Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

大曽祢長泰

大曽祢 長泰(おおそね ながやす、1211年~1262年)は鎌倉時代前期の武将、御家人安達盛長の次男・時長を始祖とする大曾禰氏の第2代当主。呼称は大曾禰長泰(旧字表記)、大曽根長泰安達長泰とも。

 

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尊卑分脈』によれば、弘長2(1262)年8月12日、52才(数え年、以下同じ)での死去とされ、逆算すると1211年生まれとなる(享年を50と記載する異本もあり*1。ここから元服の年次を推定すると、「(ながやす)」の「」字は、元仁元(1224)年に第3代執権に就任したばかりの北条*2を烏帽子親とし、その偏諱を賜ったものと考えられよう。

吾妻鏡』での初見は、嘉禎元(1235)年6月29日条「大曾禰兵衛尉長泰」。当時25歳となり、兵衛尉任官後としては適齢であろう。

 

(参考ページ)

 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その№93-大曾禰長泰 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男のブログ、以下同様) 

 

脚注