武田信時
武田 信時(たけだ のぶとき、1220年~1289年)は、鎌倉時代前~中期の武将。甲斐武田氏第4代当主。父は武田信政。子に武田時綱。通称は武田五郎次郎。
● 寛喜元(1229)年元服:北条泰時<烏帽子親>→ 武田信時
(父・信政までの)先例に因(ちな)んで名(の1字=偏諱)を請い、故に名を「信時」と号した。
historyofjapan-henki.hateblo.jp
元服から8年後にあたる『吾妻鏡』嘉禎3(1237)年6月23日条に「武田五郎次郎信時」として初めて現れるので、【史料】での元服の年月日に問題はないだろう。『吾妻鏡』では1238年・1240年にも「武田五郎次郎」として計3回登場する*2。通称名は「武田(小)五郎信政」の「次郎(次男)」を表すものであり、夭折した長兄がいたのかもしれない。
出典
*1:系図綜覧. 第一 - 国立国会図書館デジタルコレクション より。高野賢彦『安芸・若狭武田一族』(新人物往来社、2006年)P.48 でも言及あり。
*2:武田信時 - Wikipedia より。