Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

2023-01-01から1年間の記事一覧

町野貞康

町野 貞康(まちの さだやす、1270年頃?~没年不詳*1)は、鎌倉時代後期の官人、武将。三善(町野)政康(まさやす)の嫡男で、町野氏の祖・三善康持の孫にあたるとされる。町野康世(やすよ、1287-1333)・町野善照(ぜんしょう、1294-1333)*2兄弟は息子か。三善貞…

町野宗康

町野 宗康(まちの むねやす、生年不詳(1250年代後半か)~没年不詳*1)は、鎌倉時代中期から後期にかけての官人。町野氏の祖・三善康持の子で三善(町野)政康の弟とされる。息子に町野信宗、町野信顕か。官途は左衛門尉、但馬守。三善宗康(みよし ―)とも。…

朽木頼綱

佐々木 頼綱(ささき よりつな、生年不詳(1230年代前半か)~1294年?)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。通称および官途は 五郎、左衛門尉、出羽守。法名は道頼(どうらい)。 『尊卑分脈』佐々木氏系図(以下『分脈』と略記)によると、宇多…

【論稿】鎌倉・室町時代の朽木氏について

朽木氏(くつき - し)は、『尊卑分脈』佐々木氏系図(以下『分脈』と略記)、『寛政重修諸家譜』(以下『寛政譜』と略記)などによると、宇多源氏の流れをひく佐々木信綱の次男で高島氏の家祖となった佐々木(高島)高信の子で、高島宗家を継いだ高島泰信の弟…

佐々木経泰

佐々木 経泰(ささき つねやす、1234年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。佐々木泰綱の最初の嫡男であったが、のちに廃嫡されたとされる。呼び方は六角経泰とも。官途は左衛門尉。子に佐々木朝綱(ともつな)、孫に夢窓疎石がいる。 historyofja…

大原頼重

佐々木 頼重(ささき よりしげ、1236年頃?~没年不詳(1263年以後))は、鎌倉時代中期の武将・御家人。通称および官途は 三郎、左衛門尉。 宇多源氏佐々木氏の支流・大原氏の祖である佐々木(大原)重綱の子(3男か?)。源頼重、大原頼重とも呼ばれる。 まず…

大原時綱

佐々木 時綱(ささき ときつな、1262年~1314年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将・御家人。通称および官途は 九郎、左衛門尉、対馬守。 宇多源氏佐々木氏の支流・大原氏の祖である佐々木(大原)重綱の子で、源時綱、大原時綱とも呼ばれる。妻は兄・佐…

安保宗実

安保 宗実(あぼ むねざね、生年不詳(1260年代?)~1333年)は、鎌倉時代後期・末期の武将、御家人。 安保頼泰の嫡男か。主な通称は次郎、左衛門尉、左衛門入道。表記は阿保宗実とも。出家後の同人と思われる安保道潭(- どうたん)についても本項で扱う。 …

勅使河原泰直

勅使河原 泰直(てしがわら やすなお、生年不詳(1220年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。勅使河原則直の嫡男。官途は右馬允。 勅使河原氏は、武蔵七党の一つ、丹党の一族で武蔵国賀美郡勅使河原を名字の地とする武士で、祖父・有直の代に鎌…

佐介宗直

北条 宗直(ほうじょう むねなお、生年不詳(1260年代前半?)~1333年)は、鎌倉時代後期から末期の武将、御家人、北条氏一門。父は北条頼直。子に北条(佐介)直時。官途は左近大夫、近江守。佐介宗直(さすけ ー)とも呼ばれる。 まず、次の史料を見ておきた…

北条頼直

北条 頼直(ほうじょう よりなお / よりただ?、1241年頃?~没年不詳(1263年以後))は、鎌倉時代中期の武将、御家人。北条氏一門。武蔵守・北条(大仏)朝直の8男。通称は八郎(武蔵八郎)。子に北条(佐介)宗直。 まず、『吾妻鏡』での登場箇所は次の通りであ…

周枳頼泰

周枳 頼泰(すき よりやす、生年不詳(1230年代後半?)~没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将、御家人、射手。通称は兵衛四郎。父は周枳兵衛尉か。 周枳(すき)は、現在も京都府京丹後市大宮町の地名・大字として残っている名称で、平安時代中期の『和名類聚…

二階堂高実

二階堂 高実(にかいどう たかざね、1310年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代末期の御家人。 『尊卑分脈』(以下『分脈』と略記)の記載*1によれば、二階堂光貞の嫡男にして「三郎 左衛門(=左衛門尉)」を称し、後に遁世して法名を周琮(しゅうそう)と号したとい…

