Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

北条氏(得宗家・得宗庶流)

江間頼時

江間 頼時(えま よりとき、1183年〜1242年)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。江間小四郎義時(北条義時)の長男。母は阿波局*1。幼名は金剛(こんごう)。通称(仮名)は太郎。表記は「江馬」とも。北条頼時(ほうじょう -)とも呼ばれる。 のちに北条泰時(…

北条泰家

北条 泰家(ほうじょう やすいえ、1307年?~1335年?)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将、北条氏得宗家の一門。父は鎌倉幕府第9代執権・北条貞時。母は安達(大室)泰宗の娘・覚海円成で、第14代執権・北条高時の同母弟にあたる。妻は大仏維貞の娘か*…

北条宗政

北条 宗政(ほうじょう むねまさ、1253年~1281年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。北条氏得宗家の一門。北条時頼の子(準嫡子)、北条時宗の弟。子に10代執権・北条師時(四郎)、北条時信(五郎)*1、政助(頼助弟子)、北条忠時(万寿、十郎)*2などがい…

北条宗頼

北条 宗頼(ほうじょう むねより、1246年頃?~1279年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。北条氏得宗家の一門。北条時頼の庶子(庶長子か?)。母については弘安8(1285)年9月晦日付『豊後国図田帳』*1の中に見える「相模七郎殿母御前辻殿」が該当すると考えら…

北条宗方

北条 宗方(ほうじょう むねかた、1278年~1305年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。北条氏得宗家の一門・北条宗頼の次男。母は大友頼泰の娘。官途は右近将監、左近将監、駿河守。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その16…

北条貞規

北条 貞規(ほうじょう さだのり、1298年~1319年)は、鎌倉時代後期の御家人、北条氏得宗家一門。第10代執権・北条師時の嫡男。官途は左近大夫将監、右馬権頭。主な通称は相模左近大夫。 まずは、細川重男氏のブログ記事*1による貞規の経歴は次の通りである…

頼助

頼助(らいじょ、1244年~1296年)は、鎌倉時代の僧。 鎌倉幕府4代執権・北条経時の次男。経時の菩提所である鎌倉佐々目の遺身院を拠点としたので、佐々目頼助とも呼ばれる。 経時の遺児である隆政(りゅうせい)・頼助兄弟については、吉田通子氏の研究*1に詳…

北条経時

北条 経時(ほうじょう つねとき、1224年~1246年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人、政治家。鎌倉幕府第4代執権。北条氏得宗家当主。 元服に際し、加冠役(烏帽子親)の第4代将軍・藤原(九条)頼経から「経」の偏諱を賜り、北条経時と名乗った。典拠は次の史…

北条時頼

北条 時頼(ほうじょう ときより、1227年~1263年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人、政治家。鎌倉幕府第5代執権。北条氏得宗家当主。 元服に際し、加冠役(烏帽子親)の第4代将軍・藤原(九条)頼経から「頼」の偏諱を賜り、北条時頼と名乗った。典拠は次の史…

北条時宗

北条 時宗(ほうじょう ときむね、1251年~1284年)は、鎌倉時代中期の武将・政治家。鎌倉幕府第8代執権、北条氏得宗家当主。 元服に際し、加冠役(烏帽子親)の第6代将軍・宗尊親王から「宗」の偏諱を賜り、北条時宗と名乗った。典拠は次の史料である。 【…