Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

山河貞重

山河 貞重(やまかわ さだしげ、生年不詳(1270年代?)~没年不詳(1320年代後半?))は、鎌倉時代後期の武将、御家人。表記は山川貞重とも。父は山河重義(山川重義)、母は網戸朝村(あじと ともむら/十郎、法名:蓮忍)の娘。結城朝光は父方・母方双方で…

京極貞氏

佐々木 貞氏(ささき さだうじ、1290年頃?~1355年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。 京極流佐々木宗氏の子*1。母は佐々木宗綱の娘(貞宗の姉)。京極貞氏(きょうごく ー)、鏡貞氏(かがみ ー)とも呼ばれる。息子に鏡高治、長岡貞高、伊…

武田貞信

武田 貞信(たけだ さだのぶ、生年不詳(1270年代?)~1347年カ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。武田政綱を祖とする石和流武田氏の第3代当主。父は武田信家(宗信)。妻は安藤左衛門入道の娘か。子に武田政義・武田貞政。通称は三郎。官途は…

武田信宗

武田 信宗(たけだ のぶむね、1269年~1330年)は、鎌倉時代の武将、御家人。甲斐源氏武田氏第6代当主。父は武田時綱、母は名越朝時の娘と伝わる。通称は孫六。 北条時宗の烏帽子子 流浪時代の信宗(伝承) 没年について 脚注 (*画像は 武田家伝来の遺品 …

武田宗信

武田 宗信(たけだ むねのぶ、生年不詳(1250年代?)~1326年カ)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。父は武田政綱。子に武田貞信。『尊卑分脈』によれば、通称および官途は 石禾三郎、伊豆守。別名(初名か)は武田信家(のぶいえ)。 historyo…

武田宗光

武田 宗光(たけだ むねみつ、生年不詳(1250年代半ば頃?)~没年不詳(1290年代?))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。父は武田時隆。子に武田信貞、武田時信。通称は二郎五郎。 <武田氏略系図>(『尊卑分脈』より) 信光―信政―信時―時綱…

武田信貞

武田 信貞(たけだ のぶさだ、生年不詳(1280年代?)~没年不詳(1336年以後))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。父は武田宗光。弟に武田時信(七郎五郎)。仮名は弥五郎、官途は伊豆守・大膳権大夫(または大膳大夫)。 建武政権武者所での…

武田時隆

武田 時隆(たけだ ときたか、生年不詳(1230年代?)~没年不詳(1263年以後))は、鎌倉時代中期の武将、御家人。父は武田信隆(のぶたか)。子に武田宗光。通称は七郎二郎(七郎次郎)。 岩崎流武田氏について 父・武田信隆 政隆流武田氏について 史料におけ…

【論稿】鎌倉時代後期における「武田伊豆守」について

はじめに 武田氏嫡流当主の伊豆守任官 鎌倉時代後期の史料における「武田伊豆守」 該当史料の紹介 各「武田伊豆守」の世代推定 武田信武の「伊豆守」任官と安芸守護在任 まとめ 脚注 はじめに 後述するが、鎌倉時代後期には「武田伊豆守」なる人物が散見され…

武田氏信

武田 氏信(たけだ うじのぶ、1312年~1380年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代・室町時代前期にかけての武将、守護大名。武田信武の長男。仮名は彦太郎。官途は兵庫助、伊豆守。法名は光誠(こうせい)。 生誕と元服 兵庫助在任時代 伊豆守への昇進と出家後 …

北条宗房

北条 宗房(ほうじょう むねふさ、生年不詳(1250年代後半か?)~没年不詳(1295年以前?))は、鎌倉時代中期の武将、御家人。時房流北条時隆(ときたか)の子。官途は右馬助、左馬助、土佐守。法名は道妙(どうみょう)。 系譜について 生年と烏帽子親の推定 脚…

金沢時直

北条 時直(ほうじょう ときなお、1276年頃?~1333年)は、鎌倉時代後期から末期の武将、大隅・長門・周防守護。金沢流北条実村の子で、金沢時直(かねさわ ー)とも呼ばれる。官途は上野介。 系譜について 大隅・防長守護として 『長門守護代記』の記載の再…

北条泰家

北条 泰家(ほうじょう やすいえ、1307年?~1335年?)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将、北条氏得宗家の一門。父は鎌倉幕府第9代執権・北条貞時。母は安達(大室)泰宗の娘・覚海円成で、第14代執権・北条高時の同母弟にあたる。妻は大仏維貞の娘か*…

色部長貞

色部 長貞(いろべ ながさだ、生年不詳(1280年代後半?)~没年未詳)は、鎌倉時代後期の武将。父は色部長行。子に色部長高。 ▲【図1】色部氏略系図*1 色部氏は桓武平氏流秩父氏の流れを汲み、地頭職を得た越後国小泉荘色部条の地から「色部」を称するように…

色部長高

色部 長高(いろべ ながたか、生年不詳(1300年代初頭?)~没年未詳(1343年以後))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。色部長貞の嫡男。通称・官途は蔵人。 色部氏は桓武平氏流秩父氏の流れを汲み、地頭職を得た越後国小泉荘色部条の地から「…

