Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧

安達宗長

安達 宗長(あだち むねなが、1270年頃?~1285年?)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。通称は九郎。 本項では、下図『尊卑分脈』に掲載の、安達泰盛の弟・安達長景の子について述べる。 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちら▲の記事で父・長景の生年を1250…

安達盛宗 (右衛門尉)

安達 盛宗(あだち もりむね、1273年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。 本項では、下図『尊卑分脈』に掲載の、安達泰盛の末弟・安達時景の子について述べる。泰盛の子については 安達盛宗 (越前守) - Henkipedia を参照のこと。 historyofjap…

安達盛宗 (越前守)

安達 盛宗(あだち もりむね、1255年頃?~1285年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。安達泰盛の庶長子。 史料における安達盛宗 越前守任官と生年について 脚注 史料における安達盛宗 ▲【図A】『蒙古襲来絵詞』より 弘安4(1281)年6月の「弘安の役」で、蒙古兵…

安達宗景

安達 宗景(あだち むねかげ、1259年~1285年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。安達泰盛の嫡男。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 『関東評定衆伝』弘安4(1281)年条には、引付衆の一人に「城九郎藤原宗景」の記載があり、その注記を見ると、この時23歳だ…

平頼綱

平 頼綱(たいら の よりつな、1235年頃?~1293年)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家の御内人。鎌倉幕府第8代執権北条時宗・9代執権北条貞時の執事(内管領)で、貞時の乳母父。通称 および 官途は 三郎(新左衛門三郎)、左衛門尉(新左衛門尉、左衛門…

平宗綱

平 宗綱(たいら の むねつな、1260年頃?~没年不詳(1310年頃?))は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家の御内人、執事(内管領)。父は平頼綱。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 『とはずがたり』において、作者・後深草院二条が「平左衛門入道と申す者…

飯沼資宗

飯沼 資宗(いいぬま すけむね、1267年~1293年)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家の御内人。内管領(得宗家執事)であった平頼綱の次男。平宗綱の実弟。 historyofjapan-henki.hateblo.jp historyofjapan-henki.hateblo.jp 飯沼資宗 - Wikipedia にて…

千葉胤貞

千葉 胤貞(ちば たねさだ、1288年~1336年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 はじめに 生誕と元服 参考ページ 脚注 はじめに historyofjapan-henki.hateblo.jp 千葉宗胤の嫡男。『尊卑分脈』では宗胤の子は「貞胤」となっており、「貞胤」と「胤貞」はと…

千葉胤宗

千葉 胤宗(ちば たねむね、1268年~1312年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。千葉氏第10代当主。 『尊卑分脈』の千葉氏系図では貞胤の父(および先代の千葉介)を宗胤とし*1、「藤井本 千葉系図」には「宗胤 千葉介、始ハ胤宗、贈官也、」とある*2。 他方…

伊東貞祐

伊東 貞祐(いとう さだすけ、1290年頃?~1345年カ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。伊東祐宗の嫡男。子に伊東祐持、伊東祐藤、伊東祐将。官途は安芸守。法名は證観 (しょうかん/新字体:証観)。 【史料A】「南家 伊東氏藤原姓大系…

伊東祐頼

伊東 祐頼(いとう すけより、1237年~1293年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。 伊東祐時の8男。母は三浦義澄の娘*1。通称は与一(または余一)、刑部左衛門尉。日向国諸県郡木脇を領したことから、木脇祐頼(きわき ー)とも呼ばれ、木脇氏の祖となった。…

伊東祐宗

伊東 祐宗(いとう すけむね、1265年~1349年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。伊東祐光の嫡男。子に伊東貞祐、益豪、伊東惟祐、伊東憲祐、伊東祐守、伊東祐範、伊東祐忠。官途は大和守。法名は慈證(じしょう/新字体:慈証)。 北条…

少弐貞経

少弐 貞経(しょうに さだつね、1272年~1336年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。 「貞経」の名乗りに着目すると、経資―盛経と継承されてきた「経」の字に対し、「貞」が烏帽子親からの一字拝領と考えられる。 建武3(1336)年に自害…

少弐経資

少弐 経資(しょうに つねすけ、1229年~1292年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。 「経資」の名乗りに着目すると、少弐氏通字の「資」に対して「経」の字が烏帽子親からの一字拝領と考えられる。 生没年については、『筑後国史』所収「筑紫系図」等に正応…

