Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

六角氏頼

六角 氏頼(ろっかく うじより、1326年~1370年)は、南北朝時代の武将・守護大名。父は六角時信(佐々木時信)佐々木氏頼(ささき ー)とも。

 

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氏頼の名乗り・元服については次の史料が確認できる。 

【史料】『瑞石歴代雑記』より一部抜粋*1

(暦應元年)

十一月十五日、江州観音寺城主、佐々木六角近江守 従五位時信嫡男、母長井宮内少輔時守〔ママ、長井宮内大輔時千〕女也、歳十三、元服加冠尊氏公、乃賜諱字號氏頼、且賜太刀鎧等、依有永補綸旨、即日任左衛門佐、叙従五位下

下線部にある通り、暦応元(1338)年11月15日に時信の嫡男(13歳、近江国観音寺城主)元服を行ったが、足利尊が加冠役(=烏帽子親)を務めたのでその偏諱を受けて「」と命名されたという*2(「頼」は亡き祖父・頼綱の1字を取ったものであろう)。この頃の足利尊氏は同年に征夷大将軍室町幕府初代将軍)となったばかりで、その立場から加冠を務めたと判断され、佐々木哲氏頼が尊氏の猶子になったのではないかと説かれている*3。 上記史料ではこの時太刀・鎧なども与えられ、間もなく叙爵して左衛門佐に任じられたとも伝える。

 

(参考ページ)

 六角氏頼 - Wikipedia

 六角氏頼(ろっかく うじより)とは - コトバンク

 佐々木氏頼(ささき うじより)とは - コトバンク

佐々木氏頼 ー 南北朝列伝

 

脚注

*1:『大日本史料』6-32 P.122

*2:大夫判官氏頼(入道崇永): 佐々木哲学校(佐々木哲のブログ)。

*3:前注同箇所。