Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

2020-01-01から1年間の記事一覧

土岐高頼

土岐 高頼(とき たかより、1290年代?~没年不詳)は、鎌倉時代末期の武将、僧。 通称は土岐二郎。法名は妙光(みょうこう)。 『尊卑分脈』所収土岐系図(以下『分脈』と略記)や、「土岐家伝大系図」(東大謄写、岐阜県稲葉郡加村・徳山ひさ 氏原蔵)に、土…

土岐頼貞

土岐 頼貞(とき よりさだ、1271年~1339年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人、守護大名、歌人。父は土岐光定。母は北条経時の娘か(後述参照)。室町幕府の初代美濃守護。主な通称 および 官途は、隠岐孫二郎、伯耆守、伯耆入道。法…

平盛貞

平 盛貞(たいら の もりさだ、生年不詳(1280年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家の御内人、内管領・平宗綱の子か。 まず、盛貞の実在が確認できる次の史料を掲げておきたい。 【史料A】正安3(1301)年3月3日付「関東下知状」(『常陸鹿…

葦名盛貞

葦名 盛貞(あしな もりさだ、1296年?(一説に1285年とも)~1335年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。父は葦名盛宗。蘆名盛貞、芦名盛貞とも表記される。主な通称は大夫判官、葦名判官。法名は道円(どうえん)か。 多くの系図では…

結城朝高

結城 朝高(ゆうき ともたか、1308年~1336年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将、御家人。のち結城朝祐(ともすけ)に改名。結城貞広の嫡男で下総結城氏6代当主。幼名は犬鶴丸、通称は七郎、七郎左衛門尉、結城判官。 北条高時の烏帽子子 『真…

大室盛高

安達 盛高(あだち もりたか、生年不詳(1300年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代末期の武将・御家人。安達氏の庶流・大室氏の出身で大室盛高(おおむろ ー)とも呼ばれる。大室長貞(安達長貞)の嫡男。通称は九郎左衛門尉。 ▲【図A】安達氏略系図*1 historyof…

大室長貞

安達 長貞(あだち ながさだ、生年不詳(1280年代前半?)~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将・御家人。安達氏の庶流・大室氏の出身で大室長貞(おおむろ ー)とも呼ばれる。大室義宗(安達義宗)の嫡男。通称は三郎。 ▲【図A】安達氏略系図*1 historyofjapa…

大室義宗

安達 義宗(あだち よしむね、生年不詳(1250年代後半?)~1285年)は、鎌倉時代中期から後期の武将・御家人。安達氏の庶流・大室氏の出身で大室義宗(おおむろ ー)とも呼ばれる。通称は城三郎次郎(城三郎二郎)。 ▲【図A】安達氏略系図*1 historyofjapan-…

大室泰宗

安達 泰宗(あだち やすむね、1254年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代中期から後期の武将・御家人。安達氏の庶流・大室氏の出身で大室泰宗(おおむろ ー)とも呼ばれる。 大室流安達氏各世代の推定 父・安達景村 娘・覚海円成 外孫・北条高時に至るまで 烏帽子親の…

南条高光

南条 高光(なんじょう たかみつ、1305年頃?~没年不詳(1346年以後))は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。通称は太郎兵衛尉。南条時光の孫とされる。 生年と烏帽子親の推定 貞和2年の史料における高光 脚注 得宗被官(御内人)・南条氏や、同氏…

小田貞宗

小田 貞宗(おだ さだむね、1283年~1335年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。常陸小田氏第5代当主。父は小田宗知。子に小田治久(初め高知)。通称および官途は太郎左衛門尉、常陸介、常陸入道。法名は妙朝(みょうちょう)。 烏帽子…

南条高直

南条 高直(なんじょう たかなお、1300年頃?~1333年)は、鎌倉時代末期の武将、御内人(得宗被官)。南条貞直の嫡男か。 梶川貴子氏の研究*1により、南条高直については実名の書かれた史料類が幾つか残されていることが判明している。以下に列挙しながら解…

南条貞直

南条 貞直(なんじょう さだなお、生年不詳(1270年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代後期~末期の武将、御内人(得宗被官)。南条高直の父か。 既に先行研究において梶川貴子氏が紹介されているが、まずは南条貞直の実在と活動が確認できる2点の史料を掲げてお…

結城宗広

結城 宗広(ゆうき むねひろ、旧字表記:結城宗廣、1269年カ(1266年とも)~1339年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。 白河結城氏第2代当主。通称(官途)は弥七(孫七とする説も)、左衛門尉、上野介、結城上野入道。法名は道忠(どうちゅ…

工藤貞行

工藤 貞行(くどう さだゆき、1280年代?~1338年?)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武士。藤原南家為憲流工藤氏の一族。通称は中務右衛門尉、右衛門尉。当初は得宗被官(御内人)であったとみられる。 子女に加伊寿御前(かいずごぜん、南部信政室…

