Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

2019-01-01から1年間の記事一覧

安東貞忠

安東 貞忠(あんどう さだただ、1290年頃?~没年不詳(1330年頃?))は、鎌倉時代後期の武将、得宗被官。 安東貞忠の実在については次の史料で確認ができる。 【史料1】(正中3(1326=嘉暦元)年?)正月17日付「金沢貞顕書状」(『金沢文庫文書』)*1 御吉事…

二階堂貞綱

二階堂 貞綱(にかいどう さだつな、1260年代?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の御家人。 生年の推定 息子・二階堂行朝(行珍)について 貞綱の名乗りについて 脚注 生年の推定 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちら▲の記事で紹介した通り、『尊卑分脈』に…

渋川貞頼

渋川 貞頼(しぶかわ さだより、1280年頃?~1325年頃?)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。足利氏一門・渋川氏の第3代当主。 『尊卑分脈』*1によれば、通称は彦三郎、父は渋川義春、母は北条時広の娘「あかはん」(「越前守平時廣女」)と伝わる。源貞頼、足…

佐竹貞義

佐竹 貞義(さたけ さだよし、1287年~1352年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。佐竹氏第8代当主。 ▲『古押譜』より、佐竹貞義の花押*1 『正宗寺記』など複数の史料・系図類によれば、文和元(1352)年9月10日に66歳で亡くなったといい*2、逆算…

後藤基胤

後藤 基胤(ごとう もとたね、1265年頃?~没年不詳(1330年頃?))は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 『尊卑分脈』*1(以下『分脈』と略記)によれば、父は後藤基頼、宇都宮頼業(横田頼業)の娘を母とする兄(異母兄か)に後藤基宗がいる。官途は信濃守。法…

尾藤時綱

尾藤 時綱(びとう ときつな、生年不詳(1260年代?)~1331年頃?)は、鎌倉時代後期の武将、御内人(得宗被官)。尾藤頼景(景頼)の嫡男。通称および官途は二郎、左衛門尉、左衛門入道。法名は演心(えんしん)。初名は尾藤時景(ときかげ)とも(『尊卑分脈』)…

毛利時親

毛利 時親(もうり ときちか、1258年頃?~1341年)は、鎌倉時代中期から南北朝時代にかけての武将、御家人、安芸毛利氏の当主。父は毛利経光。通称および官途は四郎、刑部少輔。法名は了禅(りょうぜん)。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 祖父・毛利季光(大…

毛利貞親

毛利 貞親(もうり さだちか、1280年頃?~1351年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。安芸毛利氏。通称および官途は次郎(『毛利家系図』)*1、右近大夫。法名は朗乗(ろうじょう)。 父は毛利時親。母は長崎泰綱の娘・亀谷局。 生年と烏…

狩野時親

狩野 時親(かのう ときちか、生没年未詳)は、鎌倉時代中・後期の武士、御家人。 通称は六郎左衛門尉、狩野介。 ▲【図A】今野慶信氏作成による狩野氏の略系図*1 近年、今野氏が「南家伊東氏藤原姓大系図」*2の中の伊東氏以外の部分について、他史料との照合…

狩野貞親

狩野 貞親(かのう さだちか、1280年代?~没年不詳(1333年以後))は、鎌倉時代後期の武士、伊豆・駿河国の御家人。通称は六郎左衛門尉、狩野介、狩野介入道。 ▲【図A】今野慶信氏作成による狩野氏の略系図*1 近年、今野氏が「南家伊東氏藤原姓大系図」*2の…

戸次時親

戸次 時親(べっき/へつぎ ときちか、1258年頃?~1290年)は、鎌倉時代中・後期の武将、御家人。大友氏の一門・戸次氏の当主。 【表1】各系図類における戸次氏嫡流の記載内容(烏帽子親に関する情報を中心に)*1 上表に示した通り、時親が北条時宗を加冠役(…

戸次貞直

戸次 貞直(べっき/へつぎ さだなお、1278年頃?~1333年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。大友氏の一門・戸次氏の当主。戸次時親の嫡男。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 【表1】各系図類における戸次氏嫡流の記載内容(烏帽子親に関する情報を中心に)*1…

工藤時光

工藤 時光(くどう ときみつ、生年不詳(1250年代後半?)~没年不詳(1325年頃?))は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家被官である御内人。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏の一族。 出家後は工藤二郎右衛門入道と称し(「南家伊東氏藤原姓大系図」)…

工藤貞祐

工藤 貞祐(くどう さだすけ、1283年?~1334年?)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家被官である御内人。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏の一族。内管領(得宗家執事)も務めた工藤時光(杲禅/杲暁)の嫡男。 父親と烏帽子親について 史料上での工藤貞…

千竈時家

千竈 時家(ちかま ときいえ、生年未詳(1270年頃?)~没年未詳)は、鎌倉時代後期の武士、御家人、御内人(得宗被官)。 前史 千竈時家の譲状と烏帽子親について 脚注 前史 千竈氏は桓武平氏高望流秩父氏の末裔とされ、鎌倉時代を通じて尾張国千竈郷(現・…

