大曽祢長泰
大曽祢 長泰(おおそね ながやす、1211年~1262年)は鎌倉時代前期の武将、御家人。安達盛長の次男・時長を始祖とする大曾禰氏の第2代当主。呼称は大曾禰長泰(旧字表記)、大曽根長泰、安達長泰とも。
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『尊卑分脈』によれば、弘長2(1262)年8月12日、52才(数え年、以下同じ)での死去とされ、逆算すると1211年生まれとなる(享年を50と記載する異本もあり*1)。ここから元服の年次を推定すると、「長泰(ながやす)」の「泰」字は、元仁元(1224)年に第3代執権に就任したばかりの北条泰時*2を烏帽子親とし、その偏諱を賜ったものと考えられよう。
『吾妻鏡』での初見は、嘉禎元(1235)年6月29日条「大曾禰兵衛尉長泰」。当時25歳となり、兵衛尉任官後としては適齢であろう。
(参考ページ)
● 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その№93-大曾禰長泰 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男氏のブログ、以下同様)
脚注
*1:新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集. 4 - 国立国会図書館デジタルコレクション を参照。この場合、1213年の生まれとなる。