徳川慶喜
徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ / よしひさ、旧字体:德川 慶喜、1837年~1913年)は、江戸時代の武将。江戸幕府第15代将軍。
『一橋徳川家譜』によると、弘化4(1847)年、当時の12代将軍・徳川家慶の意向を受け、9月朔日(ついたち=1日)、嗣子の無かった一橋徳川家を相続、12月朔日には家慶の偏諱を受けて元服し「慶喜」を称したという*1。
大河ドラマ『青天を衝け』の初回終盤でも、徳川斉昭の子・七郎麻呂が当時の将軍である家慶に拝謁。家慶からは息子に似ていると気に入られたようで、ナレーションで「慶」の1字を賜った旨が解説された。
尚、『徳川水戸家譜』によると、慶喜と名乗る前、七郎麻呂に次いで昭致(あきむね)を称していたらしい*2。父・斉昭の1字によるものと思われ、元服前の幼名として名乗っていたのであろう。
慶応2(1866)年、徳川宗家(将軍家)を継ぎ15代将軍となったが、先代・家茂(14代将軍、初め慶福)のように「家○」型への改名は行わなかった。田安家から継いだ16代・家達以降では再び「家」を通字としたが、慶喜以降の徳川慶喜家(慶喜―慶久―慶光―慶朝)では「慶」を代々の通字として用いたのであった。
本項では以上一字拝領についての解説のみに留めたい。
その他活動内容については
などをご参照いただければと思う。