Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

三浦氏/和田氏

三浦時明 (安芸守)

三浦 時明(みうら ときあきら、1270年頃?~1333年?)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。三浦(杉本)宗明の嫡男。母は平頼綱の娘。通称および官途は 六郎、左衛門尉、安芸守。 時明に関する史料 生年と烏帽子親についての考察 脚注 時明に関する史料 本稿で取…

葦名直盛

葦名 直盛(あしな ただもり、1326年~1392年)は、南北朝時代の武将。葦名氏第7代当主。 葦名盛貞(盛員とも)の次男。母は笹谷御前(金峯尊公大禅定尼)。兄は葦名高盛。子に葦名詮盛。三浦直盛とも。また、蘆名直盛、芦名直盛とも書く。通称および官途は …

【論稿】2人の「三浦若狭判官」について ―三浦時明と三浦氏明―

<目次> はじめに "若狭判官"三浦時明 中先代の乱での大将「三浦若狭五郎判官」の壮絶な最期 「若狭判官」とは 三浦氏明と三浦明継 まとめ 脚注 はじめに 先に結論から述べる。タイトルにした通り、「三浦若狭判官」について、これまでの先行研究では全て三…

三浦貞宗

三浦 貞宗(みうら さだむね、生年不詳(1280年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。三浦(杉本)宗明の次男。母は佐原光盛(宗明の伯父)の娘。異母兄に三浦時明(安芸守)。子に三浦行連(ゆきつら)、三浦兼連(かねつら)がいる。通称および官途…

杉本宗明

三浦 宗明(みうら むねあきら、生年不詳(1250年代か)~没年不詳(1314年以前))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。史料や系図上では、杉本宗明、椙本宗明(すぎもと ―)と呼ばれる。通称および官途は 六郎、左衛門尉(左衛門少尉)、下野…

三浦頼連

三浦 頼連(みうら よりつら、旧字体:三浦賴連、生年不詳(1230年代か)~1285年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。三浦時連の嫡男。弟に杉本宗明。通称・官途は十郎、遠江十郎左衛門尉、対馬守。 二人の「三浦頼連」 生年と烏帽子親の推…

三浦泰連 (遠江七郎)

三浦 泰連(みうら やすつら、生年不詳(1220年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。通称は七郎(遠江七郎)。系図上での位置は不明だが、三浦(佐原)盛連の7男か。 『吾妻鏡』建長6(1254)年正月2日条に「遠江十郎頼連 同七郎泰連」として確認…

三浦泰連 (佐原十郎左衛門尉)

佐原 泰連(さはら やすつら、1205年頃?~1247年)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。三浦(佐原)義連の子(10男か)。通称および官途は 十郎、左衛門尉。 『吾妻鏡』での登場数は2箇所*1。宝治元(1247)年6月21日条には留守介*2により「佐原十…

三浦泰連 (佐原七郎左衛門太郎)

佐原 泰連(さはら やすつら、生年不詳(1230年代?)~1247年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。三浦(佐原)政連(まさつら)の子。通称は太郎(七郎左衛門太郎)。 宝治元(1247)年6月22日条にある宝治合戦での戦死者のリストに「佐原七郎左衛門太郎泰連」が含…

三浦時連

三浦 時連(みうら ときつら、1210年頃?~1260年頃?)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。三浦(佐原)盛連の子。母は三浦義村の娘・矢部禅尼。子に三浦頼連、杉本宗明など。 通称および官途は 六郎、兵衛尉、左衛門尉。法名は観蓮(かんれん)。…

【論稿】鎌倉時代における三浦氏の官職任官年齢について

はじめに 三浦義村の子息の官職歴 三浦泰村 三浦光村 三浦家村 三浦資村 三浦胤村 三浦義村の生年・官途について 佐原三兄弟 "三浦介" について 脚注 はじめに 三浦氏(みうら-し)は、坂東八平氏の一つで、相模国三浦郡を本拠地とする武家である。鎌倉幕府…