工藤貞光

工藤 貞光(くどう さだみつ、生年不詳(1280年代?)~1334年?)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家被官である御内人。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏助光流の当主。 「南家伊東氏藤原姓大系図」*1(以下「大系図」と略記)によると工藤宗光の嫡男…

工藤宗光

工藤 宗光(くどう むねみつ、生年不詳(1260年代?)~1333年頃?)は、鎌倉時代後期から末期にかけての武士。北条氏得宗家被官である御内人。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏助光流の当主。工藤頼光(系図では光頼)の嫡男で工藤貞光の父。官途は右近…

工藤頼光

工藤 頼光(くどう よりみつ、生年不詳(1230年代?)~没年不詳(1290年代?))は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家被官である御内人。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏の一族。系図では工藤光頼(みつより)とも。工藤光長(または光泰)の嫡男で工…

工藤光泰

工藤 光泰(くどう みつやす、生年不詳(1210年代?)~没年不詳(1277年以後?))は、鎌倉時代前期の武士。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏の一族。北条氏得宗家被官である御内人で、鎌倉幕府小侍所所司も務めた。法名は道恵(どうけい)か。通称は三…

【論稿】代数論:世代推定の試み② ー藤原南家・工藤氏一族ー

弟河から為憲まで 為憲からその子孫に至るまで 工藤景光一族の世代推定 脚注 まずは藤原氏の始祖・藤原鎌足から工藤氏一門(他に伊東氏・二階堂氏など)に至るまでの略系図を掲げておきたい。 ▲【図A】藤原南家・工藤氏略系図*1 弟河から為憲まで 鎌足から雄…

【論稿】代数論:世代推定の試み① ー桓武平氏嫡流から北条・長崎氏までー

はじめに 高望とその息子たち 貞盛から忠盛に至るまで 貞盛から北条高時に至るまで 貞盛から長崎円喜に至るまで 脚注 はじめに 元弘3(1333)年5月、鎌倉幕府滅亡直前のこと。「始武蔵野の合戦より、今日に至るまで、夜昼八十余箇度の戦」(『太平記』巻10「長…

葦名盛宗

葦名 盛宗(あしな もりむね、1259年?~没年不詳(※諸説あり))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。葦名泰盛の嫡男。蘆名盛宗、芦名盛宗とも表記される。子に葦名時盛、葦名盛貞。 生没年については諸説伝えられる。 ●【史料1】『葦名系図』…

【論稿】大光寺合戦における工藤氏一族について

安達高景の "亡命" 説 工藤高景と陸奥国糠部郡における一族の反乱 脚注 安達高景の "亡命" 説 【史料1】『太平記』巻10「高時並一門以下於東勝寺自害事」より一部抜粋 (前略:長崎高重→摂津道準(親鑑)→諏訪直性(宗経)→長崎円喜・長崎新右衛門(高直カ)→相模…

平賀貞義

平賀 貞義(ひらが さだよし、1294年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。平賀朝村の次男。 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちら▲の記事で紹介の通り、『尊卑分脈』*1(以下『分脈』と略記)によると、新羅三郎義光流で源氏門葉として源頼朝…

平賀貞経

平賀 貞経(ひらが さだつね、1293年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。平賀朝村の嫡男。 『尊卑分脈』*1(以下『分脈』と略記)によると、新羅三郎義光流で源氏門葉として源頼朝に重用された平賀義信の次男・平賀朝政の曾孫である。その注記に…

安達時顕

安達 時顕(あだち ときあき、1282年頃?~1333年)は、鎌倉時代後期から末期にかけての武将、御家人。法名は延明(えんめい / えんみょう)。通称は秋田城介、城入道、別駕など。 系譜・生年・烏帽子親について 史料上における秋田城介時顕 時顕死後の所領に…

大仏高政

北条 高政(ほうじょう たかまさ、1310年頃?~1333年?)は、鎌倉時代末期の武将、御家人。北条氏一門・大仏貞直の嫡男で、大仏高政(おさらぎ ー)とも。通称は五郎。 本項で扱うのは、次の史料に現れる人物である。 【史料A】(嘉暦4年?)「崇顕(金沢貞顕)…

二階堂高行

二階堂 高行(にかいどう たかゆき、1312年頃?~1392年?)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての人物。通称は三郎。のちに二階堂行光(ゆきみつ、二階堂行元とも)に改名か。 『尊卑分脈』*1(以下『分脈』と略記)によると父は二階堂貞衡。兄・二階堂行…

二階堂高貞

二階堂 高貞(にかいどう たかさだ、1300年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての人物。『尊卑分脈』*1(以下『分脈』と略記)によると、のちに二階堂行広(ゆきひろ)に改名。通称は三郎左衛門、山城左衛門大夫、丹後守。従五位下。父は…

二階堂行直

二階堂 行直(にかいどう ゆきなお、1311年頃?~1348年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての人物。室町幕府政所執事。初名は二階堂高衡(たかひら)。『尊卑分脈』*1(以下『分脈』と略記)によると父は二階堂貞衡、母は秋田城介・安達時顕の娘。通称…