足利泰氏
足利 泰氏(あしかが やすうじ、1216年~1270年)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府御家人。足利義氏の嫡男で足利宗家第4代当主。
『尊卑分脈』*1などによると、文永7(1270)年5月10日に55歳(数え年、以下同様)で亡くなったといい、『吾妻鏡』建長3(1251)年12月2日条にも泰氏が「年三十六」で出家したと書かれており、いずれも逆算すると建保4(1216)年生まれとなる。
紺戸淳氏は、鎌倉時代における元服は通常10~15歳の間で行われたとして、前述の生年に基づく泰氏の元服の年次を1225~1230年と推定し、当時の執権であった北条泰時(在職:1224年~1242年)*2を烏帽子親としてその偏諱「泰」を受けたと説かれている*3。『吾妻鏡』では嘉禎2(1236)年12月11日条に「新丹後守泰氏」とあるのが初出とされ*4、依然として泰時が執権であったこの時までに元服を済ませていることは確実であるから、紺戸氏の説は正しいと言えよう。
『尊卑分脈』等によれば、泰氏の母が北条泰時の娘であったので、時の執権にして外祖父でもある泰時が、孫・泰氏の加冠役(烏帽子親)を務めたのであろう。
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