Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

千葉時胤

千葉 時胤(ちば ときたね、1218年~1241年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。千葉氏第7代当主。通称は千葉介。子に千葉頼胤。 時胤の系譜について 時胤の系譜については、各系図によって異なっている。 ●『神代本千葉系図』『徳島本千葉系図』『平朝臣徳嶋…

二階堂頼綱

二階堂 頼綱(にかいどう よりつな、1239年~1283年)は、鎌倉時代中期の御家人。鎌倉幕府政所執事。 『尊卑分脈』によれば、父は二階堂行綱。その次男・頼綱の項に「弘安六十廿四卒四十五」(弘安6(1283)年10月24日、数え45歳で死去)とあり*1、逆算すると…

武石高広

武石 高広(たけいし たかひろ、1297年~1339年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。 実際の史料上では確認できないが、「千葉大系図」によると、通称は四郎、暦応2(1339)年5月22日の和泉国石津の戦いで高師直の軍勢に敗れ、大将の北畠…

長井高広

長井 高広(ながい たかひろ、旧字:長井髙廣、1305年頃?~没年不詳(1352年以後)) は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての人物、御家人。長井氏の庶流、六波羅評定衆家(泰重流)の当主。 官途は左近大夫将監、縫殿頭。法名は高阿(こうあ)か。 はじめ…

長井貞重

長井 貞重(ながい さだしげ、1272年~1331年) は、鎌倉時代後期の人物、在京御家人。長井氏の庶流、六波羅評定衆家(泰重流)の当主。官途は掃部助、縫殿頭。 父は長井頼重。子に長井高広、僧・勝深。 北条貞時の烏帽子子 貞重に関する史料の紹介 脚注 北条…

長井頼重

長井 頼重(ながい よりしげ、1243年頃?~没年不詳(1295年頃?)) は、鎌倉時代中・後期の人物、御家人。長井氏庶流、六波羅評定衆家(泰重流)の第2代当主。 長井泰重の嫡男。子に長井貞重。通称および官途は左衛門尉(左衛門大夫)、因幡守。法名は実円(…

長井泰重

長井 泰重(ながい やすしげ、1220年頃?~没年不詳(1270年代半ば頃?)) は、鎌倉時代前・中期の人物、御家人。長井氏の庶流、六波羅評定衆家の初代当主。 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちら▲の記事で、兄・泰秀の生年が1212年であることを紹介した。…

長井貞秀

長井 貞秀(ながい さだひで、1280年頃?(1280年代前半)~1308年3月12日)は、鎌倉時代後期の御家人、幕府官僚。大江貞秀(おおえ ー)とも。父は長井宗秀、母は北条(金沢)実時の娘。主な通称および官途は、新蔵人、左衛門少尉、中務少輔(中書)、兵庫頭(…

長井時秀

長井 時秀(ながい ときひで、1242年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代中期の御家人、幕府官僚。大江時秀(おおえ ー)とも呼ばれる。通称および官途は太郎、宮内権大輔、備前守。子に女子(北条政長室、時敦母)*1、長井宗秀、長井貞広、女子(宇都宮貞綱室、公…

長井泰秀

長井 泰秀(ながい やすひで、1212年~1254年)は、鎌倉時代中期の御家人、幕府官僚。大江泰秀(おおえ ー)とも呼ばれる。 【史料】『吾妻鏡』より 建長五年十二月大廿一日乙丑。晴。前甲斐守正五位下大江朝臣泰秀卒 年四十二。 この史料により、建長5(1253…

長井宗秀

長井 宗秀(ながい むねひで、1265年~1327年)は、鎌倉時代後期の御家人、幕府官僚。 父は長井時秀、母は安達義景の娘。大江宗秀(おおえ ー)とも呼ばれる。通称および官途は備前太郎、宮内権大輔、掃部頭。法名は道雄(どうゆう)。 historyofjapan-henki.h…

太田貞連

太田 貞連(おおた さだつら、生年不詳(1290年代)~1334年?)は、鎌倉~南北朝時代の幕府実務官僚。鎌倉幕府最後の問注所執事。通称は信濃左近大夫。三善氏の末裔で三善貞連(みよし ー)とも呼ばれる*1。 <三善姓太田氏略系図> 康信―康連―康有―時連―貞…

太田時連

太田 時連(おおた ときつら、1269年~1345年)は、鎌倉~南北朝時代の幕府実務官僚、問注所執事。三善氏の末裔で三善時連(みよし ー)とも呼ばれる*1。 <三善姓太田氏略系図> 康信―康連―康有―時連―貞連―顕行 *『萩藩閥閲録』巻30「椙杜伊織」所収の三善…

塩冶高貞

佐々木 高貞(ささき たかさだ、生年不詳(1300年代後半?)~1341年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武士、御家人。塩冶高貞(えんや ー、旧字体:鹽冶髙貞)とも。 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちらの記事▲で父・佐々木貞清が1280年代後半…

六角頼綱

佐々木 頼綱(ささき よりつな、1242年~1311年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。佐々木泰綱の嫡男。仮名は三郎。官途は左衛門尉、備中守。法名は崇西。子に頼明、宗信、盛綱(成綱)、時信など。 のちに六角氏となる近江宇多源氏佐々木氏…

葛西宗清

葛西 宗清(かさい むねきよ、1264年頃?~没年不詳(1305年以降))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。葛西氏宗家第5代当主。仮名は三郎。官途は左衛門尉、のち壱岐守か。葛西清経の嫡男とされる。 『勘仲記』を見ると、弘安7(1284)年12月9日…

六角宗信

佐々木 宗信(ささき むねのぶ、1267年~1292年(一説に1310年とも))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。のちの六角氏となる家系に生まれ、六角宗信(ろっかく ー)とも呼ばれる。父は佐々木頼綱(六角頼綱)。 「徳源院本 佐々木系図」*1の…

京極宗氏

佐々木 宗氏(ささき むねうじ、1269年~1329年)は、鎌倉時代中期から末期にかけての武将、御家人。京極宗氏(きょうごく ー)とも。 上の図に掲げた『尊卑分脈』の佐々木氏系図には、宗氏に関する注記も見られる。 それによれば、嘉暦4(1329)年7月16日に61…

塩冶貞清

佐々木 貞清(ささき さだきよ、生年不詳(1280年代後半?)~1326年)は、鎌倉時代後期の武士、御家人。塩冶貞清(えんや ー、旧字体:鹽冶貞淸)とも。 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちら▲の記事では、伯父の佐々木時清が仁治3(1242)年生まれ*1で、頼…

高岡宗泰

高岡 宗泰(たかおか むねやす、1255年~1326年)は、鎌倉時代後期の武士、御家人。佐々木宗泰(ささき ー)とも。 通称は八郎左衛門尉。『尊卑分脈』でも佐々木泰清の8男として載せられている*1。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 伝えられるところによる…