Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

2018-01-01から1年間の記事一覧

足利尊氏

足利 尊氏(あしかが たかうじ、1305年~1358年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。初めは鎌倉幕府の御家人で 足利高氏(読み同じ)を名乗っていた。のち室町幕府の初代征夷大将軍。 父は足利貞氏。母は上杉頼重の娘・清子。 ▲伝足利尊氏像(浄土寺蔵…

【論稿】北条得宗家と足利氏の烏帽子親子関係成立について

[目次] 北条・足利両家の一字共有 得宗からの一字拝領の慣例化 足利泰氏の一字拝領 と 北条・足利両家の関係性 泰氏の子の命名 と 足利頼氏の改名の意味 時宗による足利家時への一字付与 "得宗専制"下での烏帽子親子関係 家時と宗家 貞時による足利貞氏への…

【論稿】北条高時滅亡後の改名現象・補

備考: 改名を行った家柄について 足利氏一門 三浦氏一族 千葉氏 武田氏 小笠原氏 佐々木氏一門 伊東氏 その他の氏族 総括 脚注 前回記事では、鎌倉幕府滅亡後、最後の得宗(鎌倉幕府第14代執権)であった北条高時からの偏諱「高」を棄てる形で改名する御家…

【論稿】北条高時滅亡後の改名現象

historyofjapan-henki.hateblo.jp ▲前回記事では、江戸幕府滅亡後の改名事例を取り扱った。 本項では、鎌倉幕府滅亡後の改名現象について紹介する。 [目次] はじめに ―二階堂氏の改名現象を例に― 〔史料A〕補注 高時滅亡後の改名現象 〔表C〕補注 改名の理…

【コラム】明治維新期の改名現象

今年2018年(本項執筆当時)で、明治新政府が出来てから150年が経ちました。 江戸時代には、主に外様大名が徳川将軍に拝謁し、その偏諱を賜るということが慣例的に行われていましたが、江戸幕府滅亡後、それを改める者もいました。 まとめると以下の通りで、…

斯波家兼

斯波 家兼(しば いえかね、1308年~1356年6月13日)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。 活動の詳細については 斯波家兼 - Wikipedia を参照。本項では名乗りに関する考察を述べたいと思う。 改名の時期と理由 historyofjapan-henki.hateblo.jp…

斯波高経

斯波 高経(しば たかつね、1305年~1367年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将にかけての武将、守護大名。足利高経(あしかが ー)とも。 『続群書類従』所収「山野辺(山野邊)氏系図」*1の高経の注記に「貞治六年七月十三日卒。年六十三。」とあり、1…

真壁高幹

真壁 高幹(まかべ たかもと、1299年~1354年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。 真壁氏は桓武平氏の一門・大掾氏(多気氏)より分かれた一族で「幹」を通字としていた。 父は真壁幹重とされる。川島孝一氏の説によると、1299年9月生まれ*1。…

小山時長

小山 時長(おやま ときなが、1246年~1276年)は、鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府の御家人。 通称は五郎、左衛門尉、下野大掾。父は小山長村、母は海東忠成の娘。(以上『尊卑分脈』より) 『鎌倉大日記』建治二年の項に「五月小山判官時長卒、三十一歳」*1…

鎌倉時代の一字付与

historyofjapan-henki.hateblo.jp ▲前回記事 に紹介した論文のうち、 今野 慶信 氏「鎌倉武家社会における元服儀礼の確立と変質」(所収:『駒沢女子大学 研究紀要 第24号』P.37~55、2017年) の文末には、鎌倉時代の元服について史料・系図などで判明して…

偏諱に関する研究・論文

このページでは、当ブログで主に扱っている、 鎌倉時代 ~ 南北朝時代 の “偏諱” についての先行研究(論文など)を紹介します。 同時代は後の室町・江戸時代のような一字書出や加冠状といった、元服に関する史料がほとんど残っていないため、その “偏諱” に…

宇都宮経綱

宇都宮 経綱(うつのみや つねつな、1233年頃?~1258年頃?)は、鎌倉時代中期の武将、鎌倉幕府の御家人。通称・官途は宇都宮下野七郎、尾張守。 父は宇都宮泰綱、母は名越朝時の娘。娘に北条宗宣室、北条宗房室。 はじめに 北条経時の義弟、烏帽子子 系図上…

京極頼氏

佐々木 頼氏(ささき よりうじ、1242年~1297年2月1日)。鎌倉時代の武将、鎌倉幕府の御家人。通称は対馬太郎、佐々木対馬太郎左衛門尉。左衛門尉。豊後守。 のちの京極氏となる家系に生まれ、京極頼氏とも呼ばれる。 佐々木氏信の長男。弟に範綱・満信・宗…

河越高重

河越 高重(かわごえ たかしげ、1300年代初頭? - 1340年頃?)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将、河越氏嫡流の当主。通称は次郎。三河守。 河越高重 - Wikipedia 本項は、Wikipediaに準拠し、法名:円重といった誤りの指摘や、経歴の追加など、史…

河越重時・泰重・経重 最新経歴表

historyofjapan-henki.hateblo.jp 以前の記事▲で河越氏が代々北条氏得宗の一字(偏諱) を賜っていたことを紹介した。 本項ではその得宗からの偏諱を頼りにおおよその元服の年次を推測し、それに基づいて、『吾妻鏡人名索引』*1等に見える河越泰重・経重 父…

鎌倉時代の河越氏

『平氏江戸譜』河越氏系図 河越氏と北条氏得宗家の烏帽子親子関係 河越宗重 と 河越貞重 脚注 『平氏江戸譜』河越氏系図 次の図は、『川越市史 第二巻中世編』(川越市、1985年)P.162に掲載されている、中山信名撰『平氏江戸譜』(静嘉堂文庫蔵)所収の河越…

鎌倉時代の元服と北条氏による一字付与

★『吾妻鏡』:曾我時致 の元服 ★『吾妻鏡』:佐々木頼綱(六角頼綱)の元服 ★大友頼泰 の一字拝領 ★戸次時親 の元服 ★足利高氏(のちの足利尊氏)の元服 まとめと考察 脚注 実名を名乗るのは、現在の成人式にあたる元服の時で、幼名から改名する。この時、烏…

偏諱 について・入門

まず、最初に言っておきます。 このブログは、かなりマニアックな内容を扱っています。 歴史好きの方でも一概に興味を持つような内容ではないかもしれません。 なので、面白そうだなと思った方に見ていただければと思います。 さて、皆さんは歴史上の人物(…