Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

徳川慶喜

徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ / よしひさ、旧字体:德川 慶喜、1837年~1913年)は、江戸時代の武将。江戸幕府第15代将軍。

 

一橋徳川家譜』によると、弘化4(1847)年、当時の12代将軍・徳川家慶の意向を受け、9月朔日(ついたち=1日)、嗣子の無かった一橋徳川家を相続、12月朔日には家偏諱を受けて元服し「」を称したという*1

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▲2021年NHK大河ドラマ『青天を衝け』初回より

大河ドラマ青天を衝け』の初回終盤でも、徳川斉昭の子・七郎麻呂が当時の将軍である家慶に拝謁。家からは息子に似ていると気に入られたようで、ナレーションで「」の1字を賜った旨が解説された。

尚、『徳川水戸家譜』によると、慶喜と名乗る前、七郎麻呂に次いで(あきむね)を称していたらしい*2。父・斉の1字によるものと思われ、元服前の幼名として名乗っていたのであろう。

慶応2(1866)年、徳川宗家(将軍家)を継ぎ15代将軍となったが、先代・家茂(14代将軍、初め慶福)のように「家○」型への改名は行わなかった。田安家から継いだ16代・家達以降では再び「家」を通字としたが、慶喜以降の徳川慶喜家慶喜―慶久―慶光―慶朝)では「」を代々の通字として用いたのであった。

 

本項では以上一字拝領についての解説のみに留めたい。

その他活動内容については

徳川慶喜 - Wikipedia

などをご参照いただければと思う。

 

脚注