三浦朝村

三浦 朝村(みうら ともむら、1188年頃?~1224年?)は、鎌倉時代初期の武将、御家人。通称および官途は 小太郎、太郎、兵衛尉。三浦義村の長男。母は土肥遠平の娘で、三浦泰村(駿河次郎)・三浦光村(駿河三郎)は同母弟であると伝わる(『佐野本 三浦系図…

和田朝盛

和田 朝盛(わだ とももり、生年不詳(1180年代後半?)~1227年?)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将・御家人。和田常盛(つねもり)の嫡男で、和田義盛の孫にあたる。通称は三郎、新兵衛尉。法名は実阿弥陀仏、高円坊。 はじめに:和田氏における元服お…

三浦貞連 (甲斐六郎左衛門尉)

三浦 貞連(みうら さだつら、生没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。甲斐一条氏・武田時信(一条時信)の子で、三浦行連(佐原行連、甲斐守)の養子。通称は(三浦)甲斐六郎左衛門尉。 元亨3(1323)年10月27日の故・北条貞時(鎌倉幕府第9代執権)13年忌…

三浦貞連 (因幡守)

三浦 貞連(みうら さだつら、1290年頃?~1336年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。 「横須賀系図」(『諸家系図纂』11上所収)*1などによると、父は三浦時明(安芸守)、母は同族・大多和行季(正しくは行秀か)の娘。初名は三浦貞明…

矢部禅尼

矢部禅尼(やべぜんに、1187年頃?*1~没年不詳)は、鎌倉時代前期から中期にかけての三浦一族の女性。俗名は不詳。法名は禅阿(ぜんあ)。鎌倉幕府の有力御家人・三浦義村の娘。三浦泰村・三浦光村の姉にあたる。 2回の結婚と息子たち 泰時との離縁の時期につい…

葦名盛貞

葦名 盛貞(あしな もりさだ、1296年?(一説に1285年とも)~1335年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。蘆名盛貞、芦名盛貞とも表記される。主な通称は大夫判官、葦名判官。法名は道円(どうえん)。 父は葦名盛宗。子に葦名高盛、葦…

葦名盛宗

葦名 盛宗(あしな もりむね、1259年?~没年不詳(※諸説あり))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。葦名泰盛の嫡男。蘆名盛宗、芦名盛宗とも表記される。子に葦名時盛、葦名盛貞。 生没年については諸説伝えられる。 ●【史料1】『葦名系図』…

三浦高継

三浦 高継(みうら たかつぐ、1305年頃?~1339年カ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。三浦氏の庶流・佐原氏の一族から盛時が再興した "三浦介" 家(=相模三浦氏)の当主であり、歴史研究では佐原高継(さはら/さわら ー)とも呼ばれることも…

葦名高盛

葦名 高盛(あしな たかもり、1318年~1335年)は、鎌倉時代末期の武将。 葦名盛貞(盛員とも)の最初の嫡男。弟に葦名直盛。蘆名高盛、芦名高盛とも書く。通称および官途は 六郎、左衛門尉。 【史料A】『会津四家合全』黒川小田山城主佐原十郎義連家系之事*…

三浦光村

三浦 光村(みうら みつむら、1205年~1247年)は、鎌倉時代中期の御家人。 人物・生涯・経歴については 三浦光村 - Wikipedia および 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その114-三浦光村 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男氏のブログ、以下「職員表」と略す…

三浦泰村

三浦 泰村(みうら やすむら、1204年~1247年)は、鎌倉時代中期の御家人。 人物・生涯については 三浦泰村 - Wikipedia をご参照いただきたい。 本項では泰村の一字拝領と生年についての考察を述べたいと思う。 三浦氏では、三浦為継(為次)の子・義継(義…

三浦頼盛

三浦 頼盛(みうら よりもり、1235年頃?~1290年代?)は、鎌倉時代の武将、鎌倉幕府の御家人。法名は道法。頼盛の「頼」は執権・北条時頼の偏諱だろう。 『吾妻鏡』における頼盛の活動 烏帽子親について 北条時輔次男の謀反計画 頼盛死没時期の推定 脚注 『…