Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

史料紹介

【論稿】鎌倉・室町時代の朽木氏について

朽木氏(くつき - し)は、『尊卑分脈』佐々木氏系図(以下『分脈』と略記)、『寛政重修諸家譜』(以下『寛政譜』と略記)などによると、宇多源氏の流れをひく佐々木信綱の次男で高島氏の家祖となった佐々木(高島)高信の子で、高島宗家を継いだ高島泰信の弟…

【論稿】鎌倉時代末期の安達氏一族 -師顕と師景-

本項では、鎌倉時代末期に現れる安達氏一族について紹介したいと思う。 まずは、扱う史料3点を年代順に挙げておこう。 ●【史料A】(正和4(1315)年3月)「施薬院使・丹波長周注進状」(『公衡公記』同月16日条)*1:同月8日、鎌倉で起きた火事の被災者の中に「…

【論稿】鎌倉期常陸小田氏についての一考察

藤原道兼の玄孫(後掲『尊卑分脈』では実は源義朝の子とする)八田知家の子である八田知重(小田知重)を祖とする小田氏(おだし)は、常陸国筑波郡小田邑(現・茨城県つくば市小田)を本拠とした一族である*1。源頼朝に従い、鎌倉時代は御家人として、その…

【論稿】結城氏の系図について

下野の豪族・結城(ゆうき)氏は、三上山の百足退治の伝説や平将門の乱で有名な "俵藤太" こと藤原秀郷を祖とし、末裔である小山政光の3男・朝光のときに烏帽子親の源頼朝から下総国結城(現・茨城県結城市)を与えられて本領とし、これを姓としたことに始ま…

北条経時

北条 経時(ほうじょう つねとき、1224年~1246年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人、政治家。鎌倉幕府第4代執権。北条氏得宗家当主。 元服に際し、加冠役(烏帽子親)の第4代将軍・藤原(九条)頼経から「経」の偏諱を賜り、北条経時と名乗った。典拠は次の史…

北条時頼

北条 時頼(ほうじょう ときより、1227年~1263年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人、政治家。鎌倉幕府第5代執権。北条氏得宗家当主。 元服に際し、加冠役(烏帽子親)の第4代将軍・藤原(九条)頼経から「頼」の偏諱を賜り、北条時頼と名乗った。典拠は次の史…

北条時宗

北条 時宗(ほうじょう ときむね、1251年~1284年)は、鎌倉時代中期の武将・政治家。鎌倉幕府第8代執権、北条氏得宗家当主。 元服に際し、加冠役(烏帽子親)の第6代将軍・宗尊親王から「宗」の偏諱を賜り、北条時宗と名乗った。典拠は次の史料である。 【…

【論稿】『金沢文庫古文書』324号「金沢貞顕書状」の年月日比定 について

はじめに 書状中の人物の比定 (1)書状の筆者と寄合衆のメンバー (2)期間の絞り込み (3)奥州・武州・相州 (4)他人物の比定① (5)他人物の比定② :「長入道」「長崎左衛門」 (6)貞顕の鎌倉下向時期 (7)他人物の比定③ :「武州」 書かれた…

【論稿】『系図纂要』長崎氏系図について

はじめに 『系図纂要』長崎氏系図の紹介 長崎光盛流の「内管領」記載について 長崎氏一族の注記について (備考)盛綱までの系譜について 『増訂 豆州志稿』との比較 まとめ・総括 脚注 はじめに 次の史料は『公衡公記』正和4(1315)年3月16日条に引用されて…

鎌倉時代の河越氏

『平氏江戸譜』河越氏系図 河越氏と北条氏得宗家の烏帽子親子関係 河越宗重 と 河越貞重 脚注 『平氏江戸譜』河越氏系図 次の図は、『川越市史 第二巻中世編』(川越市、1985年)P.162に掲載されている、中山信名撰『平氏江戸譜』(静嘉堂文庫蔵)所収の河越…

鎌倉時代の元服と北条氏による一字付与

★『吾妻鏡』:曾我時致 の元服 ★『吾妻鏡』:佐々木頼綱(六角頼綱)の元服 ★大友頼泰 の一字拝領 ★戸次時親 の元服 ★足利高氏(のちの足利尊氏)の元服 まとめと考察 脚注 実名を名乗るのは、現在の成人式にあたる元服の時で、幼名から改名する。この時、烏…