Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

安達時盛

安達 時盛(あだち ときもり、1241年~1285年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。 

f:id:historyjapan_henki961:20190404004555p:plain

▲【系図A】安達氏略系図*1

 

『関東評定衆伝』建治2(1275)年条にある「城左衛門尉藤原時盛法師秋田城介義景男)」のプロフィール*2によると、弘安8(1285)年6月10日、高野山にて45歳で亡くなったことが分かり(後掲【系図B】にも同様の記載あり)、逆算すると仁治2(1241)年生まれとなる*3。これに基づき、紺戸淳の論考*4に従って元服の年次を推定するとおおよそ1250~1255年となり、鈴木宏のご推測通り、盛の「」は当時の執権・北条(在職:1246年~1256年)を烏帽子親とし、その偏諱を賜ったものであろう*5

吾妻鏡』での初見は、建長2(1250)年正月1日条城九郎泰盛 同四郎時盛」であり*6前年(1249年)に9歳で元服を遂げたものと推測される*7。 

historyofjapan-henki.hateblo.jp

通称名は各々、(当時の)秋田介=安達義景の「九郎(9男 ※ここでは安達氏嫡男代々の仮名で、実際には3男)」「四郎(4男)」の意であり、この頃はまだ泰盛・時盛ともに無官であった。そして、建長8(1256=康元元)年8月23日までこの通称名であったものが、正嘉元(1257)年6月23日条からは「城四郎左衛門尉時盛」となっており*8、この間16~17歳で左衛門尉任官を果たしたことが窺えよう。

吾妻鏡』での終見は、弘長3(1263)年11月22日条。前執権で烏帽子親の時頼法名:道崇)が亡くなった悲しみのあまり、時盛も剃髪(出家)した。前述の『関東評定衆伝』同箇所によると「爐忍」のち「道供」(下記【系図B】では「道」。単純にいずれかが漢字の偏の誤記であろう)と号したという。下記【系図B】では建治2(1276)年の出家とするが、『関東評定衆伝』同箇所により、これは寿福寺に入って隠棲・遁世したことを言っているものであることが分かる。【系図C】(『系図纂要』)では「道供」への改名はこの時と解釈されている。

 

f:id:historyjapan_henki961:20190406014601p:plain

▲【系図B】『尊卑分脈』〈国史大系本〉安達氏系図より一部抜粋

 

f:id:historyjapan_henki961:20190406035908p:plain

▲【系図C】『系図纂要』安達氏系図より一部抜粋

 

『関東評定衆伝』 によると、建治2年の遁世の際に所領は悉(ことごと)く没収され、兄・泰盛や妹・潮音院殿(覚山尼、相模守北条時宗室)らからも「義絶」されたという。これについて福島金治北条時宗執権期において泰盛の立場を強化するにあたり排除されたと解釈されている*9。泰盛に同じく得宗を烏帽子親にしていた時盛は元々準嫡子だったと思われ、泰盛ひいてはその嫡男・宗景を脅かし得る存在だったのかもしれない。

historyofjapan-henki.hateblo.jp

一方、上記各系図に掲載の通り、時盛にはという息子がいたが、弘安8(1285)年の霜月騒動で一族と運命を共にしており、若年であった故か、父・時盛には連座しなかったようである。北条宗から1字を受けたと思われ、伯父・泰盛の庇護下に置かれたのであろう。

 

(参考ページ)

 安達時盛 - Wikipedia

 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その№84-安達時盛 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男のブログ)

 

脚注

*1:湯浅治久『蒙古合戦と鎌倉幕府の滅亡』〈動乱の東国史3〉(吉川弘文館、2012年)P.191 より。

*2:群書類従. 第60-62 - 国立国会図書館デジタルコレクション 参照。

*3:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その№84-安達時盛 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男のブログ)。福島金治『安達泰盛鎌倉幕府 霜月騒動とその周辺』〈有隣新書63〉(有隣堂、2006年)P.67。

*4:紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について鎌倉幕府御家人の場合―」(所収:『中央史学』第2号、中央史学会、1979年)。10~15歳での元服とした場合。

*5:鈴木宏美 「安達一族」(所収:北条氏研究会編『北条時宗の時代』、八木書店、2008年)P.333。

*6:注3前掲福島氏著書 同箇所。御家人制研究会(代表:安田元久)編『吾妻鏡人名索引』(吉川弘文館、[第5刷]1992年)P.198「時盛 安達」の項。

*7:この頃は佐々木(六角)頼綱武田時綱(いずれも北条時頼の烏帽子子)などのように9歳という若さでの元服は珍しくなかった。

*8:注6同箇所。

*9:注3前掲福島氏著書 P.68。