千葉時常

千葉 時常(ちば ときつね、1215年頃?~1247年)は、鎌倉時代初期~中期の武将、御家人。下総国埴生荘(現在の千葉県印旛郡一帯)を継いだことから、埴生時常(はぶ ー)とも呼ばれる。通称は上総介次郎、下総次郎、埴生次郎(表記は垣生次郎とも)。 『吾妻…

千葉泰胤

千葉 泰胤(ちば やすたね、生年未詳(1220年代前半か)~1251年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。下総国香取郡千田庄(現・千葉県香取郡多古町)を領したことから、千田泰胤(ちだ ー)とも呼ばれる。通称は千葉次郎。法名は常存 (じょうぞん) と伝わる(…

千葉氏胤

千葉 氏胤(ちば うじたね、1335年 または 1337年~1365年)は、南北朝時代の武将。父は千葉貞胤。母は曽谷教信(日礼)の姪・法頂尼と伝わる。通称は千葉新介、千葉介。 『本土寺過去帳』によると氏胤は貞治4(1365)年9月13日に亡くなったとされ、『増上寺本…

千葉一胤

千葉 一胤(ちば かずたね、1312年頃?~1336年)は、南北朝時代の武将。父は千葉貞胤。通称は千葉新介。初名は千葉高胤 (たかたね) か。 『千葉大系図』では貞胤の子、氏胤の兄弟として一胤を載せ、その注記では「一」の部分について「高」とする別説(「一 …

千葉高胤

千葉 高胤(ちば たかたね、1310年頃?~1334年?)は、鎌倉時代末期の武将、御家人。千葉胤貞の最初の嫡子とみられる。通称は千葉小太郎。 『神代本 千葉系図』には胤貞の子として小太郎 高胤の記載が見られ*1、肥前国小城郡の雲海山岩蔵寺に所蔵されていた『…

北条宗政

北条 宗政(ほうじょう むねまさ、1253年~1281年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。北条氏得宗家の一門。北条時頼の子(準嫡子)、北条時宗の弟。子に10代執権・北条師時(四郎)、北条時信(五郎)*1、政助(頼助弟子)、北条忠時(万寿、十郎)*2などがい…

北条宗頼

北条 宗頼(ほうじょう むねより、1246年頃?~1279年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。北条氏得宗家の一門。北条時頼の庶子(庶長子か?)。母については弘安8(1285)年9月晦日付『豊後国図田帳』*1の中に見える「相模七郎殿母御前辻殿」が該当すると考えら…

矢部禅尼

矢部禅尼(やべぜんに、1183年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代前期から中期にかけての三浦一族の女性。俗名は不詳。法名は禅阿(ぜんあ)。鎌倉幕府の有力御家人・三浦義村の娘。三浦泰村・三浦光村の姉にあたる。 2回の結婚と息子たち 泰時との離縁の時期について…

徳川慶喜

徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ / よしひさ、旧字体:德川 慶喜、1837年~1913年)は、江戸時代の武将。江戸幕府第15代将軍。 『一橋徳川家譜』によると、弘化4(1847)年、当時の12代将軍・徳川家慶の意向を受け、9月朔日(ついたち=1日)、嗣子の無かった一橋徳…

小田高知

小田 高知(おだ たかとも、1300年頃?~1352年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。常陸小田氏第7代当主。のち小田治久(はるひさ)と改名。 父は小田貞宗。子に小田孝朝。通称および官途は(常陸)太郎左衛門尉、尾張権守、宮内権少輔。…

小田宗知

小田 宗知(おだ むねとも、1259年~1306年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。常陸小田氏第5代当主。父は小田時知。弟に北条道知、小神野時義。子に小田知貞(手野知貞)、小田貞宗などがいる。通称および官途は太郎左衛門尉、筑後守。法名…

小田泰知

小田 泰知(おだ やすとも、1211年~1245年)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。常陸小田氏第3代当主。八田知家の嫡孫。父は知家の長男・小田知重。妻は三浦泰村の娘と伝わる。子に小田時知、女子(結城広綱室、小萱重広母)。通称・官途は奥太郎左衛門尉。 hi…

小田時知 (嫡流第4代当主)

小田 時知(おだ ときとも、1242年~1293年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。常陸小田氏第4代当主。父は小田泰知。母は三浦泰村の娘と伝わる。子に小田宗知、北条道知、小神野時義*1。通称および官途は左衛門尉(左衛門少尉)、常陸介。幼…

【論稿】鎌倉期常陸小田氏についての一考察

藤原道兼の玄孫(後掲『尊卑分脈』では実は源義朝の子とする)八田知家の子である八田知重(小田知重)を祖とする小田氏(おだし)は、常陸国筑波郡小田邑(現・茨城県つくば市小田)を本拠とした一族である*1。源頼朝に従い、鎌倉時代は御家人として、その…

【コラム】織田信長の偏諱

史料類で確認できるもの その他偏諱授与者とみられる者 脚注 上洛して足利義昭を15代将軍に推戴し、やがて対立した義昭を京から追放して権力者となった、尾張の戦国大名・織田信長。『信長公記』や『蜷川家文書』には「御父織田弾正忠殿」と宛てた義昭の感状…