Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

千葉氏一門

千葉時常

千葉 時常(ちば ときつね、1215年頃?~1247年)は、鎌倉時代初期~中期の武将、御家人。下総国埴生荘(現在の千葉県印旛郡一帯)を継いだことから、埴生時常(はぶ ー)とも呼ばれる。通称は上総介次郎、下総次郎、埴生次郎(表記は垣生次郎とも)。 『吾妻…

千葉泰胤

千葉 泰胤(ちば やすたね、生年未詳(1220年代前半か)~1251年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。下総国香取郡千田庄(現・千葉県香取郡多古町)を領したことから、千田泰胤(ちだ ー)とも呼ばれる。通称は千葉次郎。法名は常存 (じょうぞん) と伝わる(…

千葉氏胤

千葉 氏胤(ちば うじたね、1335年 または 1337年~1365年)は、南北朝時代の武将。父は千葉貞胤。母は曽谷教信(日礼)の姪・法頂尼と伝わる。通称は千葉新介、千葉介。 『本土寺過去帳』によると氏胤は貞治4(1365)年9月13日に亡くなったとされ、『増上寺本…

千葉一胤

千葉 一胤(ちば かずたね、1312年頃?~1336年)は、南北朝時代の武将。父は千葉貞胤。通称は千葉新介。初名は千葉高胤 (たかたね) か。 『千葉大系図』では貞胤の子、氏胤の兄弟として一胤を載せ、その注記では「一」の部分について「高」とする別説(「一 …

千葉高胤

千葉 高胤(ちば たかたね、1310年頃?~1334年?)は、鎌倉時代末期の武将、御家人。千葉胤貞の最初の嫡子とみられる。通称は千葉小太郎。 『神代本 千葉系図』には胤貞の子として小太郎 高胤の記載が見られ*1、肥前国小城郡の雲海山岩蔵寺に所蔵されていた『…

千葉時秀

千葉 時秀(ちば ときひで、1215年頃?~1247年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。祖父の千葉常秀が上総国山辺郡堺郷を領したことから、上総時秀(かずさ ー)、堺時秀/境時秀(さかい ー)とも呼ばれる。通称は上総式部丞、上総式部大夫。 父は千葉秀胤。…

千葉泰秀

千葉 泰秀(ちば やすひで、1220年頃?~1247年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。祖父の千葉常秀が上総国山辺郡堺郷を領したことから、上総泰秀(かずさ ー)、堺泰秀/境泰秀(さかい ー)とも呼ばれる。通称は上総五郎左衛門尉。 父は千葉秀胤。母は『系…

相馬高胤

相馬 高胤(そうま たかたね、1315年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将、下総相馬氏当主。通称は小次郎。 相馬氏の系図上では確認できない人物だが、次の史料により実在が確かめられる。 【史料A】元弘4(1334=建武元)年正月付「…

千葉胤貞

千葉 胤貞(ちば たねさだ、1288年~1336年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 はじめに 生誕と元服 参考ページ 脚注 はじめに historyofjapan-henki.hateblo.jp 千葉宗胤の嫡男。『尊卑分脈』では宗胤の子は「貞胤」となっており、「貞胤」と「胤貞」はと…

千葉胤宗

千葉 胤宗(ちば たねむね、1268年~1312年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。千葉氏第10代当主。 『尊卑分脈』の千葉氏系図では貞胤の父(および先代の千葉介)を宗胤とし*1、「藤井本 千葉系図」には「宗胤 千葉介、始ハ胤宗、贈官也、」とある*2。 他方…

千葉時胤

千葉 時胤(ちば ときたね、1218年~1241年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。千葉氏第7代当主。通称は千葉介。子に千葉頼胤。 時胤の系譜について 時胤の系譜については、各系図によって異なっている。 ●『神代本千葉系図』『徳島本千葉系図』『平朝臣徳嶋…

武石高広

武石 高広(たけいし たかひろ、1297年~1339年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。 実際の史料上では確認できないが、「千葉大系図」によると、通称は四郎、暦応2(1339)年5月22日の和泉国石津の戦いで高師直の軍勢に敗れ、大将の北畠…

東貞常

東 貞常(とう さだつね、生年不詳(1273年以後)~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 系図集や書状類では全く確認できないが、東氏の末裔(東益之の子、東常縁の異母弟)である建仁寺住持・正宗龍統*1が書き記した次の史料により、僧・素𦨻*2の父…

東時常

東 時常(とう ときつね、1253年?~1312年?/1314年?)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。通称は六郎。官途は中務丞(『尊卑分脈』)、左衛門尉。 【東氏系図】『尊卑分脈』より 千葉常胤―東胤頼―重胤―胤行―行氏―時常 父は東行氏。初めは第7…

千葉貞胤

千葉 貞胤(ちば さだたね、1292年~1351年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。千葉氏第11代当主。千葉胤宗の嫡男。子に千葉一胤(高胤)、千葉氏胤。通称は千葉介。 貞胤の死没については、次の史料が伝わる*1。 ●『常楽記』:観応二年辛卯正月一日、千葉介…

千葉宗胤

千葉 宗胤(ちば むねたね、1265年~1294年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。千葉氏第9代当主。通称は千葉太郎*1。 はじめに 元服の時期と烏帽子親の推定 備考 参考ページ 脚注 はじめに historyofjapan-henki.hateblo.jp 建治元(1275)年8月、異国警固番役…

千葉頼胤

千葉 頼胤(ちば よりたね、1239年~1275年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。千葉氏第8代当主。通称は千葉介。 父は千葉時胤。後述の通り異説もあるが、母は北条時房の娘と考えられている*1。息子に千葉宗胤、千葉胤宗。 人物の詳細については本文末の 外…