Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

安達貞泰

安達 貞泰(あだち さだやす、1280年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将・御家人

尊卑分脈』によれば、父は安達宗景、母は紙屋河顕氏の娘。通称は陸奥太郎。

f:id:historyjapan_henki961:20190404004555p:plain

▲【系図】安達氏略系図*1

 

historyofjapan-henki.hateblo.jp

こちら▲の記事で紹介した通り、父・宗景については正元元(1259)年生まれと判明しており、現実的な親子の年齢差を考えれば、貞泰の生年は1279年頃よりは後と推測可能である。

但し、宗景は弘安8(1285)年11月の「霜月騒動」で討たれており、この時までに貞泰が生まれたと考えるのが自然であろう。

よって、貞泰の生年は1279~1285年の間と推定される。恐らく1280年代前半の生まれであろう。

 

紺戸淳の論文*2でも述べられている通り、元服は通常10~15歳ほどで行われることが多かったから、およその生年が分かれば元服の年次も推定可能である。

泰の場合、前述の生年に従うと1290年代半ば頃の元服と推測され、その実名は当時の得宗・執権であった北条偏諱を受けたものと考えて良いだろう*3(「泰」は祖父・安達泰盛の1字を取ったものであろう)

 

 

脚注

*1:湯浅治久『蒙古合戦と鎌倉幕府の滅亡』〈動乱の東国史3〉(吉川弘文館、2012年)P.191 より。新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集. 4 - 国立国会図書館デジタルコレクション も参照のこと。

*2:紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について鎌倉幕府御家人の場合―」(所収:『中央史学』第2号、中央史学会、1979年)。10~15歳での元服とした場合。

*3:二本松市史 第1巻 原始・古代・中世・近世 通史編1』(二本松市、1999年)「第3編 中世 Ⅰ 鎌倉時代」 P.233。