Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

京極時綱

佐々木 時綱(ささき ときつな、生年不詳(1270年代前半?)~没年不詳(1290年頃?))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。 京極流佐々木氏の嫡子で、京極時綱(きょうごく ー)とも呼ばれる。

 

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尊卑分脈』には「右〔または左〕門尉」、「先父早世 十七才(※年齢は数え年、以下同様)と注記されるのみである*1。これだけでは具体的な生没年を明らかにすることは出来ない。

 

"父に先立って早世した" とあり、父・宗綱の項には「永仁五九廿死五十才*2とあるので、亡くなったのが永仁5(1297)年9月20日より前であったことは確実となる。また逆算すると宗綱が宝治2(1248)年生まれであることも分かる*3ので、現実的な親子の年齢差を考えると、時綱の生年は早くとも1268年頃のはずである

一方で、前述した通り 時綱の享年は17と明らかにされているから、父と同年の死去の場合だと1281年生まれということになる。 従って、時綱は1268~1281年の間に生まれたということになる

 

次に考えたいのが実名である。「綱」の「」は鎌倉幕府執権・北条氏の通字であり、一方の「綱」が父・宗綱から継承したものであることを踏まえても、北条氏から使用を認められたものと考えられる。確実とみられるものでも、京極氏では伯父(宗綱の長兄)、時綱より後にも弟のやその甥(姉の息子)にあたる氏・佐々木導誉兄弟が北条氏得宗家から一字を拝領している。

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尊卑分脈』等の系図類で確認できる宗綱の男子は、祐信・時綱・貞宗である。

長男の祐信は「不孝」のため嫡子には定められなかったが、得宗や父からの1字を受けていない(但し「信」は祖父・氏信に由来)こと、父と同じ「四郎」を称したものの、2人の弟が「二郎」「三郎」を名乗っていることからも窺える。

三男・宗は、父・宗綱が亡くなった当時まだ11歳であったが、兄・時綱が既に亡くなっていたので嫡子であったことは間違いなく、北条時の偏諱を受けたのもそれ故と考えられる。或いは宗綱の死に伴って急遽家督を継ぐことになったので、急ぎ元服が行われた可能性も考えられよう。

そしては、祐信に代わって当初の嫡子であったが、貞時の「貞」ではなく「」字を受けていることから、その先代・北条宗の偏諱と判断できよう。前述の1268年から執権職に就いていた時宗は、亡くなる1284年まで務めており*4同年の段階で時綱は元服の適齢に達していたと考えられる。従って、時綱の生年は1268年~1270年代前半であろう。 

 

 

(参考資料)

① 新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集. 9 - 国立国会図書館デジタルコレクション

② 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その№100-京極宗綱 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男のブログ記事)

 

脚注

*1:資料①より。

*2:資料①・②より。

*3:資料②より。

*4:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その7-北条時宗 | 日本中世史を楽しむ♪ より。