Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

宇多源氏佐々木氏

朽木頼綱

佐々木 頼綱(ささき よりつな、生年不詳(1230年代前半か)~1294年?)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。通称および官途は 五郎、左衛門尉、出羽守。法名は道頼(どうらい)。 『尊卑分脈』佐々木氏系図(以下『分脈』と略記)によると、宇多…

【論稿】鎌倉・室町時代の朽木氏について

朽木氏(くつき - し)は、『尊卑分脈』佐々木氏系図(以下『分脈』と略記)、『寛政重修諸家譜』(以下『寛政譜』と略記)などによると、宇多源氏の流れをひく佐々木信綱の次男で高島氏の家祖となった佐々木(高島)高信の子で、高島宗家を継いだ高島泰信の弟…

佐々木経泰

佐々木 経泰(ささき つねやす、1234年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。佐々木泰綱の最初の嫡男であったが、のちに廃嫡されたとされる。呼び方は六角経泰とも。官途は左衛門尉。子に佐々木朝綱(ともつな)、孫に夢窓疎石がいる。 historyofja…

大原頼重

佐々木 頼重(ささき よりしげ、1236年頃?~没年不詳(1263年以後))は、鎌倉時代中期の武将・御家人。通称および官途は 三郎、左衛門尉。 宇多源氏佐々木氏の支流・大原氏の祖である佐々木(大原)重綱の子(3男か?)。源頼重、大原頼重とも呼ばれる。 まず…

大原時綱

佐々木 時綱(ささき ときつな、1262年~1314年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将・御家人。通称および官途は 九郎、左衛門尉、対馬守。 宇多源氏佐々木氏の支流・大原氏の祖である佐々木(大原)重綱の子で、源時綱、大原時綱とも呼ばれる。妻は兄・佐…

高島泰信

佐々木 泰信(ささき やすのぶ、1230年頃?~没年不詳(1263年~1292年の間か))は、鎌倉時代中期の武将、御家人。通称および官途は 孫四郎、左衛門尉。佐々木信綱の次男で高島氏の家祖・佐々木(高島)高信の嫡男で、高島泰信(たかしま ―、旧字体:高嶋泰信…

京極貞氏

佐々木 貞氏(ささき さだうじ、1290年頃?~1355年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。 京極流佐々木宗氏の子*1。母は佐々木宗綱の娘(貞宗の姉)。京極貞氏(きょうごく ー)、鏡貞氏(かがみ ー)とも呼ばれる。息子に鏡高治、長岡貞高、伊…

六角時信

佐々木 時信(ささき ときのぶ、1306年~1346年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。のちの六角氏となる家系に生まれ、六角時信(ろっかく ー)とも呼ばれる。父は佐々木頼綱(六角頼綱)。 『尊卑分脈』*1での注記は次の通りである。 …

六角氏頼

六角 氏頼(ろっかく うじより、1326年~1370年)は、南北朝時代の武将・守護大名。父は六角時信(佐々木時信)。佐々木氏頼(ささき ー)とも。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 氏頼の名乗り・元服については次の史料が確認できる。 【史料】『瑞石歴代雑…

佐々木泰綱

佐々木 泰綱(ささき やすつな、1213年~1276年)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。仮名は三郎。官途および通称は左衛門尉(近江三郎左衛門尉)、近江大夫判官、壱岐守(壱岐前司・壱岐入道)。法名は生西。のちに六角氏となる近江宇多源氏…

京極高氏

佐々木 高氏(ささき たかうじ、1296年~1373年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将、御家人、守護大名。 京極流佐々木宗氏の子。母は佐々木宗綱の娘(貞宗の姉)。 父・宗氏を介して母方の叔父・貞宗の京極流惣領の座を継ぎ、京極高氏(きょうご…

塩冶高貞

佐々木 高貞(ささき たかさだ、生年不詳(1300年代後半?)~1341年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武士、御家人。塩冶高貞(えんや ー、旧字体:鹽冶髙貞)とも。 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちらの記事▲で父・佐々木貞清が1280年代後半…

六角頼綱

佐々木 頼綱(ささき よりつな、1242年~1311年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。佐々木泰綱の嫡男。仮名は三郎。官途は左衛門尉、備中守。法名は崇西。子に頼明、宗信、盛綱(成綱)、時信など。 のちに六角氏となる近江宇多源氏佐々木氏…

