Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

長井泰秀

長井 泰秀(ながい やすひで、1212年~1254年)は、鎌倉時代中期の御家人、幕府官僚。大江泰秀(おおえ ー)とも呼ばれる。

 

【史料】『吾妻鏡』より

建長五年十二月大廿一日乙丑。晴。前甲斐守正五位下大江朝臣泰秀年四十二

この史料により、建長5(1253)年12月21日(西暦では1254年1月11日)に泰秀が42歳(数え年、以下同様)で亡くなったことが分かる。他にも『関東評定衆伝』などで同様の記載が確認でき*1、逆算すると建暦2(1212)年生まれとなる。

この生年に基づくと、元服は通常10~15歳で行われることが多かったので、秀はおよそ1221~1225年の間に元服したと推定され*2、貞応3(1224)年に執権職を継いだ北条*3を烏帽子親としてその偏諱」を賜ったと考えられている*4

 

(参考ページ)

 長井泰秀 - Wikipedia

 長井泰秀(ながい やすひで)とは - コトバンク

 

脚注

*1:『史料稿本』建長五年 P.2~5

*2:紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について―鎌倉幕府御家人の場合―」(所収:『中央史学』第2号、中央史学会、1979年)P.16。

*3:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その3-北条泰時 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男のブログ記事)より。

*4:注2紺戸氏論文 P.15系図、P.16~17。