Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

北条泰時の偏諱

勅使河原泰直

勅使河原 泰直(てしがわら やすなお、生年不詳(1220年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。勅使河原則直の嫡男。官途は右馬允。 勅使河原氏は、武蔵七党の一つ、丹党の一族で武蔵国賀美郡勅使河原を名字の地とする武士で、祖父・有直の代に鎌…

高島泰信

佐々木 泰信(ささき やすのぶ、1230年頃?~没年不詳(1263年~1292年の間か))は、鎌倉時代中期の武将、御家人。通称および官途は 孫四郎、左衛門尉。佐々木信綱の次男で高島氏の家祖・佐々木(高島)高信の嫡男で、高島泰信(たかしま ―、旧字体:高嶋泰信…

塩谷泰朝

塩谷 泰朝(しおのや やすとも、1214年~1279年、旧字:鹽谷 ―)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。宇都宮氏一門・塩谷氏第3代当主。通称 および 官途は四郎(周防四郎)、兵衛尉、左衛門尉。父は第2代当主・塩谷朝親(『尊卑分脈』では親朝)…

宇都宮泰親

宇都宮 泰親(うつのみや やすちか、1220年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。通称および官途は 五郎、左衛門尉、淡路守。呼び方は横田泰親とも。 父は宇都宮(上条)時綱。叔父・宇都宮(横田)頼業の養子。 『吾妻鏡人名索引』*1…

安保泰実

安保 泰実(あぼ やすざね、生年不詳(1210年頃?)~没年不詳)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。安保実員の嫡男。弟に安保信員(のぶかず)。 通称は次郎、左衛門尉。表記は阿保泰実とも。 北条泰時の烏帽子子 はじめに 近親者や婚姻関係について 父・実員と弟…

三浦泰連 (遠江七郎)

三浦 泰連(みうら やすつら、生年不詳(1220年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。通称は七郎(遠江七郎)。系図上での位置は不明だが、三浦(佐原)盛連の7男か。 『吾妻鏡』建長6(1254)年正月2日条に「遠江十郎頼連 同七郎泰連」として確認…

三浦泰連 (佐原十郎左衛門尉)

佐原 泰連(さはら やすつら、1205年頃?~1247年)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。三浦(佐原)義連の子(10男か)。通称および官途は 十郎、左衛門尉。 『吾妻鏡』での登場数は2箇所*1。宝治元(1247)年6月21日条には留守介*2により「佐原十…

三浦泰連 (佐原七郎左衛門太郎)

佐原 泰連(さはら やすつら、生年不詳(1230年代?)~1247年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。三浦(佐原)政連(まさつら)の子。通称は太郎(七郎左衛門太郎)。 宝治元(1247)年6月22日条にある宝治合戦での戦死者のリストに「佐原七郎左衛門太郎泰連」が含…

三浦時連

三浦 時連(みうら ときつら、1210年頃?~1260年頃?)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。三浦(佐原)盛連の子。母は三浦義村の娘・矢部禅尼。 通称および官途は 六郎、兵衛尉、左衛門尉。法名は観蓮(かんれん)。歴史研究上では、佐原時連、横…

葛西時清

葛西 時清(かさい とききよ、1215年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代前期~中期の武将、御家人。葛西氏宗家第3代当主。通称および官途は 小三郎、三郎、左衛門尉。 父は葛西清親。弟に葛西光清。子に葛西清経、女子(長尾景茂室、景忠母)*1。 "伯耆三郎左衛門…

河越泰重

河越 泰重(かわごえ やすしげ、生年不詳(1210年代?)~1246年頃?)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武蔵国河越館の武将、鎌倉幕府御家人。通称および官途は 次郎、掃部助。河越重時の嫡男。子に河越経重。 泰重の活動について 生年と元服についての考察…

千葉時常

千葉 時常(ちば ときつね、1215年頃?~1247年)は、鎌倉時代初期~中期の武将、御家人。下総国埴生荘(現在の千葉県印旛郡一帯)を継いだことから、埴生時常(はぶ ー)とも呼ばれる。通称は上総介次郎、下総次郎、埴生次郎(表記は垣生次郎とも)。 『吾妻…

千葉泰胤

千葉 泰胤(ちば やすたね、生年未詳(1220年代前半か)~1251年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。下総国香取郡千田庄(現・千葉県香取郡多古町)を領したことから、千田泰胤(ちだ ー)とも呼ばれる。通称は千葉次郎。法名は常存 (じょうぞん) と伝わる(…

小田泰知

小田 泰知(おだ やすとも、1211年~1245年)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。常陸小田氏第3代当主。八田知家の嫡孫。父は知家の長男・小田知重。妻は三浦泰村の娘と伝わる。子に小田時知、女子(結城広綱室、小萱重広母)。通称・官途は奥太郎左衛門尉。 hi…

大友頼泰

大友 頼泰(おおとも よりやす、1222年~1300年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。大友氏第3代当主。初名は大友泰直。法名は道忍(どうにん)。官途は式部大夫、丹後守、出羽守、兵庫頭。 父は大友親秀、母は三浦氏一門・佐原家連の娘。子に大友泰能、大友親時…

