長井 貞泰(ながい さだやす、1290年頃?~没年不詳(1336年以降))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。長井(上山)宗元の嫡男で上山貞泰(かみやま ―)とも。官途は 左衛門尉、因幡守。子に上山高元、上山宗家(むねいえ)。 『尊卑分脈』や『毛利…
長井 貞頼(ながい さだより、1290年頃?~1363年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。 『毛利家系図』(国立歴史民俗博物館蔵・高松宮家伝来禁裏本)*1や『福原家譜』7巻(以下『福原家譜』と略記)・『尊卑分脈』(以下『分脈』と略記…
長井 貞頼(ながい さだより、1275年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 長井頼重の次男として、『毛利家系図』(国立歴史民俗博物館蔵・高松宮家伝来禁裏本)*1や『福原家譜』7巻・『尊卑分脈』(下図)などの各系図類で載せられる。官途は左…
北条 貞有(ほうじょう さだあり、生年不詳(1280年代か)~1333年)は、鎌倉時代後期の武将、北条氏一門の御家人。北条(伊具)有時の孫(北条有義の子)とされ、伊具貞有とも。母は北条(佐介)時隆の娘。弟に北条恒兼、北条有直、僧・公有。子に北条高有。通称…
北条 高有(ほうじょう たかあり、生年不詳(1310年代か)~1333年)は、鎌倉時代末期の武将、御家人。伊具流北条氏一門である北条貞有の子で、伊具高有とも。官途は式部丞。 最初に、次の史料をご覧いただきたい。 【史料α】『常楽記』正慶2(1333)年5月22日…
<目次> はじめに "若狭判官"三浦時明 中先代の乱での大将「三浦若狭五郎判官」の壮絶な最期 「若狭判官」とは 三浦氏明と三浦明継 まとめ 脚注 はじめに 先に結論から述べる。タイトルにした通り、「三浦若狭判官」について、これまでの先行研究では全て三…
三浦 貞宗(みうら さだむね、生年不詳(1280年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。三浦(杉本)宗明の次男。母は佐原光盛(宗明の伯父)の娘。異母兄に三浦時明(安芸守)。子に三浦行連(ゆきつら)、三浦兼連(かねつら)がいる。通称および官途…
三浦 宗明(みうら むねあきら、生年不詳(1250年代か)~没年不詳(1314年以前))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。史料や系図上では、杉本宗明、椙本宗明(すぎもと ―)と呼ばれる。通称および官途は、六郎、左衛門尉(左衛門少尉)、下…
三浦 頼連(みうら よりつら、旧字体:三浦賴連、生年不詳(1230年代か)~1285年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。三浦時連の嫡男。通称・官途は十郎、遠江十郎左衛門尉、対馬守。 二人の「三浦頼連」 生年と烏帽子親の推定 兄弟での対立…
伴野 長泰(ともの ながやす、1230年頃?~1285年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。小笠原(伴野)時直の嫡男。仮名は弥三郎、官途は出羽守。 前史 長泰の生年・烏帽子親の推定 長泰の最期と子孫の動向 霜月騒動で死す 長男・盛時と次男・長直の最期 泰行らの没…
大江 佐泰(おおえ の すけやす、生年不詳(1220年代前半か)~1247年)は、鎌倉時代の武将、御家人。通称として「上田太郎」(『尊卑分脈』:以下『分脈』と略記)*1あるいは「上田又太郎」(寒河江系・天文本『大江氏系図』)*2と号したらしく、上田佐泰、…
小田 時知(おだ ときとも、生年不詳(1280年代か)~13??年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。仮名は太郎か。官途は常陸介。『太平記』ではしばしば「時朝」と書かれる。 時知は、『尊卑分脈』を見ると小田時家(高野時家とも、八田…
小田 貞知(おだ さだとも、生年不詳(1280年代か)~没年不詳(1336年頃?))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。仮名は二郎。官途は筑後守。 鎌倉時代末期の小田貞知 建武政権下での小田貞知 世代と烏帽子親の推定 脚注 鎌倉時代末期…
中条 頼平(ちゅうじょう*1 よりひら、旧字表記:中條賴平、生年不詳(1230年代?)~没年不詳(1280年代?))は、鎌倉時代中期の武将、御家人。主な通称は 弥藤次左衛門尉、出羽大夫判官。 『吾妻鏡』における中条頼平 中条頼平に関する他の史料 中条氏系図…
鎌倉時代の中条氏 南北朝時代の中条氏 室町時代の中条氏 中条詮秀と満秀・満平 中条持保と中条持平 中条氏当主の世代推定 中条詮秀以降 中条秀長・秀孝 中条景長・時長 中条家長・家平・頼平 脚注 鎌倉時代の中条氏 中条氏は、武蔵七党の一つで小野篁の末裔…
