Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

石川時光

石川 時光(いしかわ ときみつ、1260年頃?~1335年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人大和源氏の流れを汲む陸奥石川氏の第13代当主。 

 

【史料】『源流無尽』所収「石川系図」より*1

時光公

母堂経時朝臣女、称六郎、実山月公之季子、先公養為世子、於鎌倉府執政北條氏之第加首服、乞時宗偏諱、改時光、元弘三年(※注記省略)七月朔日上洛、以足利治部大輔高氏、為御味方上洛之旨、……(以下略) 

この系図では石川家光の子としながらも、実は「山月公」=石川盛義(諡:山月成川)の末子*2であったとしており、長兄・家光の世子(養嗣子)*3となったようである。そして、鎌倉幕府執権・北条氏の邸宅*4元服して北条偏諱を乞(こ=請)い、(幼名から)光に改めたと伝える。

母は経時の娘であったというが、4代執権・北条経時のことだろう*5。すなわち、時光の母親は時宗の従姉妹にあたり、この縁もあって烏帽子親を依頼したのではないかと思う。

経時 (1214-1246) の外孫にあたる時光の生年は早くとも1250年代半ばと推定可能で、北条時宗執権期(在職:1268年~1284年*6元服であることは間違いない。

兄・家光の子で自身の養子に迎えた光も次期得宗・北条時を烏帽子親として元服したと伝わる。

historyofjapan-henki.hateblo.jp

 

上記【史料】での「元弘三年~」の記載は、足利高氏(のち尊氏)が花押を据えた、元弘3(1333)年7月2日付の書状(『板橋文書』)に「陸奥国石河□〔六郎源時光、□為御方、今月一日参洛候」とある*7によって、その実在とともに確認ができる。 鎌倉幕府滅亡から間もないこの頃には安芸国の三戸頼忠、肥後国の宇治(上島)惟頼など、全国各地から御家人が京都に馳せ参じ、建武新政権に参加したのであった。

 

(参考ページ)

 石川時光 - Wikipedia

 武家家伝_奥州石川氏

 石川氏一千年史. 上卷 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

脚注

*1:『大日本史料』6-2 P.374『大日本史料』6-1 P.163

*2:季子が末子の意。季子(キシ)とは - コトバンク より。

*3:世子/世嗣(セイシ)とは - コトバンク 参照。

*4:聚楽第などの例があるように、史料上では邸宅の意で「第」の1字が使われることが少なくない(→ 第(ダイ)とは - コトバンク)。また、北条氏の邸宅で元服が行われた他の事例については 鎌倉時代の元服と北条氏による一字付与 - Henkipedia を参照のこと。

*5:石川盛義 - Wikipedia石川氏一千年史. 上卷 - 国立国会図書館デジタルコレクション より。

*6:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その7-北条時宗 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男氏のブログ)より。

*7:『大日本史料』6-1 P.155