Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

工藤氏一門/伊東氏

工藤貞景

工藤 貞景(くどう さだかげ、生年不詳(1280年代?)~1333年?/1334年?)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家被官である御内人。通称および官途は 六郎、左衛門尉。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏助光流一族の者と推測される。工藤時光の子で工藤貞…

横溝高貞

横溝 高貞(よこみぞ たかさだ、1310年頃?~1333年)は、鎌倉時代末期の武将、得宗被官(御内人)。通称は八郎(横溝八郎)。 横溝氏は、元は伊豆国を本貫とする、藤原姓工藤氏一族の御家人であった。「南家 伊東氏藤原姓大系図」によると、工藤景光の弟・時…

工藤貞行

工藤 貞行(くどう さだゆき、1280年代?~1338年?)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武士。藤原南家為憲流工藤氏の一族。通称は中務右衛門尉、右衛門尉。当初は得宗被官(御内人)であったとみられる。 子女に加伊寿御前(かいずごぜん、南部信政室…

工藤貞光

工藤 貞光(くどう さだみつ、生年不詳(1280年代?)~1334年?)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家被官である御内人。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏助光流の当主。 「南家伊東氏藤原姓大系図」*1(以下「大系図」と略記)によると工藤宗光の嫡男…

工藤宗光

工藤 宗光(くどう むねみつ、生年不詳(1260年代?)~1333年頃?)は、鎌倉時代後期から末期にかけての武士。北条氏得宗家被官である御内人。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏助光流の当主。工藤頼光(系図では光頼)の嫡男で工藤貞光の父。官途は右近…

工藤頼光

工藤 頼光(くどう よりみつ、生年不詳(1230年代?)~没年不詳(1290年代?))は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家被官である御内人。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏の一族。系図では工藤光頼(みつより)とも。工藤光長(または光泰)の嫡男で工…

工藤光泰

工藤 光泰(くどう みつやす、生年不詳(1210年代?)~没年不詳(1277年以後?))は、鎌倉時代前期の武士。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏の一族。北条氏得宗家被官である御内人で、鎌倉幕府小侍所所司も務めた。法名は道恵(どうけい)か。通称は三…

【論稿】代数論:世代推定の試み② ー藤原南家・工藤氏一族ー

弟河から為憲まで 為憲からその子孫に至るまで 工藤景光一族の世代推定 脚注 まずは藤原氏の始祖・藤原鎌足から工藤氏一門(他に伊東氏・二階堂氏など)に至るまでの略系図を掲げておきたい。 ▲【図A】藤原南家・工藤氏略系図*1 弟河から為憲まで 鎌足から雄…

【論稿】大光寺合戦における工藤氏一族について

安達高景の "亡命" 説 工藤高景と陸奥国糠部郡における一族の反乱 脚注 安達高景の "亡命" 説 【史料1】『太平記』巻10「高時並一門以下於東勝寺自害事」より一部抜粋 (前略:長崎高重→摂津道準(親鑑)→諏訪直性(宗経)→長崎円喜・長崎新右衛門(高直カ)→相模…

狩野時親

狩野 時親(かのう ときちか、生没年未詳)は、鎌倉時代中・後期の武士、御家人。 通称は六郎左衛門尉、狩野介。 ▲【図A】今野慶信氏作成による狩野氏の略系図*1 近年、今野氏が「南家伊東氏藤原姓大系図」*2の中の伊東氏以外の部分について、他史料との照合…

狩野貞親

狩野 貞親(かのう さだちか、1280年代?~没年不詳(1333年以後))は、鎌倉時代後期の武士、伊豆・駿河国の御家人。通称は六郎左衛門尉、狩野介、狩野介入道。 ▲【図A】今野慶信氏作成による狩野氏の略系図*1 近年、今野氏が「南家伊東氏藤原姓大系図」*2の…

工藤時光

工藤 時光(くどう ときみつ、生年不詳(1250年代後半?)~没年不詳(1325年頃?))は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家被官である御内人。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏の一族。 出家後は工藤二郎右衛門入道と称し(「南家伊東氏藤原姓大系図」)…

工藤貞祐

工藤 貞祐(くどう さだすけ、1283年?~1334年?)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家被官である御内人。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏の一族。内管領(得宗家執事)も務めた工藤時光(杲禅/杲暁)の嫡男。 父親と烏帽子親について 史料上での工藤貞…

伊東貞祐

伊東 貞祐(いとう さだすけ、1290年頃?~1345年カ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。伊東祐宗の嫡男。子に伊東祐持、伊東祐藤、伊東祐将。官途は安芸守。法名は證観 (しょうかん/新字体:証観)。 【史料A】「南家 伊東氏藤原姓大系…

伊東祐頼

伊東 祐頼(いとう すけより、1237年~1293年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。 伊東祐時の8男。母は三浦義澄の娘*1。通称は与一(または余一)、刑部左衛門尉。日向国諸県郡木脇を領したことから、木脇祐頼(きわき ー)とも呼ばれ、木脇氏の祖となった。…

伊東祐宗

伊東 祐宗(いとう すけむね、1265年~1349年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。伊東祐光の嫡男。子に伊東貞祐、益豪、伊東惟祐、伊東憲祐、伊東祐守、伊東祐範、伊東祐忠。官途は大和守。法名は慈證(じしょう/新字体:慈証)。 北条…

河津貞重

河津 貞重(かわづ さだしげ)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。系図によっては河津重貞とも。 父は河津祐重。妻・大野忠貞(紀三郎)の娘との間に嫡男・河津重房がいる。 【史料1】『河津伝記』(『宗像郡誌』下編 所収)*1より ……其(=河津右衛門尉祐重)…

曾我時致

曾我 時致(そが ときむね、1174年~1193年)は、鎌倉時代初期の武将。 ▲月岡芳年 画「芳年武者旡類 五所五郎丸 曽我五郎時宗〔ママ〕」(国立国会図書館所蔵) (http://www.photo-make.jp/hm_2_1/minamoto_soga.html より拝借) 通称は「曾我五郎」。兄・曾…

宇佐美貞祐

宇佐美 貞祐(うさみ さだすけ、1280年頃?~没年不詳(1336年以後))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。 前史:貞祐に至るまでの歴代当主 鎌倉末期における「宇佐美摂津前司」 正安3年の「宇佐美六郎」について 北条貞時との烏帽子親…