六角宗信

佐々木 宗信(ささき むねのぶ、1267年~1292年(一説に1310年とも))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。のちの六角氏となる家系に生まれ、六角宗信(ろっかく ー)とも呼ばれる。父は佐々木頼綱(六角頼綱)。 「徳源院本 佐々木系図」*1の…

京極宗氏

佐々木 宗氏(ささき むねうじ、1269年~1329年)は、鎌倉時代中期から末期にかけての武将、御家人。京極宗氏(きょうごく ー)とも。 上の図に掲げた『尊卑分脈』の佐々木氏系図には、宗氏に関する注記も見られる。 それによれば、嘉暦4(1329)年7月16日に61…

塩冶貞清

佐々木 貞清(ささき さだきよ、生年不詳(1280年代後半?)~1326年)は、鎌倉時代後期の武士、御家人。塩冶貞清(えんや ー、旧字体:鹽冶貞淸)とも。 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちら▲の記事では、伯父の佐々木時清が仁治3(1242)年生まれ*1で、頼…

高岡宗泰

高岡 宗泰(たかおか むねやす、1255年~1326年)は、鎌倉時代後期の武士、御家人。佐々木宗泰(ささき ー)とも。 通称は八郎左衛門尉。『尊卑分脈』でも佐々木泰清の8男として載せられている*1。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 伝えられるところによる…

塩冶頼泰

佐々木 頼泰(ささき よりやす、1243年頃?~没年不詳(1303年以前))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武士、御家人。塩冶頼泰(えんや ー、旧字体:鹽冶賴泰)とも。 『吾妻鏡』正元2(1260=文応元)年正月1日条には「信濃次郎左衛門尉」(=佐々木時清)…

佐々木泰清

佐々木 泰清(ささき やすきよ、1210年頃?~1287年?(実は1282年?))は、鎌倉時代中期の武士、御家人。隠岐泰清(おき ー)とも。 生年と烏帽子親の推定 『吾妻鏡』での初見 と 父兄との関係 義重・時清との関係 史料における泰清 脚注 生年と烏帽子親の推…

佐々木宗清

佐々木 宗清(ささき むねきよ、生年不詳(1270年代前半か)~没年不詳(1323年以前か))は、鎌倉時代後期の武将、御家人。隠岐宗清(おき ー)とも。 烏帽子親と生年の推定 史料における宗清 参考ページ 脚注 烏帽子親と生年の推定 『尊卑分脈』を見ると、…

佐々木清高

佐々木 清高(ささき きよたか、1295年~1333年)は、鎌倉時代後期から末期にかけての武将、御家人。隠岐清高(おき ー)とも*1 。 父は佐々木宗清、母は佐々木宗綱(京極宗綱)の娘*2。妻は太田時連の娘(『続群書類従』所収系図・『諸家系図纂』所収「佐々…

佐々木時清

佐々木 時清(ささき とききよ、1242年~1305年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武士。隠岐時清(おき ー)とも。 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その102-隠岐時清 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男氏のブログ記事)による経歴は次の通りである。 >…

京極時綱

佐々木 時綱(ささき ときつな、1270年頃?~1286年頃?)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。 京極流佐々木宗綱の嫡子で、京極時綱(きょうごく ー)とも呼ばれる。仮名は又源太か。官途は右衛門尉。 『尊卑分脈』には「右〔または左〕門尉」、…

京極貞宗

佐々木 貞宗(ささき さだむね、1287年~1305年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。 京極流佐々木氏の第3代当主で、京極貞宗(きょうごく ー)とも呼ばれる。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 『尊卑分脈』によれば、佐々木宗綱の3男。長兄…

京極頼氏

佐々木 頼氏(ささき よりうじ、1242年~1297年2月1日)。鎌倉時代の武将、鎌倉幕府の御家人。通称は対馬太郎、佐々木対馬太郎左衛門尉。左衛門尉。豊後守。 のちの京極氏となる家系に生まれ、京極頼氏とも呼ばれる。 佐々木氏信の長男。弟に範綱・満信・宗…