2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧
宇佐美 貞祐(うさみ さだすけ、1280年頃?~没年不詳(1336年以後))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。 前史:貞祐に至るまでの歴代当主 鎌倉末期における「宇佐美摂津前司」 正安3年の「宇佐美六郎」について 北条貞時との烏帽子親…
この絵は、元寇における竹崎季長(たけざき・すえなが) の戦いぶりを描いた『蒙古襲来絵詞』(以下『絵詞』と略記)に掲載のものである。この『絵詞』には季長の烏帽子親についての貴重な情報がある。 【史料】竹崎季長絵詞 5 より 関東へ参ぜむとするに、し…
北条 維貞(ほうじょう これさだ、1285年~1327年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人、北条氏一門。 北条時房の子・朝直を祖とする大仏流より第11代執権となった北条宗宣(大仏宗宣)の嫡男で、大仏維貞(おさらぎ ー)とも呼ばれる。 historyofjapan-henki.h…
北条 煕時(ほうじょう ひろとき、1279年~1315年)は、鎌倉時代後期の武将。鎌倉幕府第12代執権。父は政村流北条時村の子・為時。 初名は北条貞泰(さだやす)。実名(諱)は史料によって「熈時」(入来院本「平氏系図」など:後述参照)「凞時」(国史大系本『尊卑…
三浦 頼盛(みうら よりもり、1235年頃?~1290年代?)は、鎌倉時代の武将、鎌倉幕府の御家人。法名は道法。頼盛の「頼」は執権・北条時頼の偏諱だろう。 『吾妻鏡』における頼盛の活動 烏帽子親について 北条時輔次男の謀反計画 頼盛死没時期の推定 脚注 『…
小山 秀朝(おやま ひでとも、1306年頃?~1335年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初頭にかけての武将。 初めは得宗・北条高時の偏諱を受けて小山高朝(- たかとも)と名乗っていた。 小山秀朝の最期 小山秀朝の系図上での位置 小山秀朝の活動 ―鎌倉幕府滅亡…