Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

畠山高国

畠山 高国(はたけやま たかくに、1305年~1351年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人守護大名。 

 

尊卑分脈』での注記には「観応二二十二於奥刕(=奥州)為貞家被討四十七才(=観応2(1351)年2月12日、奥州にて吉良貞家に討たれ、享年47才)と書かれており*1、逆算すると嘉元3(1305)年生まれと分かる。

これに基づき、紺戸淳の論考*2に従うと、元服の年次はおおよそ1314年~1319年と推定可能で、「国」の名は元服当時の得宗北条(14代執権在職は1316年~1326年)*3が烏帽子親となり、その偏諱を許されたものと考えて良いだろう。

 

(参考ページ)

 畠山高国 - Wikipedia

 畠山高国(はたけやま たかくに)とは - コトバンク

 

脚注

*1:黒板勝美国史大系編修会 編『新訂増補国史大系・尊卑分脉 第3篇』(吉川弘文館)P.270。新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集. 9 - 国立国会図書館デジタルコレクション も参照。尚、高国父子の自害については『大日本史料』6-14 P.724~736の各史料を参照のこと。

*2:紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について―鎌倉幕府御家人の場合―」(所収:『中央史学』第2号、中央史学会、1979年)。元服の年齢を10~15歳とした場合。

*3:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その9-北条高時 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男のブログ)より。