六角氏頼
六角 氏頼(ろっかく うじより、1326年~1370年)は、南北朝時代の武将・守護大名。父は六角時信(佐々木時信)。佐々木氏頼(ささき ー)とも。
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氏頼の名乗り・元服については次の史料が確認できる。
【史料】『瑞石歴代雑記』より一部抜粋*1
(暦應元年)
十一月十五日、江州観音寺城主、佐々木六角近江守 従五位時信嫡男、母長井宮内少輔時守〔ママ、長井宮内大輔時千〕女也、歳十三、元服、加冠尊氏公、乃賜諱字號氏頼、且賜太刀鎧等、依有永補綸旨、即日任左衛門佐、叙従五位下、
下線部にある通り、暦応元(1338)年11月15日に時信の嫡男(13歳、近江国観音寺城主)が元服を行ったが、足利尊氏が加冠役(=烏帽子親)を務めたのでその偏諱を受けて「氏頼」と命名されたという*2(「頼」は亡き祖父・頼綱の1字を取ったものであろう)。この頃の足利尊氏は同年に征夷大将軍(室町幕府初代将軍)となったばかりで、その立場から加冠を務めたと判断され、佐々木哲氏は氏頼が尊氏の猶子になったのではないかと説かれている*3。 上記史料ではこの時太刀・鎧なども与えられ、間もなく叙爵して左衛門佐に任じられたとも伝える。
(参考ページ)