武田宗光
武田 宗光(たけだ むねみつ、生年不詳(1250年代半ば頃?)~没年不詳(1290年代?))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。父は武田時隆。子に武田信貞、武田時信。通称は二郎五郎。
信光の子・武田七郎信隆(岩崎信隆とも)を祖とする系統の出身で、その次男である時隆以降は代々北条氏得宗からの偏諱を受けた形跡が見られる。
historyofjapan-henki.hateblo.jp
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上記2記事にて、父・時隆が1230年代、息子の信貞が1280年代の生まれと推定したので、宗光は間を取って1250年代半ば頃の生まれと推測される。宗光の「宗」は元服当時の得宗・北条時宗(得宗家当主:1263年 / 執権:1268年~ 1284年)*1からの偏諱と見なして良かろう。「光」は曽祖父・武田信光に由来するものと思われ、通称の「二郎五郎」は、"二郎"(七郎二郎)時隆の「五郎(本来は5男の意)」を表す。
今のところ宗光に関する史料は確認されておらず、『尊卑分脈』でも「二郎五郎」とあるのみであるから、国守任官に相応の40代を迎える前に亡くなったのかもしれない。
脚注
*1:新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その7-北条時宗 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男氏のブログ)より。