Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

北条高時の偏諱

大仏高政

北条 高政(ほうじょう たかまさ、1310年頃?~1333年?)は、鎌倉時代末期の武将、御家人。北条氏一門・大仏貞直の嫡男で、大仏高政(おさらぎ ー)とも。通称は五郎。 本項で扱うのは、次の史料に現れる人物である。 【史料A】(嘉暦4年?)「崇顕(金沢貞顕)…

二階堂高行

二階堂 高行(にかいどう たかゆき、1312年頃?~1392年?)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての人物。通称は三郎。のちに二階堂行光(ゆきみつ、二階堂行元とも)に改名か。 『尊卑分脈』*1(以下『分脈』と略記)によると父は二階堂貞衡。兄・二階堂行…

二階堂高貞

二階堂 高貞(にかいどう たかさだ、1300年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての人物。『尊卑分脈』*1(以下『分脈』と略記)によると、のちに二階堂行広(ゆきひろ)に改名。通称は三郎左衛門、山城左衛門大夫、丹後守。従五位下。父は…

二階堂行直

二階堂 行直(にかいどう ゆきなお、1311年頃?~1348年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての人物。室町幕府政所執事。初名は二階堂高衡(たかひら)。『尊卑分脈』*1(以下『分脈』と略記)によると父は二階堂貞衡、母は秋田城介・安達時顕の娘。通称…

二階堂高雄

二階堂 行高(にかいどう ゆきたか、1299年~1333年)は、鎌倉時代末期の御家人。幼名は若寸丸。初名は二階堂高雄(たかお / たかかつ)。法名は行淳(ぎょうじゅん) または 行凉(ぎょうりょう)。父は二階堂政雄(頼綱の弟)、母は二階堂行藤の娘(時藤・貞藤…

二階堂高元

二階堂 高元(にかいどう たかもと、1310年頃?~没年不詳(1342年以後))は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかえての人物。のちに二階堂行春(ゆきはる)と改名。父は二階堂行元。通称は下野判官。 【史料A】建武元(1334)年正月付「関東廂番定書写」(『建武…

二階堂高憲

二階堂 高憲(にかいどう たかのり、1300年代初頭?~没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかえての人物。出家の直前に二階堂行清(ゆききよ)と改名。父は二階堂行憲。法名は行珍 または 行孫 とされる。通称は因幡三郎左衛門尉。 【史料A】建武元(13…

規矩高政

北条 高政(ほうじょう たかまさ*1、1307年頃?~1334年カ)は、鎌倉時代末期の北条氏一門。肥後国守護。豊前国規矩郡(のちの企救郡、現・福岡県北九州市)を領したので、規矩高政(きく ー)とも呼ばれる。通称は上総掃部助、規矩掃部助。 関連史料の紹介 …

宇都宮高房

宇都宮 高房(うつのみや たかふさ、1297年?~1366年?)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。豊前宇都宮氏(=城井氏)の当主で、城井高房(きい ー)とも呼ばれる。通称は弥六、官途は左衛門尉、常陸介。 『尊卑分脈』(以下『分脈』と…

宇都宮高貞

宇都宮 高貞(うつのみや たかさだ、1305年頃?~1340年?)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。父は宇都宮貞綱で、宇都宮公綱(初め高綱)の弟にあたる。 史料上における高貞 芳賀高貞との同一人物説について 脚注 史料上における高貞 『…

宇都宮公綱

宇都宮 公綱(うつのみや きんつな、1302年~1356年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。宇都宮氏第9代当主。父は宇都宮貞綱、母は長井時秀の娘。初名は宇都宮高綱(たかつな)。 系図類を見ると、公綱の傍注に「本 高綱」(『尊卑分脈…

長井挙冬

長井 挙冬(ながい たかふゆ、1314年~1347年)は、 鎌倉時代末期から南北朝時代の武将。大江姓長井氏嫡流の当主。初名は長井高冬(読み同じ)。通称は備前二郎、右馬助。 関係史料の紹介と烏帽子親について 系譜についての一考察 脚注 関係史料の紹介と烏帽…

長井高秀

長井 高秀(ながい たかひで、1305年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期~末期の武将、御家人。通称は治部少輔。 まずは、細川重男氏がまとめられた経歴表*1を紹介しよう。 >>>>>>>>>>>>>>> №138 長井高秀 系譜・生没年未詳 治部少輔(金文443…

上山高元

上山 高元(かみやま たかもと、1311年~1348年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。通称は六郎左衛門、修理亮。 【史料】『常楽記』より*1 貞和四年戊子 正月五日 上山修理亮高元 卅八 東條合戦打死 この史料により、貞和4(1348)年1月5日に38…

大掾高幹

大掾 高幹(だいじょう たかもと、1310年頃?~1380年頃?)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。桓武平氏より分かれた大掾氏の嫡流にあたる多気氏の当主で、多気高幹(たけ ー)とも呼ばれる。通称は十郎。 世代と烏帽子親の推定 史料における高幹…

