Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

結城貞広

結城 貞広(ゆうき さだひろ、旧字表記:結城貞廣、1289年~1309年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。下総結城氏第5代当主。

父は4代当主・結城時広。母は小山時村の娘*1。 

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▲【図A】「結城系図」(東京大学史料編纂所架蔵謄写本/原本:松平基則所蔵)*2より抜粋

 

鎌倉執権北条貞時一字を授く。故に貞広と名す*3」と直接的な表現で記載されているのは珍しい。

ここには、延慶2(1309)年に21歳で亡くなったことも記されているが、他の系図類・過去帳でも確認ができることはこちら▼の記事を参照のこと。 

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逆算すると正応2(1289)年生まれとなる。その裏付けとして、永仁2(1294)年の成立とされる「結城系図*4では、時広の子が幼名で「犬次郎丸」と記載されており、当時6歳(数え年、以下同様)位であったこの頃の段階ではまだ元服を済ませていなかった事が窺える。

そして、北条時が出家して第9代執権を辞した正安3(1301)年*5には広が13歳と元服の適齢を迎え、遅くとも同年8月22日までに元服し「」の偏諱を受けたと考えて問題はなく、【図A】の注記の信憑性は認められよう。

 

(参考ページ)

 結城貞広 - Wikipedia

 

脚注

*1:【論稿】結城氏の系図について - Henkipedia【図H】に「母小山判官入道女」、【図I】に「母小山四郎判官時村女」との注記がある。

*2:結城市史』第一巻 古代中世史料編(結城市、1977年)P.664。

*3:結城市史』第四巻 古代中世通史編(結城市、1980年)P.297。

*4:【論稿】結城氏の系図について - Henkipedia【図H】参照。

*5:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その8-北条貞時 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男のブログ)より。