二階堂宗実

二階堂 宗実(にかいどう むねざね、生年不詳(1250年代後半~1260年頃?)~没年不詳(1290年代以後?))は、鎌倉時代中期の御家人。父は二階堂行実、母は高野時家(小田時家、伊賀守)*1の娘。官途は弾正忠、左衛門尉、因幡守。官位は従五位下。妻は二階堂…

工藤貞景

工藤 貞景(くどう さだかげ、生年不詳(1280年代?)~1333年?/1334年?)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家被官である御内人。通称および官途は 六郎、左衛門尉。藤原南家工藤氏より分かれた奥州工藤氏助光流一族の者と推測される。工藤時光の子で工藤貞…

横溝高貞

横溝 高貞(よこみぞ たかさだ、1310年頃?~1333年)は、鎌倉時代末期の武将、得宗被官(御内人)。通称は八郎(横溝八郎)。 横溝氏は、元は伊豆国を本貫とする、藤原姓工藤氏一族の御家人であった。「南家 伊東氏藤原姓大系図」によると、工藤景光の弟・時…

高島泰信

佐々木 泰信(ささき やすのぶ、1230年頃?~没年不詳(1263年~1292年の間か))は、鎌倉時代中期の武将、御家人。通称および官途は 孫四郎、左衛門尉。佐々木信綱の次男で高島氏の家祖・佐々木(高島)高信の嫡男で、高島泰信(たかしま ―、旧字体:高嶋泰信…

塩谷泰朝

塩谷 泰朝(しおのや やすとも、1214年~1279年、旧字:鹽谷 ―)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。宇都宮氏一門・塩谷氏第3代当主。通称 および 官途は四郎(周防四郎)、兵衛尉、左衛門尉。父は第2代当主・塩谷朝親(『尊卑分脈』では親朝)…

宇都宮泰親

宇都宮 泰親(うつのみや やすちか、1220年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。通称および官途は 五郎、左衛門尉、淡路守。呼び方は横田泰親とも。 父は宇都宮(上条)時綱。叔父・宇都宮(横田)頼業の養子。 『吾妻鏡人名索引』*1…

諏訪盛経

諏訪 盛経(すわ もりつね、1230年頃?~没年不詳(1290年代?))は、鎌倉時代中期の武将。北条氏得宗家被官である御内人。主な通称および官途は 三郎、左衛門尉、左衛門入道。法名は真性(しんしょう、旧字体:眞性)。 諏訪盛重の3男。子に諏訪宗経。 諏訪盛…

諏訪盛頼

諏訪 盛頼(すわ もりより、1233年頃?~没年不詳(1263年以後))は、鎌倉時代中期の武将。北条氏得宗家被官である御内人。諏訪盛重の4男。主な通称および官途は 四郎(兵衛四郎)、兵衛尉、左衛門尉。 ▲【系図α】『尊卑分脈』より、諏訪氏系図*1 『吾妻鏡』…

諏訪盛重

諏訪 盛重(すわ もりしげ、生年不詳(1180年代~90年頃?)~1267年)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、諏訪大社大祝職、北条氏得宗被官である御内人。法名は蓮仏(れんぶつ、旧字表記:蓮佛)。官途は兵衛尉(『尊卑分脈』には「右兵衛尉」とあり)…

安保頼泰

安保 頼泰(あぼ よりやす、生年不詳(1230年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。 通称は三郎(或いは次郎?)、左衛門尉。表記は阿保頼泰とも。 『武蔵七党系図』(以下「七党系図」と略記)*1や『丹治姓安保氏近代家譜』(以下「近代家譜」…

安保泰実

安保 泰実(あぼ やすざね、生年不詳(1210年頃?)~没年不詳)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。安保実員の嫡男。弟に安保信員(のぶかず)。 通称は次郎、左衛門尉。表記は阿保泰実とも。 北条泰時の烏帽子子 はじめに 近親者や婚姻関係について 父・実員と弟…

三浦泰連 (遠江七郎)

三浦 泰連(みうら やすつら、生年不詳(1220年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。通称は七郎(遠江七郎)。系図上での位置は不明だが、三浦(佐原)盛連の7男か。 『吾妻鏡』建長6(1254)年正月2日条に「遠江十郎頼連 同七郎泰連」として確認…

三浦泰連 (佐原十郎左衛門尉)

佐原 泰連(さはら やすつら、1205年頃?~1247年)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。三浦(佐原)義連の子(10男か)。通称および官途は 十郎、左衛門尉。 『吾妻鏡』での登場数は2箇所*1。宝治元(1247)年6月21日条には留守介*2により「佐原十…

三浦泰連 (佐原七郎左衛門太郎)

佐原 泰連(さはら やすつら、生年不詳(1230年代?)~1247年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。三浦(佐原)政連(まさつら)の子。通称は太郎(七郎左衛門太郎)。 宝治元(1247)年6月22日条にある宝治合戦での戦死者のリストに「佐原七郎左衛門太郎泰連」が含…