Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

北条宗政

北条 宗政(ほうじょう むねまさ、1253年~1281年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。北条氏得宗家の一門。北条時頼の子(準嫡子)、北条時宗の弟。子に10代執権・北条師時(四郎)、北条時信(五郎)*1、政助(頼助弟子)、北条忠時(万寿、十郎)*2などがい…

北条宗頼

北条 宗頼(ほうじょう むねより、1246年頃?~1279年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。北条氏得宗家の一門。北条時頼の庶子(庶長子か?)。母については弘安8(1285)年9月晦日付『豊後国図田帳』*1の中に見える「相模七郎殿母御前辻殿」が該当すると考えら…

矢部禅尼

矢部禅尼(やべぜんに、1187年頃?*1~没年不詳)は、鎌倉時代前期から中期にかけての三浦一族の女性。俗名は不詳。法名は禅阿(ぜんあ)。鎌倉幕府の有力御家人・三浦義村の娘。三浦泰村・三浦光村の姉にあたる。 2回の結婚と息子たち 泰時との離縁の時期につい…

徳川慶喜

徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ / よしひさ、旧字体:德川 慶喜、1837年~1913年)は、江戸時代の武将。江戸幕府第15代将軍。 『一橋徳川家譜』によると、弘化4(1847)年、当時の12代将軍・徳川家慶の意向を受け、9月朔日(ついたち=1日)、嗣子の無かった一橋徳…

小田高知

小田 高知(おだ たかとも、1300年頃?~1352年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。常陸小田氏第7代当主。のち小田治久(はるひさ)と改名。 父は小田貞宗。子に小田孝朝。通称および官途は(常陸)太郎左衛門尉、尾張権守、宮内権少輔。…

小田宗知

小田 宗知(おだ むねとも、1259年~1306年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。常陸小田氏第5代当主。父は小田時知。弟に北条道知、小神野時義。子に小田知貞(手野知貞)、小田貞宗などがいる。通称および官途は太郎左衛門尉、筑後守。法名…

小田泰知

小田 泰知(おだ やすとも、1211年~1245年)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。常陸小田氏第3代当主。八田知家の嫡孫。父は知家の長男・小田知重。妻は三浦泰村の娘と伝わる。子に小田時知、女子(結城広綱室、小萱重広母)。通称・官途は奥太郎左衛門尉。 hi…

小田時知 (嫡流第4代当主)

小田 時知(おだ ときとも、1242年~1293年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。常陸小田氏第4代当主。父は小田泰知。母は三浦泰村の娘と伝わる。子に小田宗知、北条道知、小神野時義*1。通称および官途は左衛門尉(左衛門少尉)、常陸介。幼…

【論稿】鎌倉期常陸小田氏についての一考察

藤原道兼の玄孫(後掲『尊卑分脈』では実は源義朝の子とする)八田知家の子である八田知重(小田知重)を祖とする小田氏(おだし)は、常陸国筑波郡小田邑(現・茨城県つくば市小田)を本拠とした一族である*1。源頼朝に従い、鎌倉時代は御家人として、その…

【コラム】織田信長の偏諱

史料類で確認できるもの その他偏諱授与者とみられる者 脚注 上洛して足利義昭を15代将軍に推戴し、やがて対立した義昭を京から追放して権力者となった、尾張の戦国大名・織田信長。『信長公記』や『蜷川家文書』には「御父織田弾正忠殿」と宛てた義昭の感状…