』所収「北条系図(以下『系図纂』)続群書類従』所収「北条系図(以下『類従』)では、佐介流北条時国 (旧字:時國/1263-1284) の子、北条時元の弟として掲載される。

 

『前田本』では「式部大輔 従五位下*1、『系図纂』『類従』では「備前守 続千作者」と注記される*2。「続千作者」の記載は『分脈』にも見られ、実際『続千載和歌集』には次の和歌が収録されている。

片敷の 袖のみぬれて いたづらに 見し夜の夢は 又も結ばず*3

 平 貞資 *4

 

次節以降では、判明している父・時国の年代から、貞資の世代推定を試みたいと思う。

 

父・佐介時国の流刑とその息子たち

第8代執権・北条時宗が弘安7(1284)年4月に亡くなってから間もない6月、佐介時国が「悪行」を起こしたことを理由に六波羅探題南方を罷免の上で流罪となり、その数ヶ月後に亡くなるという事件が起きた。これについて各史料での記載に若干の違いはある*5ものの、配流先の常陸国で幕府からの討伐軍に追い詰められ自害したとみるのが正しいのではないかと思う。

同じ頃、8月に時国の伯父・佐介時光が謀反の罪を問われて佐渡国に配流された事件と共に、佐介流北条氏の没落を象徴する出来事であり、先行研究では、婚姻関係を通じた安達泰盛の与党として捉え、翌年の霜月騒動の前哨戦として、内管領平頼綱派による泰盛派への攻撃とする見解もある*6。 

 

六波羅守護次第』によると、事件当時の時国の享年は「廿二歳云々」(=22歳)であったといい*7、その息子たちはまだ幼少であったとみるべきであろう。配流先で子供をもうけたとは考えにくいので、1282~1283年頃には生まれていた(…【X】)のではないかと思われる。

 

北条貞時の烏帽子子

時宗が亡くなった後は、その嫡男・北条得宗および執権職(第9代)を継いでいた。実名の「」はその偏諱を許されたものと見受けられるが、前述【X】に基づけば1290年代の元服が確実となるので、貞時が烏帽子親を務めたと考えて良いだろう。

時国亡き後、その息子たちの面倒を見られるのはひとまずその母親であろうが、この一家は得宗家の庇護下に置かれたのであろう。

 

時国の事件が影響しているのか、頻繁に表立って活動した形跡は見られないが、元亨3(1323)年10月27日の北条貞時13年忌法要について記された『北條貞時十三年忌供養記(『円覚寺文書』)*8において、「砂金五十両 銀剣一」を献上した人物として記載の「佐介備前〻司殿*9は、冒頭に掲げた『系図纂』・『類従』での注記から貞資に比定されており*10、貞時との関係性を窺わせる(各種系図類で見ても佐介流で「備前守」に任官した人物は他に見当たらない)。前述【X】に基づけば、1323年当時40歳くらいとなるので、備前守を辞した後の年齢としては妥当ではないかと思う。

尚、この法要では兄・佐介時元に比定される「佐介土佐前司殿*11も「砂金卅両 銀劔〔銀剣〕一」を献上しており、時元・貞資兄弟のこの頃までの生存は確認できる。

 

脚注

*1:細川重男『鎌倉政権得宗専制論』(吉川弘文館、2000年)P.378。

*2:『諸家系図纂』所収「北条系図」続群書類従 6上(系図部) - Google ブックス より。

*3:国歌大観 : 五句索引. 歌集部 - 国立国会図書館デジタルコレクション より。

*4:北条氏は桓武平氏平維時の末裔を称する平姓の一族である(『尊卑分脈』など)。

*5:北条時国 - Wikipedia 参照。

*6:前注に同じ。

*7:熊谷隆之「<研究ノート>六波羅探題任免小考 : 『六波羅守護次第』の紹介とあわせて」(所収:京都大学文学部内・史学研究会編『史林』第86巻第6号)P.102(866) 参照。

*8:『神奈川県史 資料編2 古代・中世』二三六四号。同書については以下、『神県史 資2』と略記する。

*9:『神県史 資2』P.708。「備前前司」は前備前守の意。

*10:注1前掲細川氏著書 P.50 注(26)。佐介流時盛系時員派北条氏 #北条貞資

*11:注1前掲細川氏著書 前注同箇所、および『神県史 資2』P.710。『分脈』『系図纂』『類従』等で時元の傍注に「土佐守」の記載がある。