Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

北条貞時の偏諱

長井貞泰

長井 貞泰(ながい さだやす、1290年頃?~没年不詳(1336年以降))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。長井(上山)宗元の嫡男で上山貞泰(かみやま ―)とも。官途は 左衛門尉、因幡守。子に上山高元、上山宗家(むねいえ)。 『尊卑分脈』や『毛利…

長井貞頼 (出羽守)

長井 貞頼(ながい さだより、1290年頃?~1363年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。 『毛利家系図』(国立歴史民俗博物館蔵・高松宮家伝来禁裏本)*1や『福原家譜』7巻(以下『福原家譜』と略記)・『尊卑分脈』(以下『分脈』と略記…

長井貞頼 (六波羅評定衆)

長井 貞頼(ながい さだより、1275年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 長井頼重の次男として、『毛利家系図』(国立歴史民俗博物館蔵・高松宮家伝来禁裏本)*1や『福原家譜』7巻・『尊卑分脈』(下図)などの各系図類で載せられる。官途は左…

伊具貞有

北条 貞有(ほうじょう さだあり、生年不詳(1280年代か)~1333年)は、鎌倉時代後期の武将、北条氏一門の御家人。北条(伊具)有時の孫(北条有義の子)とされ、伊具貞有とも。母は北条(佐介)時隆の娘。弟に北条恒兼、北条有直、僧・公有。子に北条高有。通称…

三浦貞宗

三浦 貞宗(みうら さだむね、生年不詳(1280年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。三浦(杉本)宗明の次男。母は佐原光盛(宗明の伯父)の娘。異母兄に三浦時明(安芸守)。子に三浦行連(ゆきつら)、三浦兼連(かねつら)がいる。通称および官途…

小田時知 (六波羅評定衆)

小田 時知(おだ ときとも、生年不詳(1280年代か)~13??年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。仮名は太郎か。官途は常陸介。『太平記』ではしばしば「時朝」と書かれる。 時知は、『尊卑分脈』を見ると小田時家(高野時家とも、八田…

小田貞知

小田 貞知(おだ さだとも、生年不詳(1280年代か)~没年不詳(1336年頃?))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。仮名は二郎。官途は筑後守。 鎌倉時代末期の小田貞知 建武政権下での小田貞知 世代と烏帽子親の推定 脚注 鎌倉時代末期…

吉良貞義

足利 貞義(あしかが さだよし、1270年頃?~1343年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。三河国西条城主。足利(吉良)満氏の子。通称および官途は弥太郎、上総介。法名は省観。吉良貞義(きら ー)とも呼ばれる。 吉良貞義に関する史料 生年・世…

吉良貞氏

足利 貞氏(あしかが さだうじ、1270年頃?~1285年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。足利(吉良)満氏の子。通称は足利上総三郎。足利宗家にも同名の人物がおり*1、『尊卑分脈』(以下『分脈』と略記)で「吉良三郎」と注記されることから、吉良貞氏(きら …

町野貞康

町野 貞康(まちの さだやす、1270年頃?~没年不詳*1)は、鎌倉時代後期の官人、武将。三善(町野)政康(まさやす)の嫡男で、町野氏の祖・三善康持の孫にあたるとされる。町野康世(やすよ、1287-1333)・町野善照(ぜんしょう、1294-1333)*2兄弟は息子か。三善貞…

工藤貞景

工藤 貞景(くどう さだかげ、生年不詳(1280年代?)~1333年?/1334年?)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家被官である御内人。通称および官途は 六郎、左衛門尉。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏助光流一族の者と推測される。工藤時光の子で工藤貞…

小山貞宗

小山 貞宗(おやま さだむね、1290年頃?~没年不詳(1310年代?))は、鎌倉時代後期の武将、御家人。父は小山宗朝。子に小山政秀(藤井政秀)。 貞宗の名は『尊卑分脈』上で確認ができる。 ▲【系図α】『尊卑分脈』小山氏系図(一部抜粋)*1 しかし、他の史料…

葛西貞清

葛西 貞清(かさい さだきよ、1291年~1324年)は、鎌倉時代後期の武将。通称および官途は 又太郎、左衛門尉。法名は道西。 系図によると、父は葛西清信(千葉頼胤の子で葛西清時の養嗣子、初名: 胤信)、母は本間景隆(山城守)の娘と伝わる。 まずは、次の…

北条貞村

北条 貞村(ほうじょう さだむら、1270年代?~1305年)は、鎌倉時代後期の武将、北条氏一門。政村流北条氏・北条時村の子。 細川重男氏の研究*1によれば、嘉元3(1305)年4月23日子の刻に、得宗・北条貞時(副将軍*2・前執権、法名:崇演)の「仰」と号する(『保…

三浦貞連 (甲斐六郎左衛門尉)