千竈貞泰

千竈 貞泰(ちかま さだやす、1290年頃?~没年不詳(1334年以後か))は、鎌倉時代後期の武士、御家人、御内人(得宗被官)。千竈時家の嫡男。通称は千竈六郎。 千竈氏は桓武平氏高望流秩父氏の末裔とされ*1、鎌倉時代を通じて、尾張国千竈郷(現・名古屋市…

石川時光

石川 時光(いしかわ ときみつ、1260年頃?~1335年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。大和源氏の流れを汲む陸奥石川氏の第13代当主。 【史料】『源流無尽』所収「石川系図」より*1 時光公 母堂経時朝臣女、称六郎、実山月公之季子、先公養為世子、於鎌倉府…

石川貞光

石川 貞光(いしかわ さだみつ、生年不詳(1280年代?)~1341年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。大和源氏の流れを汲む陸奥石川氏の第14代当主。 【史料】『源流無尽』所収「石川系図」より*1 母堂義生朝臣女、 貞光公 称太郎、実通山公之嫡子、故立為世子…

結城時広

結城 時広(ゆうき ときひろ、旧字表記:結城時廣、1267年(1271年とも)~1290年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。下総結城氏第4代当主。 父は結城広綱。母は二階堂行忠の娘*1。 市村高男氏の見解によれば、結城氏第2代当主・朝広の息子の…

結城貞広

結城 貞広(ゆうき さだひろ、旧字表記:結城貞廣、1289年~1309年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。下総結城氏第5代当主。 父は4代当主・結城時広。母は小山時村の娘*1。子に結城朝高(朝祐)。 historyofjapan-henki.hateblo.jp ▲【図A】「結城系図」(東京…

【論稿】結城氏の系図について

下野の豪族・結城(ゆうき)氏は、三上山の百足退治の伝説や平将門の乱で有名な "俵藤太" こと藤原秀郷を祖とし、末裔である小山政光の3男・朝光のときに烏帽子親の源頼朝から下総国結城(現・茨城県結城市)を与えられて本領とし、これを姓としたことに始ま…

安達頼景

安達 頼景(あだち よりかげ、1229年~1292年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。安達義景の長男。関戸頼景(せきど ー)とも。 安達泰盛の庶兄 烏帽子親の推定 脚注 安達泰盛の庶兄 頼景の活動経歴については、『吾妻鏡』のほか、主に『関東評定衆伝』弘長3…

赤橋義宗

北条 義宗(ほうじょう よしむね、1253年~1277年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。赤橋流北条氏第2代当主で赤橋義宗(あかはし ー)とも。 第6代執権・北条長時の嫡男(長男)。六波羅探題北方や第2代連署などを歴任した北条重時の嫡孫にあたる。 ▲赤橋流…

六角時信

佐々木 時信(ささき ときのぶ、1306年~1346年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。のちの六角氏となる家系に生まれ、六角時信(ろっかく ー)とも呼ばれる。父は佐々木頼綱(六角頼綱)。 『尊卑分脈』*1での注記は次の通りである。 …

六角氏頼

六角 氏頼(ろっかく うじより、1326年~1370年)は、南北朝時代の武将・守護大名。父は六角時信(佐々木時信)。佐々木氏頼(ささき ー)とも。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 氏頼の名乗り・元服については次の史料が確認できる。 【史料】『瑞石歴代雑…

安達泰盛

安達 泰盛(あだち やすもり、1231年~1285年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。 泰盛の生年と烏帽子親について 泰盛の一字付与について 玉村泰清 少弐盛氏(=景資?)・少弐盛経 宇都宮盛綱 大江姓上田(殖田)氏 小笠原流伴野氏 武藤景泰 葦名泰親・葦名…

安達時長

安達 時長(あだち ときなが、1261年頃?~1285年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 安達氏の祖・安達盛長の次男にも同名の人物(安達時長/大曾彌時長)がいるが、本項では下記【系図A】に安達時盛の子として掲載の四郎左…

大曽祢盛経

大曽祢 盛経(おおそね もりつね、1212年頃?~没年不詳)は鎌倉時代中期の武将、御家人。 安達盛長の次男で大曾禰氏の始祖である大曾禰時長の次男で、2代当主・大曾禰長泰の弟。呼称は大曾禰盛経(旧字表記)、大曽根盛経とも。 historyofjapan-henki.hateblo…

安達時景

安達 時景(あだち ときかげ、1253年?~1285年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。 生年の推定 北条時宗の烏帽子子 脚注 生年の推定 ▲【系図A】安達氏略系図*1 historyofjapan-henki.hateblo.jp 系図類によれば、時景は安達義景の末子であり、義景が亡くなる…

大曽祢時長

大曽祢 時長(おおそね ときなが)は鎌倉時代前期の武将、御家人。 安達盛長の次男で、安達景盛の弟。通称は次郎、九郎次郎、九郎藤次。呼称は大曾禰時長(旧字表記)、大曽根時長、安達時長とも。安達氏より分かれ、出羽国大曾禰荘を領したことから大曾禰氏…