安達貞泰
安達 貞泰(あだち さだやす、1280年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将・御家人。
『尊卑分脈』によれば、父は安達宗景、母は紙屋河顕氏の娘。通称は陸奥太郎。
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こちら▲の記事で紹介した通り、父・宗景については正元元(1259)年生まれと判明しており、現実的な親子の年齢差を考えれば、貞泰の生年は1279年頃よりは後と推測可能である。
但し、宗景は弘安8(1285)年11月の「霜月騒動」で討たれており、この時までに貞泰が生まれたと考えるのが自然であろう。
よって、貞泰の生年は1279~1285年の間と推定される。恐らく1280年代前半の生まれであろう。
紺戸淳氏の論文*2でも述べられている通り、元服は通常10~15歳ほどで行われることが多かったから、およその生年が分かれば元服の年次も推定可能である。
貞泰の場合、前述の生年に従うと1290年代半ば頃の元服と推測され、その実名は当時の得宗・執権であった北条貞時の偏諱を受けたものと考えて良いだろう*3(「泰」は祖父・安達泰盛の1字を取ったものであろう)。