三浦 貞連(みうら さだつら、生没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。甲斐一条氏・武田時信(一条時信)の子で、三浦行連(佐原行連、甲斐守)の養子。通称は(三浦)甲斐六郎左衛門尉。 元亨3(1323)年10月27日の故・北条貞時(鎌倉幕府第9代執権)13年忌…

三浦貞連 (因幡守)

三浦 貞連(みうら さだつら、1290年頃?~1336年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。 「横須賀系図」(『諸家系図纂』11上所収)*1などによると、父は三浦時明(安芸守)、母は同族・大多和行季(正しくは行秀か)の娘。初名は三浦貞明…

山河貞重

山河 貞重(やまかわ さだしげ、生年不詳(1270年代?)~没年不詳(1320年代後半?))は、鎌倉時代後期の武将、御家人。表記は山川貞重とも。父は山河重義(山川重義)、母は網戸朝村(あじと ともむら/十郎、法名:蓮忍)の娘。結城朝光は父方・母方双方で…

京極貞氏

佐々木 貞氏(ささき さだうじ、1290年頃?~1355年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。 京極流佐々木宗氏の子*1。母は佐々木宗綱の娘(貞宗の姉)。京極貞氏(きょうごく ー)、鏡貞氏(かがみ ー)とも呼ばれる。息子に鏡高治、長岡貞高、伊…

武田貞信

武田 貞信(たけだ さだのぶ、生年不詳(1270年代?)~1347年カ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。武田政綱を祖とする石和流武田氏の第3代当主。父は武田信家(宗信)。妻は安藤左衛門入道の娘か。子に武田政義・武田貞政。通称は三郎。官途は…

武田信貞

武田 信貞(たけだ のぶさだ、生年不詳(1280年代?)~没年不詳(1336年以後))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。父は武田宗光。弟に武田時信(七郎五郎)。仮名は弥五郎、官途は伊豆守・大膳権大夫(または大膳大夫)。 建武政権武者所での…

色部長貞

色部 長貞(いろべ ながさだ、生年不詳(1280年代後半?)~没年未詳)は、鎌倉時代後期の武将。父は色部長行。子に色部長高。 ▲【図1】色部氏略系図*1 色部氏は桓武平氏流秩父氏の流れを汲み、地頭職を得た越後国小泉荘色部条の地から「色部」を称するように…

土岐頼貞

土岐 頼貞(とき よりさだ、1271年~1339年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人、守護大名、歌人。父は土岐光定。母は北条経時の娘か(後述参照)。室町幕府の初代美濃守護。主な通称 および 官途は、隠岐孫二郎、伯耆守、伯耆入道。法…

平盛貞

平 盛貞(たいら の もりさだ、生年不詳(1280年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家の御内人、内管領・平宗綱の子か。 まず、盛貞の実在が確認できる次の史料を掲げておきたい。 【史料A】正安3(1301)年3月3日付「関東下知状」(『常陸鹿…

葦名盛貞

葦名 盛貞(あしな もりさだ、1296年?(一説に1285年とも)~1335年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。父は葦名盛宗。蘆名盛貞、芦名盛貞とも表記される。主な通称は大夫判官、葦名判官。法名は道円(どうえん)か。 多くの系図では…

大室長貞

安達 長貞(あだち ながさだ、生年不詳(1280年代前半?)~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将・御家人。安達氏の庶流・大室氏の出身で大室長貞(おおむろ ー)とも呼ばれる。大室義宗(安達義宗)の嫡男。通称は三郎。 ▲【図A】安達氏略系図*1 historyofjapa…

小田貞宗

小田 貞宗(おだ さだむね、1283年~1335年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。常陸小田氏第5代当主。父は小田宗知。母は上曽盛治(左衛門尉)の娘*1。子に小田治久(初め高知)。通称および官途は太郎、左衛門尉、常陸介、常陸入道。…

南条貞直

南条 貞直(なんじょう さだなお、生年不詳(1270年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代後期~末期の武将、御内人(得宗被官)。南条高直の父か。 既に先行研究において梶川貴子氏が紹介されているが、まずは南条貞直の実在と活動が確認できる2点の史料を掲げてお…

工藤貞行

工藤 貞行(くどう さだゆき、1280年代?~1338年?)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武士。藤原南家為憲流工藤氏の一族。通称は中務右衛門尉、右衛門尉。当初は得宗被官(御内人)であったとみられる。 子女に加伊寿御前(かいずごぜん、南部信政室…

工藤貞光

工藤 貞光(くどう さだみつ、生年不詳(1280年代?)~1334年?)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家被官である御内人。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏助光流の当主。 「南家伊東氏藤原姓大系図」*1(以下「大系図」と略記)によると工藤宗光の嫡男…

平賀貞義

平賀 貞義(ひらが さだよし、1294年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。平賀朝村の次男。 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちら▲の記事で紹介の通り、『尊卑分脈』*1(以下『分脈』と略記)によると、新羅三郎義光流で源氏門葉として源頼朝…