源姓畠山氏
畠山 国氏(はたけやま くにうじ、1325年頃?~1351年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。室町幕府奥州管領。畠山高国の嫡男。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 『尊卑分脈』を見ると、高国の項に「観応二二十二於奥刕(=奥州)為貞家被討四…
畠山 泰国(はたけやま やすくに、1210年?~没年不詳(1270年頃?))は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。足利義純の3男にして嫡男。 生年の推定 『吾妻鏡』等における泰国 烏帽子親の推定 脚注 生年の推定 まずは、『尊卑分脈』の畠山氏系図*1…
田中 時朝(たなか ときとも、1196年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。足利義純の次男。通称は田中次郎、初名は田中時明(ときあき)。 『尊卑分脈』*1等の畠山氏系図によると、足利義兼の長男で、義氏の舎兄であった父の畠山義純(足利義純…
岩松 時兼(いわまつ ときかね、1195年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。足利義純の長男。通称は岩松太郎、蔵人太郎。 『尊卑分脈』*1等の畠山氏系図によると、足利義兼の長男で、義氏の舎兄であった父の畠山義純(足利義純)は、承元4(1210)…
畠山 高国(はたけやま たかくに、1305年~1351年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人、守護大名。 『尊卑分脈』での注記には「観応二二十二於奥刕(=奥州)為貞家被討四十七才」(=観応2(1351)年2月12日、奥州にて吉良貞家に討たれ、…