工藤光泰

工藤 光泰(くどう みつやす、生年不詳(1210年代?)~没年不詳(1277年以後?))は、鎌倉時代前期の武士。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏の一族。北条氏得宗家被官である御内人で、鎌倉幕府小侍所所司も務めた。法名は道恵(どうけい)か。通称は三…

島津久時

島津 久時(しまづ ひさとき、1225年~1284年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。島津忠時の嫡男で、島津氏の第3代当主。晩年に島津久経(ひさつね)に改名。法名は道忍(どうにん)。子に島津忠宗、島津忠長(久長)。通称は大隅修理亮、下野守など。 はじめ…

島津忠時

島津 忠時(しまづ ただとき、1202年~1272年)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。島津忠久の嫡男で、島津氏第2代当主。子に島津久時(久経)。初名は島津忠義(ただよし)。通称は三郎兵衛尉。大隅守。法名は道仏(どうぶつ)。 『吾妻鏡』に…

宇都宮泰綱

宇都宮 泰綱(うつのみや やすつな、1203年~1261年)は、鎌倉時代前・中期の武将、御家人。宇都宮氏第6代当主。『尊卑分脈』*1等によれば、父は宇都宮頼綱、母は北条時政の娘。 【史料】『吾妻鏡』弘長元(1261)年11月1日条 より 弘長元年十一月大一日己未。…

畠山泰国

畠山 泰国(はたけやま やすくに、1210年?~没年不詳(1270年頃?))は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。足利義純の3男にして嫡男。 生年の推定 『吾妻鏡』等における泰国 烏帽子親の推定 脚注 生年の推定 まずは、『尊卑分脈』の畠山氏系図*1…

長和泰継

長和 泰継(ながわ やすつぐ、生年不詳(1220年代?)~没年不詳) は、鎌倉時代前・中期の人物、御家人。長井時広の庶子で長井泰継(ながい ー)とも。通称は五郎。 『尊卑分脈』・『福原家譜』8巻では、時広の6男として書かれ「長和」・「五郎」の注記がある…

長井泰元

長井 泰元(ながい やすもと、生年不詳(1220年代?)~没年不詳) は、鎌倉時代前・中期の人物、御家人。長井時広の庶子。通称は蔵人(『吾妻鏡』)、修理亮(『尊卑分脈』)。 『吾妻鏡人名索引』*1によると、『吾妻鏡』での登場箇所は以下の通りであるとい…

長井泰茂

長井 泰茂(ながい やすしげ/やすもち、生年不詳(1220年代前半?)~1276年?)は、鎌倉時代前・中期の人物、御家人。通称は長井判官代、出羽守。『福原家譜』7巻の系図によると長井時広の5男で、法名は禅心(ぜんしん)。 北条泰時の烏帽子子 美濃国茜部庄地頭…

千葉時秀

千葉 時秀(ちば ときひで、1215年頃?~1247年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。祖父の千葉常秀が上総国山辺郡堺郷を領したことから、上総時秀(かずさ ー)、堺時秀/境時秀(さかい ー)とも呼ばれる。通称は上総式部丞、上総式部大夫。 父は千葉秀胤。…

千葉泰秀

千葉 泰秀(ちば やすひで、1220年頃?~1247年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。祖父の千葉常秀が上総国山辺郡堺郷を領したことから、上総泰秀(かずさ ー)、堺泰秀/境泰秀(さかい ー)とも呼ばれる。通称は上総五郎左衛門尉。 父は千葉秀胤。母は『系…

上山泰経

上山 泰経(かみやま やすつね、生年不詳(1220年代前半?)~1256年カ)は、鎌倉時代前期の武将。長井時広の3男で長井泰経(ながい ー)とも。 娘が長井茂重(もちしげ)に嫁ぎ、その間に生まれた上山宗元が泰経の名跡を継いだ。 まずは、次の系図3種をご覧い…

毛利泰光

毛利 泰光(もうり やすみつ、1227年頃?~1247年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。父は毛利氏の始祖である大江広元の4男・毛利季光。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 父・季光については、宝治合戦(1247年)で三浦泰村方について自害した時46歳(数え年)…

足利泰氏

足利 泰氏(あしかが やすうじ、1216年~1270年)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府御家人。足利義氏の嫡男で足利宗家第4代当主。 『尊卑分脈』*1などによると、文永7(1270)年5月10日に55歳(数え年、以下同様)で亡くなったといい、『吾妻鏡』建長3(1251)年12月2…

安達泰盛

安達 泰盛(あだち やすもり、1231年~1285年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。 泰盛の生年と烏帽子親について 泰盛の一字付与について 玉村泰清 少弐盛氏(=景資?)・少弐盛経 宇都宮盛綱 大江姓上田(殖田)氏 小笠原流伴野氏 武藤景泰 葦名泰親・葦名…

大曽祢長泰

大曽祢 長泰(おおそね ながやす、1211年~1262年)は鎌倉時代前期の武将、御家人。安達盛長の次男・時長を始祖とする大曾禰氏の第2代当主。呼称は大曾禰長泰(旧字表記)、大曽根長泰、安達長泰とも。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 『尊卑分脈』によれ…