津軽氏と近衛氏 明治期近衛家の「麿」字について 祖先にあやかった名付け 備考 脚注 津軽氏と近衛氏 江戸時代の話である。 天明2(1782)年、陸奥国黒石領主・津軽著高の長男は、慣例により本家の弘前藩7代藩主・津軽信寧より「寧」の偏諱を受け、寧親(やすちか)…
足利 貞義(あしかが さだよし、1270年頃?~1343年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。三河国西条城主。足利(吉良)満氏の子。通称および官途は弥太郎、上総介。法名は省観。吉良貞義(きら ー)とも呼ばれる。 吉良貞義に関する史料 生年・世…
足利 貞氏(あしかが さだうじ、1270年頃?~1285年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。足利(吉良)満氏の子。通称は足利上総三郎。足利宗家にも同名の人物がおり*1、『尊卑分脈』(以下『分脈』と略記)で「吉良三郎」と注記されることから、吉良貞氏(きら …
町野 貞康(まちの さだやす、1270年頃?~没年不詳*1)は、鎌倉時代後期の官人、武将。三善(町野)政康(まさやす)の嫡男で、町野氏の祖・三善康持の孫にあたるとされる。町野康世(やすよ、1287-1333)・町野善照(ぜんしょう、1294-1333)*2兄弟は息子か。三善貞…
町野 宗康(まちの むねやす、生年不詳(1250年代後半か)~没年不詳*1)は、鎌倉時代中期から後期にかけての官人。町野氏の祖・三善康持の子で三善(町野)政康の弟とされる。息子に町野信宗、町野信顕か。官途は左衛門尉、但馬守。三善宗康(みよし ―)とも。…
佐々木 頼綱(ささき よりつな、生年不詳(1230年代前半か)~1294年?)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。通称および官途は 五郎、左衛門尉、出羽守。法名は道頼(どうらい)。 『尊卑分脈』佐々木氏系図(以下『分脈』と略記)によると、宇多…
朽木氏(くつき - し)は、『尊卑分脈』佐々木氏系図(以下『分脈』と略記)、『寛政重修諸家譜』(以下『寛政譜』と略記)などによると、宇多源氏の流れをひく佐々木信綱の次男で高島氏の家祖となった佐々木(高島)高信の子で、高島宗家を継いだ高島泰信の弟…
佐々木 経泰(ささき つねやす、1234年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。佐々木泰綱の最初の嫡男であったが、のちに廃嫡されたとされる。呼び方は六角経泰とも。官途は左衛門尉。子に佐々木朝綱(ともつな)、孫に夢窓疎石がいる。 historyofja…
佐々木 頼重(ささき よりしげ、1236年頃?~没年不詳(1263年以後))は、鎌倉時代中期の武将・御家人。通称および官途は 三郎、左衛門尉。 宇多源氏佐々木氏の支流・大原氏の祖である佐々木(大原)重綱の子(3男か?)。源頼重、大原頼重とも呼ばれる。 まず…
佐々木 時綱(ささき ときつな、1262年~1314年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将・御家人。通称および官途は 九郎、左衛門尉、対馬守。 宇多源氏佐々木氏の支流・大原氏の祖である佐々木(大原)重綱の子で、源時綱、大原時綱とも呼ばれる。妻は兄・佐…
安保 宗実(あぼ むねざね、生年不詳(1260年代?)~1333年)は、鎌倉時代後期・末期の武将、御家人。 安保頼泰の嫡男か。主な通称は次郎、左衛門尉、左衛門入道。表記は阿保宗実とも。出家後の同人と思われる安保道潭(- どうたん)についても本項で扱う。 …
勅使河原 泰直(てしがわら やすなお、生年不詳(1220年代?)~没年不詳)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。勅使河原則直の嫡男。官途は右馬允。 勅使河原氏は、武蔵七党の一つ、丹党の一族で武蔵国賀美郡勅使河原を名字の地とする武士で、祖父・有直の代に鎌…
北条 宗直(ほうじょう むねなお、生年不詳(1260年代前半?)~1333年)は、鎌倉時代後期から末期の武将、御家人、北条氏一門。父は北条頼直。子に北条(佐介)直時。官途は左近大夫、近江守。佐介宗直(さすけ ー)とも呼ばれる。 まず、次の史料を見ておきた…
北条 頼直(ほうじょう よりなお / よりただ?、1241年頃?~没年不詳(1263年以後))は、鎌倉時代中期の武将、御家人。北条氏一門。武蔵守・北条(大仏)朝直の8男。通称は八郎(武蔵八郎)。子に北条(佐介)宗直。 まず、『吾妻鏡』での登場箇所は次の通りであ…
周枳 頼泰(すき よりやす、生年不詳(1230年代後半?)~没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将、御家人、射手。通称は兵衛四郎。父は周枳兵衛尉か。 周枳(すき)は、現在も京都府京丹後市大宮町の地名・大字として残っている名称で、平安時代中期の『和名類聚…