Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

武田宗光

武田 宗光(たけだ むねみつ、生年不詳(1250年代半ば頃?)~没年不詳(1290年代?))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。父は武田時隆。子に武田信貞武田時信。通称は二郎五郎。

 

 <武田氏略系図>(『尊卑分脈』より)

 信光信政信時時綱信宗―信武―氏信

   └ 信隆―時隆宗光信貞

信光の子・武田七郎信隆(岩崎信隆とも)を祖とする系統の出身で、その次男である時隆以降は代々北条氏得宗からの偏諱を受けた形跡が見られる。

historyofjapan-henki.hateblo.jp

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上記2記事にて、父・時隆が1230年代、息子の信貞が1280年代の生まれと推定したので、宗光は間を取って1250年代半ば頃の生まれと推測される。光の「宗」は元服当時の得宗北条時得宗家当主:1263年 / 執権:1268年~ 1284年)*1からの偏諱と見なして良かろう。「光」は曽祖父・武田信光に由来するものと思われ、通称の「二郎五郎」は、"二郎"(七郎二郎)時隆の「五郎(本来は5男の意)」を表す。

 

今のところ宗光に関する史料は確認されておらず、『尊卑分脈』でも「二郎五郎」とあるのみであるから、国守任官に相応の40代を迎える前に亡くなったのかもしれない。

 

脚注