Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

長井泰元

長井 泰元(ながい やすもと、生年不詳(1220年代?)~没年不詳) は、鎌倉時代前・中期の人物、御家人。長井時広の庶子。通称は蔵人(『吾妻鏡』)、修理亮(『尊卑分脈』)

 

吾妻鏡人名索引』*1によると、『吾妻鏡』での登場箇所は以下の通りであるという。

建長4(1252)年4月3日条「長井蔵人泰元

同年11月11日条「長井蔵人

康元元(1256)年正月1日条「長井三郎蔵人

※正嘉元(1257)年12月29日条の「長井判官代泰元」は泰茂の誤記とする。

historyofjapan-henki.hateblo.jp

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『福原家譜』8巻では、時広の3男としながらも、4男・ 長井泰経(上山氏祖)の項に「三郎蔵人」の注記がある。泰経については『尊卑分脈』にも "蔵人" を示す「蔵」の注記があり、従って康元元年の「長井三郎蔵人」は泰経に比定される可能性も考えられるが、実際の史料で次兄の長井泰重が当初「次郎」を称していたことが判明しているので、いずれにせよ三郎蔵人は時広の3男に間違いないだろう。『福原家譜』では泰元・泰経双方に「蔵人」の注記があるから、少なくとも建長4年の「長井蔵人泰元」は泰元の初見とみて良いと思う。 

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上記それぞれの記事では、長兄・泰秀の生年が1212年で、次兄・泰重も1220年頃の生まれと推測されることを述べた。よってその弟とされる泰元の生年は1220年以後と推定される。

一方、前述の通り、約30年近く経った建長4年になって史料上に現れるが、父・時広が亡くなる仁治2(1241)年5月28日*2までには生まれている筈である。

 

この間、北条が3代執権の座にあり(在職:1224~1242年)*3、「」の名は兄たちに同じくその偏諱を受けたものと判断される。遅くとも1242年までに元服の適齢である10代前半に達していた筈であり、1220年代の生まれと推定可能である。

  

脚注

*1:御家人制研究会(代表:安田元久)編『吾妻鏡人名索引』(吉川弘文館、[第5刷]1992年)P.317「泰元 長井」の項 より。

*2:『吾妻鏡』同日条 より。

*3:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その3-北条泰時 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男のブログ記事)より。