Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

2022-01-01から1年間の記事一覧

三浦時連

三浦 時連(みうら ときつら、1210年頃?~1260年頃?)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。三浦(佐原)盛連の子。母は三浦義村の娘・矢部禅尼。 通称および官途は 六郎、兵衛尉、左衛門尉。法名は観蓮(かんれん)。歴史研究上では、佐原時連、横…

【論稿】鎌倉時代における三浦氏の官職任官年齢について

はじめに 三浦義村の子息の官職歴 三浦泰村 三浦光村 三浦家村 三浦資村 三浦胤村 三浦義村の生年・官途について 佐原三兄弟 "三浦介" について 脚注 はじめに 三浦氏(みうら-し)は、坂東八平氏の一つで、相模国三浦郡を本拠地とする武家である。鎌倉幕府…

三浦朝村

三浦 朝村(みうら ともむら、1188年頃?~1224年?)は、鎌倉時代初期の武将、御家人。通称および官途は 小太郎、太郎、兵衛尉。三浦義村の長男。母は土肥遠平の娘で、三浦泰村(駿河次郎)・三浦光村(駿河三郎)は同母弟であると伝わる(『佐野本 三浦系図…

和田朝盛

和田 朝盛(わだ とももり、生年不詳(1180年代後半?)~1227年?)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将・御家人。和田常盛(つねもり)の嫡男で、和田義盛の孫にあたる。通称は三郎、新兵衛尉。法名は実阿弥陀仏、高円坊。 はじめに:和田氏における元服お…

阿野時元

阿野 時元(あの ときもと、1190年頃?~1219年)は、鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の異母弟である阿野全成(1153-1203)と北条時政の娘・阿波局の子。子に阿野義継(よしつぐ、又三郎)。通称は阿野三郎、阿野冠者。 ▲【図1】『尊卑分脈』より*…

平賀朝雅

平賀 朝雅(ひらが ともまさ、1182年~1205年)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての鎌倉幕府の御家人。父は平賀義信。母は源頼朝の乳母・比企尼の三女。妻は北条時政と牧の方の娘。名の表記は平賀朝政とも。 詳細な生涯や事績については ● 平賀朝雅 -…

小山貞宗

小山 貞宗(おやま さだむね、1290年頃?~没年不詳(1310年代?))は、鎌倉時代後期の武将、御家人。父は小山宗朝。子に小山政秀(藤井政秀)。 貞宗の名は『尊卑分脈』上で確認ができる。 ▲【系図α】『尊卑分脈』小山氏系図(一部抜粋)*1 しかし、他の史料…

小山宗朝

小山 宗朝(おやま むねとも、1270年頃?~没年不詳(1336年以前))は、鎌倉時代後期の武将、御家人。父は小山時朝(時村)。子には小山貞宗と娘が一人。通称は出羽守(および 出羽前司、出羽入道)。法名は円阿(えんあ)か。 史料における小山宗朝 生年と烏…

小山時村

小山 時村(おやま ときむら、生年不詳(1245年頃?)~没年不詳)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。初名は小山時朝(- ときとも)。通称は四郎(出羽四郎)。官途は左衛門尉か。 父は小山長村。弟に小山時長。子に小山宗朝、女子(結城時広…

結城朝光

結城 朝光(ゆうき ともみつ、1168年~1254年)は、平安時代末期から鎌倉時代中期にかけての武将、御家人。下総結城氏初代当主。 父は藤原北家・藤原秀郷流の小山政光。 母は八田宗綱の娘・寒河尼。 幼名は一万丸、初名は小山宗朝(おやま むねとも)。通称…

葛西時清

葛西 時清(かさい とききよ、1215年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代前期~中期の武将、御家人。葛西氏宗家第3代当主。通称および官途は 小三郎、三郎、左衛門尉。 父は葛西清親。弟に葛西光清。子に葛西清経、女子(長尾景茂室、景忠母)*1。 "伯耆三郎左衛門…

葛西清経

葛西 清経(かさい きよつね、1235年~1287年)は、鎌倉時代中期~後期の武将、御家人。葛西氏宗家第4代当主。通称および官途は 三郎、左衛門尉(伯耆新左衛門尉)。法名は経蓮(きょうれん)か。父は葛西時清。妻は尼・仏心。子には、女子(富安三郎〈北条時嗣…

江間頼時

江間 頼時(えま よりとき、1183年〜1242年)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。江間小四郎義時(北条義時)の長男。母は阿波局*1。幼名は金剛(こんごう)。通称(仮名)は太郎。表記は「江馬」とも。北条頼時(ほうじょう -)とも呼ばれる。 のちに北条泰時(…

北条時連

北条 時連(ほうじょう ときつら、1175年〜1240年)は、鎌倉時代前期の武将。北条時政の3男で、北条政子・北条(江間)義時の異母弟。北条(大仏)朝直らの父。鎌倉幕府初代連署。仮名は五郎。 本項では、後に北条時房(- ときふさ)と改名するまでを扱う。 次の…

河越泰重

河越 泰重(かわごえ やすしげ、生年不詳(1210年代?)~1246年頃?)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武蔵国河越館の武将、鎌倉幕府御家人。通称および官途は 次郎、掃部助。河越重時の嫡男。子に河越経重。 泰重の活動について 生年と元服についての考察…

河越経重

河越 経重(かわごえ つねしげ、1230年頃?~1285年頃?)は、鎌倉時代中期の武蔵国河越館の武将、鎌倉幕府御家人。通称および官途は 次郎、遠江権守。苗字の表記は「川越(川越経重)」とも。 河越泰重の嫡男。子に河越宗重、河越貞重。 historyofjapan-henki…

葛西高清

葛西 高清(かさい たかきよ、1312年~1365年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代前期にかけての武将。 系図類によると、葛西貞清の長男。母は長崎円喜の娘。通称および官途は 八郎、左衛門尉、陸奥守、因幡守 と伝わる。 まず、次の系図2種を見ておきたい。 …

葛西貞清

葛西 貞清(かさい さだきよ、1291年~1324年)は、鎌倉時代後期の武将。通称および官途は 又太郎、左衛門尉。法名は道西。 系図によると、父は葛西清信(千葉頼胤の子で葛西清時の養嗣子、初名: 胤信)、母は本間景隆(山城守)の娘と伝わる。 まずは、次の…

【論稿】鎌倉時代末期の安達氏一族 -師顕と師景-

本項では、鎌倉時代末期に現れる安達氏一族について紹介したいと思う。 まずは、扱う史料3点を年代順に挙げておこう。 ●【史料A】(正和4(1315)年3月)「施薬院使・丹波長周注進状」(『公衡公記』同月16日条)*1:同月8日、鎌倉で起きた火事の被災者の中に「…

摂津親鑒

摂津 親鑑(つ の ちかあき [ちかみ]、1270年代後半?(1280年頃?)~1333年、旧字体表記:攝津親鑒)は、鎌倉時代後期から末期の武士・吏僚、得宗被官(御内人)。官途は隼人正、刑部権大輔。官位は正五位下。法名は道準(どうじゅん)。 父は摂津親致。子に摂…

北条義時

北条 義時(ほうじょう よしとき、1163年~1224年)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士。鎌倉幕府第2代執権。 北条時政の次男。母は伊東入道(=祐親か)の娘と伝わる(『前田本平氏系図』)*1。通称および官途は 江間小四郎、相模守、右京権大…