Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

大江長井氏

長和泰継

長和 泰継(ながわ やすつぐ、生年不詳(1220年代?)~没年不詳) は、鎌倉時代前・中期の人物、御家人。長井時広の庶子で長井泰継(ながい ー)とも。通称は五郎。 『尊卑分脈』・『福原家譜』8巻では、時広の6男として書かれ「長和」・「五郎」の注記がある…

長井泰元

長井 泰元(ながい やすもと、生年不詳(1220年代?)~没年不詳) は、鎌倉時代前・中期の人物、御家人。長井時広の庶子。通称は蔵人(『吾妻鏡』)、修理亮(『尊卑分脈』)。 『吾妻鏡人名索引』*1によると、『吾妻鏡』での登場箇所は以下の通りであるとい…

長井泰茂

長井 泰茂(ながい やすしげ/やすもち、生年不詳(1220年代前半?)~1276年?)は、鎌倉時代前・中期の人物、御家人。通称は長井判官代、出羽守。『福原家譜』7巻の系図によると長井時広の5男で、法名は禅心(ぜんしん)。 北条泰時の烏帽子子 美濃国茜部庄地頭…

長井貞広

長井 貞広(ながい さだひろ、1271年~1323年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。通称は長井備前左近大夫。 『尊卑分脈』等の長井氏系図で長井時秀の子、長井宗秀の弟として載せられており、「左将監(=左近将監)」・「従五下(=従五位下)」等の注記も見…

長井氏元

長井 氏元(ながい うじもと、1340年前後~没年不詳)は、南北朝時代の武将。 『尊卑分脈』*1には長井挙冬の嫡男として記載され、「新後集作者」・「掃部頭」・「従五位下」と注記されているが、他の幾つかの長井氏系図でも内容は変わらない。 historyofjapan-…

長井高冬

長井 高冬(ながい たかふゆ、1314年~1347年)は、 鎌倉時代末期から南北朝時代の武将。大江姓長井氏嫡流の当主。のち長井挙冬(読み同じ)に改名。通称は備前二郎、右馬助。 関係史料の紹介と烏帽子親について 系譜についての一考察 脚注 関係史料の紹介と…

長井高秀

長井 高秀(ながい たかひで、1305年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期~末期の武将、御家人。通称は治部少輔。 まずは、細川重男氏がまとめられた経歴表*1を紹介しよう。 >>>>>>>>>>>>>>> №138 長井高秀 系譜・生没年未詳 治部少輔(金文443…

上山泰経

上山 泰経(かみやま やすつね、生年不詳(1220年代前半?)~1256年カ)は、鎌倉時代前期の武将。長井時広の3男で長井泰経(ながい ー)とも。 娘が長井茂重(もちしげ)に嫁ぎ、その間に生まれた上山宗元が泰経の名跡を継いだ。 まずは、次の系図3種をご覧い…

上山貞泰

上山 貞泰(かみやま さだやす、1290年頃?~没年不詳(1330年代?))は、鎌倉時代後期の武将。 『尊卑分脈』や『毛利家系図』*1、『萩藩閥閲録』所収の上山氏系図*2に上山宗元の子として載せられており、「従五位下」「左衛門尉」「因幡守」の注記が見られる…

上山宗元

上山 宗元(かみやま むねもと、生年不詳(1260年代後半?)~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将。通称は太郎、修理亮、備前守。系図によっては「宗光 (むねみつ)」とするものもある。 長井茂重(もちしげ)の長男。母は上山泰経の娘。弟に長井宗衡がいる。 ま…

上山高元

上山 高元(かみやま たかもと、1311年~1348年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。通称は六郎左衛門、修理亮。 【史料】『常楽記』より*1 貞和四年戊子 正月五日 上山修理亮高元 卅八 東條合戦打死 この史料により、貞和4(1348)年1月5日に38…

長井宗衡

長井 宗衡(ながい むねひら、1270年頃?~1355年頃?)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。通称・官途は次郎、丹後守(丹後前司・丹後入道)。 長井茂重(もちしげ)の次男。母は不詳。兄に上山宗元、子に長井秋衡がいる。 史料上における宗衡 宗衡…

長井高広

長井 高広(ながい たかひろ、旧字:長井髙廣、1305年頃?~没年不詳(1352年以後)) は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての人物、御家人。長井氏の庶流、六波羅評定衆家(泰重流)の当主。 官途は左近大夫将監、縫殿頭。法名は高阿(こうあ)か。 はじめ…

長井貞重

長井 貞重(ながい さだしげ、1272年~1331年) は、鎌倉時代後期の人物、在京御家人。長井氏の庶流、六波羅評定衆家(泰重流)の当主。官途は掃部助、縫殿頭。 父は長井頼重。子に長井高広、僧・勝深。 北条貞時の烏帽子子 貞重に関する史料の紹介 脚注 北条…

長井頼重

長井 頼重(ながい よりしげ、1243年頃?~没年不詳(1295年頃?)) は、鎌倉時代中・後期の人物、御家人。長井氏庶流、六波羅評定衆家(泰重流)の第2代当主。 長井泰重の嫡男。子に長井貞重。通称および官途は左衛門尉(左衛門大夫)、因幡守。法名は実円(…

長井泰重

長井 泰重(ながい やすしげ、1220年頃?~没年不詳(1270年代半ば頃?)) は、鎌倉時代前・中期の人物、御家人。長井氏の庶流、六波羅評定衆家の初代当主。 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちら▲の記事で、兄・泰秀の生年が1212年であることを紹介した。…

長井貞秀

長井 貞秀(ながい さだひで、1280年頃?(1280年代前半)~1308年3月12日)は、鎌倉時代後期の御家人、幕府官僚。大江貞秀(おおえ ー)とも。父は長井宗秀、母は北条(金沢)実時の娘。主な通称および官途は、新蔵人、左衛門少尉、中務少輔(中書)、兵庫頭(…

長井時秀

長井 時秀(ながい ときひで、1242年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代中期の御家人、幕府官僚。大江時秀(おおえ ー)とも呼ばれる。通称および官途は太郎、宮内権大輔、備前守。子に女子(北条政長室、時敦母)*1、長井宗秀、長井貞広、女子(宇都宮貞綱室、公…

長井泰秀

長井 泰秀(ながい やすひで、1212年~1254年)は、鎌倉時代中期の御家人、幕府官僚。大江泰秀(おおえ ー)とも呼ばれる。 【史料】『吾妻鏡』より 建長五年十二月大廿一日乙丑。晴。前甲斐守正五位下大江朝臣泰秀卒 年四十二。 この史料により、建長5(1253…

長井宗秀

長井 宗秀(ながい むねひで、1265年~1327年)は、鎌倉時代後期の御家人、幕府官僚。 父は長井時秀、母は安達義景の娘。大江宗秀(おおえ ー)とも呼ばれる。通称および官途は備前太郎、宮内権大輔、掃部頭。法名は道雄(どうゆう)。 historyofjapan-henki.h…