Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧

小田貞宗

小田 貞宗(おだ さだむね、1283年~1335年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。常陸小田氏第5代当主。父は小田宗知。子に小田治久(初め高知)。通称および官途は太郎左衛門尉、常陸介、常陸入道。法名は妙朝(みょうちょう)。 烏帽子…

南条高直

南条 高直(なんじょう たかなお、1300年頃?~1333年)は、鎌倉時代末期の武将、御内人(得宗被官)。南条貞直の嫡男か。 梶川貴子氏の研究*1により、南条高直については実名の書かれた史料類が幾つか残されていることが判明している。以下に列挙しながら解…

南条貞直

南条 貞直(なんじょう さだなお、生年不詳(1270年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代後期~末期の武将、御内人(得宗被官)。南条高直の父か。 既に先行研究において梶川貴子氏が紹介されているが、まずは南条貞直の実在と活動が確認できる2点の史料を掲げてお…

結城宗広

結城 宗広(ゆうき むねひろ、旧字表記:結城宗廣、1269年カ(1266年とも)~1339年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。 白河結城氏第2代当主。通称(官途)は弥七(孫七とする説も)、左衛門尉、上野介、結城上野入道。法名は道忠(どうちゅ…

工藤貞行

工藤 貞行(くどう さだゆき、1280年代?~1338年?)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武士。藤原南家為憲流工藤氏の一族。通称は中務右衛門尉、右衛門尉。当初は得宗被官(御内人)であったとみられる。 子女に加伊寿御前(かいずごぜん、南部信政室…

工藤貞光

工藤 貞光(くどう さだみつ、生年不詳(1280年代?)~1334年?)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家被官である御内人。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏助光流の当主。 「南家伊東氏藤原姓大系図」*1(以下「大系図」と略記)によると工藤宗光の嫡男…

工藤宗光

工藤 宗光(くどう むねみつ、生年不詳(1260年代?)~1333年頃?)は、鎌倉時代後期から末期にかけての武士。北条氏得宗家被官である御内人。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏助光流の当主。工藤頼光(系図では光頼)の嫡男で工藤貞光の父。官途は右近…

工藤頼光

工藤 頼光(くどう よりみつ、生年不詳(1230年代?)~没年不詳(1290年代?))は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家被官である御内人。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏の一族。系図では工藤光頼(みつより)とも。工藤光長(または光泰)の嫡男で工…

工藤光泰

工藤 光泰(くどう みつやす、生年不詳(1210年代?)~没年不詳(1277年以後?))は、鎌倉時代前期の武士。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏の一族。北条氏得宗家被官である御内人で、鎌倉幕府小侍所所司も務めた。法名は道恵(どうけい)か。通称は三…

【論稿】代数論:世代推定の試み② ー藤原南家・工藤氏一族ー

弟河から為憲まで 為憲からその子孫に至るまで 工藤景光一族の世代推定 脚注 まずは藤原氏の始祖・藤原鎌足から工藤氏一門(他に伊東氏・二階堂氏など)に至るまでの略系図を掲げておきたい。 ▲【図A】藤原南家・工藤氏略系図*1 弟河から為憲まで 鎌足から雄…