三浦高継

三浦 高継(みうら たかつぐ、1305年頃?~1339年カ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。三浦氏の庶流・佐原氏の一族から盛時が再興した "三浦介" 家(=相模三浦氏)の当主であり、歴史研究では佐原高継(さはら/さわら ー)とも呼ばれることも…

相馬高胤

相馬 高胤(そうま たかたね、1315年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将、下総相馬氏当主。通称は小次郎。 相馬氏の系図上では確認できない人物だが、次の史料により実在が確かめられる。 【史料A】元弘4(1334=建武元)年正月付「…

足利高義

足利 高義(あしかが たかよし、1297年~1317年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。足利貞氏の長男で最初の嫡子。母は北条(金沢)顕時の娘・釈迦堂殿とされる。足利尊氏・足利直義の異母兄にあたり、子に足利安芸守、田摩御坊源淋、女子(上杉朝定室)、女子…

五大院高繁

五大院 高繁(ごだいいん たかしげ、1304年頃?~1333年カ)は、鎌倉時代後期の武士、御内人(得宗被官)。実際の史料で確認できる通称は五大院右衛門太郎。妹は北条高時の側室・常葉前(ときわのまえ)。 生年と烏帽子親の推定 高繁の最期 五大院氏について 脚…

普音寺高基

北条 高基(ほうじょう たかもと、1316年頃?~1333年)は鎌倉時代末期の武将。普音寺流北条氏の一門。第13代執権・北条基時(普音寺基時)の子で、普音寺高基/普恩寺高基(ふおんじ ー)とも呼ばれる。 まずは次の史料をご覧いただきたい。 【史料1】 (年…

摂津高親

摂津 高親(つ の たかちか/せっつ の ー、1306年頃?~1333年)は、鎌倉時代末期の武士・吏僚、得宗被官(御内人)。 史料上における摂津高親 高親の子・摂津時親 摂津氏歴代の任官年齢 北条高時の烏帽子子 脚注 史料上における摂津高親 細川重男氏がまとめ…

戸次高貞

戸次 高貞(べっき/へつぎ たかさだ、1305年頃?~没年不詳(1320年代後半?))は、鎌倉時代後期の武将、御家人。大友氏の一門・戸次氏の人物。 【表1】各系図類における戸次氏嫡流の記載内容(烏帽子親に関する情報を中心に)*1 上表に示した通り、高貞が元…

葦名高盛

葦名 高盛(あしな たかもり、1318年8月15日?~1335年8月17日)は、鎌倉時代末期の武将。 葦名盛貞(盛員とも)の最初の嫡男。蘆名高盛、芦名高盛とも書く。 【史料A】『会津四家合全』黒川小田山城主佐原十郎義連家系之事*1 より一部抜粋 葦名遠江守盛員(…

安藤高季

安藤 高季(あんどう たかすえ、1315年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての陸奥国の武将、御内人。幼名は犬法師。通称は安藤五郎太郎。父は安藤宗季。 北条高時の烏帽子子 安藤師季 脚注 北条高時の烏帽子子 【史料1】正中2(1325)年9月…

六角時信

佐々木 時信(ささき ときのぶ、1306年~1346年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。のちの六角氏となる家系に生まれ、六角時信(ろっかく ー)とも呼ばれる。父は佐々木頼綱(六角頼綱)。 『尊卑分脈』*1での注記は次の通りである。 …

畠山高国

畠山 高国(はたけやま たかくに、1305年~1351年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人、守護大名。 『尊卑分脈』での注記には「観応二二十二於奥刕(=奥州)為貞家被討四十七才」(=観応2(1351)年2月12日、奥州にて吉良貞家に討たれ、…

京極高氏

佐々木 高氏(ささき たかうじ、1296年~1373年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将、御家人、守護大名。 京極流佐々木宗氏の子。母は佐々木宗綱の娘(貞宗の姉)。 父・宗氏を介して母方の叔父・貞宗の京極流惣領の座を継ぎ、京極高氏(きょうご…

大仏高直

北条 高直(ほうじょう たかなお、1316年頃?~1334年)は、鎌倉時代末期の武将・御家人。 大仏流北条維貞の子で、大仏 高直(おさらぎ ー)とも呼ばれる。 元弘の変における高直 "陸奥右馬権助"高直 生年と烏帽子親の推定 高直の刑死 参考ページ 脚注 元弘の…

武石高広

武石 高広(たけいし たかひろ、1297年~1339年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。 実際の史料上では確認できないが、「千葉大系図」によると、通称は四郎、暦応2(1339)年5月22日の和泉国石津の戦いで高師直の軍勢に敗れ、大将の北畠…

長井高広

長井 高広(ながい たかひろ、旧字:長井髙廣、1305年頃?~没年不詳(1352年以後)) は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての人物、御家人。長井氏の庶流、六波羅評定衆家(泰重流)の当主。 はじめに 長井貞重の嫡男 兄弟・長井勝深について 史料におけ…