Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

二階堂氏

二階堂高実

二階堂 高実(にかいどう たかざね、1310年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代末期の御家人。 『尊卑分脈』(以下『分脈』と略記)の記載*1によれば、二階堂光貞の嫡男にして「三郎 左衛門(=左衛門尉)」を称し、後に遁世して法名を周琮(しゅうそう)と号したとい…

二階堂宗実

二階堂 宗実(にかいどう むねざね、生年不詳(1250年代後半~1260年頃?)~没年不詳(1290年代以後?))は、鎌倉時代中期の御家人。父は二階堂行実、母は高野時家(小田時家、伊賀守)*1の娘。官途は弾正忠、左衛門尉、因幡守。官位は従五位下。妻は二階堂…

二階堂高行

二階堂 高行(にかいどう たかゆき、1312年頃?~1392年?)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての人物。通称は三郎。のちに二階堂行光(ゆきみつ、二階堂行元とも)に改名か。 『尊卑分脈』*1(以下『分脈』と略記)によると父は二階堂貞衡。兄・二階堂行…

二階堂高貞

二階堂 高貞(にかいどう たかさだ、1300年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての人物。『尊卑分脈』*1(以下『分脈』と略記)によると、のちに二階堂行広(ゆきひろ)に改名。通称は三郎左衛門、山城左衛門大夫、丹後守。従五位下。父は…

二階堂行直

二階堂 行直(にかいどう ゆきなお、1311年頃?~1348年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての人物。室町幕府政所執事。初名は二階堂高衡(たかひら)。『尊卑分脈』*1(以下『分脈』と略記)によると父は二階堂貞衡、母は秋田城介・安達時顕の娘。通称…

二階堂貞衡

二階堂 貞衡(にかいどう さだひら、1291年~1332年)は、鎌倉時代後期から末期にかえての御家人、鎌倉幕府の政所執事。父は二階堂行貞。官途は左衛門尉、美作守。法名は行恵(ぎょうけい)。 『北条九代記』(『鎌倉年代記』と同内容)に「行恵 美作入道 俗名…

二階堂行貞

二階堂 行貞(にかいどう ゆきさだ、1269年~1329年)は、鎌倉時代後期から末期にかけての鎌倉幕府御家人、政所執事。父は二階堂行宗。官途は左衛門尉、信濃守、山城守。通称は丹後次郎、山城入道など。法名は行暁。 生没年と烏帽子親について 関連史料の紹…

二階堂忠貞

二階堂 忠貞(にかいどう たださだ、1280年~1333年)は、鎌倉時代後期から末期にかけての御家人。通称は左衛門尉、摂津判官、伊勢守(伊勢前司/伊勢入道)。法名は行意(ぎょうい)。 『尊卑分脈』二階堂氏系図(以下『分脈』と略記)によると、父は二階堂盛…

二階堂光貞

二階堂 光貞(にかいどう みつさだ、1290年頃?~1336年カ)は、鎌倉時代後期の人物。父は二階堂宗実。官途は左衛門尉、下総守。法名は行全(ぎょうぜん)か。 『作者部類』(『勅撰作者部類』)に「頓阿 法師俗名貞宗。二階堂下野守〔ママ〕光貞子」*1、『続群…

二階堂貞宗

二階堂 貞宗(にかいどう さだむね、1289年?~1372年?)は、鎌倉時代後期から室町時代初期にかけての人物。 『作者部類』に「頓阿 法師俗名貞宗。二階堂下野守〔ママ〕光貞子」*1、『続群書類従』所収「工藤二階堂系図」に「光貞 下総守 ― 貞宗 遁世、頓阿」…

二階堂貞雄

二階堂 貞雄(にかいどう さだお / さだたけ、1286年頃?~1333年カ)は、鎌倉時代後期から末期にかけての御家人。父は二階堂政雄(頼綱の弟)、母は二階堂行藤の娘(時藤・貞藤の姉妹にあたる)*1。子に二階堂行雄。通称は三郎兵衛尉、因幡守(因幡入道)。…

二階堂高雄

二階堂 行高(にかいどう ゆきたか、1299年~1333年)は、鎌倉時代末期の御家人。幼名は若寸丸。初名は二階堂高雄(たかお / たかたけ)*1。法名は行淳(ぎょうじゅん) または 行凉(ぎょうりょう)。父は二階堂政雄(頼綱の弟)、母は二階堂行藤の娘(時藤・貞…

二階堂高元

二階堂 高元(にかいどう たかもと、1310年頃?~没年不詳(1342年以後))は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての人物。のちに二階堂行春(ゆきはる)と改名。父は二階堂時元。通称は下野判官。 【史料A】建武元(1334)年正月付「関東廂番定書写」(『建武…

二階堂高憲

二階堂 高憲(にかいどう たかのり、1300年代初頭?~没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかえての人物。出家の直前に二階堂行清(ゆききよ)と改名。父は二階堂行憲。法名は行珍 または 行孫 とされる。通称は因幡三郎左衛門尉。 【史料A】建武元(13…

二階堂貞綱

二階堂 貞綱(にかいどう さだつな、1260年代?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の御家人。 生年の推定 息子・二階堂行朝(行珍)について 貞綱の名乗りについて 脚注 生年の推定 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちら▲の記事で紹介した通り、『尊卑分脈』に…

二階堂頼綱

二階堂 頼綱(にかいどう よりつな、1239年~1283年)は、鎌倉時代中期の御家人。鎌倉幕府政所執事。 『尊卑分脈』によれば、父は二階堂行綱。その次男・頼綱の項に「弘安六十廿四卒四十五」(弘安6(1283)年10月24日、数え45歳で死去)とあり*1、逆算すると…

二階堂行泰

二階堂 行泰(にかいどう ゆきやす、1211年~1265年)は、鎌倉時代前期の御家人。鎌倉幕府政所執事。父は二階堂行盛。 史料数点によれば、文永2(1265)年10月2日に享年55(数え年、以下同じ)で亡くなったと伝えられ*1、逆算すると、建暦元(1211)年生まれとな…

二階堂時藤

二階堂 時藤(にかいどう ときふじ、1267年頃?~1352年?)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。法名は道存(どうぞん)。 父は二階堂行藤。子に二階堂有藤(ありふじ、甥で養子、弟・貞藤の子)、女子、二階堂成藤(なりふじ、養嗣子、一族・荻薗盛行の子)、二階…

二階堂貞藤

二階堂 貞藤(にかいどう さだふじ、1273年~1335年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。官途は左衛門尉(出羽判官)、出羽守。法名は道蘊(どううん)。 主な活動経歴や生涯については ● 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その170-二階堂貞藤 | 日本中世史を…