少弐資時

少弐 資時(しょうに すけとき、1263年~1281年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。少貳資時(旧字表記)、武藤資時(むとう ー)とも。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 少弐経資の3男とされる。文永11(1274)年の蒙古襲来(文永の役)に12歳で出陣。弘安4(…

佐々木泰綱

佐々木 泰綱(ささき やすつな、1213年~1276年)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将、御家人。仮名は三郎。官途および通称は左衛門尉(近江三郎左衛門尉)、近江大夫判官、壱岐守(壱岐前司・壱岐入道)。法名は生西。のちに六角氏となる近江宇多源氏…

北条宗方

北条 宗方(ほうじょう むねかた、1278年~1305年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。北条氏得宗家の一門・北条宗頼の次男。母は大友頼泰の娘。官途は右近将監、左近将監、駿河守。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その16…

後藤基宗

後藤 基宗(ごとう もとむね、1262年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 『尊卑分脈』*1によると、父は後藤基頼、母は宇都宮頼業(横田頼業)の娘で、弟に後藤基胤、子に後藤基雄がいたという。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 父・基頼は暦…

後藤基頼

後藤 基頼(ごとう もとより、1238年~1301年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。 父は後藤基政(もとまさ)、母は葛西清親の娘と伝わる。弟に後藤基広(次郎)、後藤基長(十郎)ら、息子に後藤基宗、後藤基胤がいる。通称および官途は 太郎、左衛門尉(壱岐…

京極高氏

佐々木 高氏(ささき たかうじ、1296年~1373年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将、御家人、守護大名。 京極流佐々木宗氏の子。母は佐々木宗綱の娘(貞宗の姉)。 父・宗氏を介して母方の叔父・貞宗の京極流惣領の座を継ぎ、京極高氏(きょうご…

大仏高直

北条 高直(ほうじょう たかなお、1316年頃?~1334年)は、鎌倉時代末期の武将・御家人。 大仏流北条維貞の子で、大仏 高直(おさらぎ ー)とも呼ばれる。 元弘の変における高直 "陸奥右馬権助"高直 生年と烏帽子親の推定 高直の刑死 参考ページ 脚注 元弘の…

大仏貞直

北条 貞直(ほうじょう さだなお、1290年頃?~1333年)は、鎌倉時代末期の武将・御家人。 大仏流北条宗泰の子で、大仏 貞直(おさらぎ さだなお)とも呼ばれる。 はじめに 大仏宗泰の子 史料紹介①(陸奥守任官以前) 史料紹介②(陸奥守任官後) 参考ページ …

大仏貞宣

北条 貞宣(ほうじょう さだのぶ、1285年頃?~1320年)は、鎌倉時代末期の武将・御家人。 大仏流北条氏の一族で、大仏 貞宣(おさらぎ さだのぶ)とも呼ばれる。官途は兵庫助、丹波守。 はじめに ー 貞宣の経歴 元服時期の推定 三人の兄 宗宣・宗泰・貞房 甥…

河津貞重

河津 貞重(かわづ さだしげ)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。系図によっては河津重貞とも。 父は河津祐重。妻・大野忠貞(紀三郎)の娘との間に嫡男・河津重房がいる。 【史料1】『河津伝記』(『宗像郡誌』下編 所収)*1より ……其(=河津右衛門尉祐重)…

矢野貞倫

矢野 貞倫(やの さだとも、生年不詳(1270年代後半か)~没年不詳(1300年代初頭?))は、鎌倉時代の幕府実務官僚。三善氏の末裔で三善貞倫(みよし ー)とも。 <三善姓矢野氏略系図>*1 康信―行倫―倫重―倫長―倫景(倫経弟)―貞倫(倫綱兄) 鎌倉遺文フル…

大仏宗泰

北条 宗泰(ほうじょう むねやす、生年不詳(1260年代後半か)~1305年?)は、鎌倉時代後期の武将・御家人。通称は六郎。官途は民部少輔、土佐守。 大仏流北条宣時の子、第11代執権・北条宗宣の弟で、大仏宗泰(おさらぎ ー)とも呼ばれる。 はじめに 宗泰の…