Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

人物紹介

千竈貞泰

千竈 貞泰(ちかま さだやす、1290年頃?~没年不詳(1334年以後か))は、鎌倉時代後期の武士、御家人、御内人(得宗被官)。千竈時家の嫡男。通称は千竈六郎。 千竈氏は桓武平氏高望流秩父氏の末裔とされ*1、鎌倉時代を通じて、尾張国千竈郷(現・名古屋市…

石川時光

石川 時光(いしかわ ときみつ、1260年頃?~1335年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。大和源氏の流れを汲む陸奥石川氏の第13代当主。 【史料】『源流無尽』所収「石川系図」より*1 時光公 母堂経時朝臣女、称六郎、実山月公之季子、先公養為世子、於鎌倉府…

石川貞光

石川 貞光(いしかわ さだみつ、生年不詳(1280年代?)~1341年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。大和源氏の流れを汲む陸奥石川氏の第14代当主。 【史料】『源流無尽』所収「石川系図」より*1 母堂義生朝臣女、 貞光公 称太郎、実通山公之嫡子、故立為世子…

結城時広

結城 時広(ゆうき ときひろ、旧字表記:結城時廣、1267年(1271年とも)~1290年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。下総結城氏第4代当主。 父は結城広綱。母は二階堂行忠の娘*1。 市村高男氏の見解によれば、結城氏第2代当主・朝広の息子の…

結城貞広

結城 貞広(ゆうき さだひろ、旧字表記:結城貞廣、1289年~1309年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。下総結城氏第5代当主。 父は4代当主・結城時広。母は小山時村の娘*1。 historyofjapan-henki.hateblo.jp ▲【図A】「結城系図」(東京大学史料編纂所架蔵謄…

安達頼景

安達 頼景(あだち よりかげ、1229年~1292年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。安達義景の長男。関戸頼景(せきど ー)とも。 安達泰盛の庶兄 烏帽子親の推定 脚注 安達泰盛の庶兄 頼景の活動経歴については、『吾妻鏡』のほか、主に『関東評定衆伝』弘長3…

赤橋義宗

北条 義宗(ほうじょう よしむね、1253年~1277年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。赤橋流北条氏第2代当主で赤橋義宗(あかはし ー)とも。 第6代執権・北条長時の嫡男(長男)。六波羅探題北方や第2代連署などを歴任した北条重時の嫡孫にあたる。 ▲赤橋流…

六角時信

佐々木 時信(ささき ときのぶ、1306年~1346年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人。のちの六角氏となる家系に生まれ、六角時信(ろっかく ー)とも呼ばれる。父は佐々木頼綱(六角頼綱)。 『尊卑分脈』*1での注記は次の通りである。 …

六角氏頼

六角 氏頼(ろっかく うじより、1326年~1370年)は、南北朝時代の武将・守護大名。父は六角時信(佐々木時信)。佐々木氏頼(ささき ー)とも。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 氏頼の名乗り・元服については次の史料が確認できる。 【史料】『瑞石歴代雑…

安達泰盛

安達 泰盛(あだち やすもり、1231年~1285年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。 泰盛の生年と烏帽子親について 泰盛の一字付与について 玉村泰清 少弐盛氏(=景資?)・少弐盛経 宇都宮盛綱 大江姓上田(殖田)氏 小笠原流伴野氏 武藤景泰 葦名泰親・葦名…

安達時長

安達 時長(あだち ときなが、1261年頃?~1285年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 安達氏の祖・安達盛長の次男にも同名の人物(安達時長/大曾彌時長)がいるが、本項では下記【系図A】に安達時盛の子として掲載の四郎左…

大曾禰盛経

大曾禰 盛経(おおそね もりつね、1212年頃?~没年不詳)は鎌倉時代中期の武将、御家人。 安達盛長の次男で大曾禰氏の始祖である大曾禰時長の次男で、2代当主・大曾禰長泰の弟。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 「盛」が祖父・盛長に由来する字であるから、…

大曾禰時長

大曾禰 時長(おおそね ときなが)は鎌倉時代前期の武将、御家人。 安達時長とも。安達氏より分かれ、出羽国大曾禰荘を領したことから大曾禰氏の祖となる。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 「藤九郎次郎」と呼ばれる通り、安達盛長(安達藤九郎盛長)の次…

大曾禰宗長

大曾禰 宗長(おおそね むねなが、1252年頃?~1285年)は鎌倉時代中期~後期の武将、御家人。安達盛長の次男・時長を始祖とする大曾禰氏の第4代当主。 historyofjapan-henki.hateblo.jp historyofjapan-henki.hateblo.jp 『尊卑分脈』には「弘安八自害」とあ…

大曾禰長経

大曾禰 長経(おおそね ながつね、1232年~1278年)は鎌倉時代前期の武将、御家人。安達盛長の次男・時長を始祖とする大曾禰氏の第3代当主。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 『尊卑分脈』によれば、弘安元(1278)年6月22日、47才での死去とされ、逆算すると…

大曾禰長泰

大曾禰 長泰(おおそね ながやす、1211年~1262年)は鎌倉時代前期の武将、御家人。安達盛長の次男・時長を始祖とする大曾禰氏の第2代当主。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 『尊卑分脈』によれば、弘長2(1262)年8月12日、52才(数え年、以下同じ)での死…

大曾禰氏

大曾禰氏(おおそね し)は日本の氏族、鎌倉時代の武士団。大曾祢、大曾根とも書く。 源頼朝の側近、安達盛長の次男・時長を始祖とする。苗字の地である出羽国大曾禰荘は、元々藤原頼長所有の下、奥州藤原基衡が管理を任されていた地であったが、保元の乱で…

畠山高国

畠山 高国(はたけやま たかくに、1305年~1351年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、御家人、守護大名。 『尊卑分脈』での注記には「観応二二十二於奥刕(=奥州)為貞家被討四十七才」(=観応2(1351)年2月12日、奥州にて吉良貞家に討たれ、…

名越宗基

北条 宗基(ほうじょう むねもと)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。名越流北条時基の嫡男で名越宗基(なごえ ー)とも呼ばれる。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 各々注記の内容に若干の相違はあるものの、こちら▲の記事で紹介した『入来…

安達貞泰

安達 貞泰(あだち さだやす、1280年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代後期の武将・御家人。 『尊卑分脈』によれば、父は安達宗景、母は紙屋河顕氏の娘。通称は陸奥太郎。 ▲【系図】安達氏略系図*1 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちら▲の記事で紹介した通り…

安達時盛

安達 時盛(あだち ときもり、1241年~1285年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。 ▲【系図A】安達氏略系図*1 『関東評定衆伝』建治2(1275)年条にある「城左衛門尉藤原時盛法師(秋田城介義景男)」のプロフィール*2によると、弘安8(1285)年6月10日、高野山に…

安達時景

安達 時景(あだち ときかげ、1253年?~1285年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。 生年の推定 北条時宗の烏帽子子 脚注 生年の推定 ▲【系図A】安達氏略系図*1 historyofjapan-henki.hateblo.jp 系図類によれば、時景は安達義景の末子であり、義景が亡くなる…

安達宗長

安達 宗長(あだち むねなが、1270年頃?~1285年?)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。通称は九郎。 本項では、下図『尊卑分脈』に掲載の、安達泰盛の弟・安達長景の子について述べる。 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちら▲の記事で父・長景の生年を1250…

安達盛宗 (右衛門尉)

安達 盛宗(あだち もりむね、1273年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。 本項では、下図『尊卑分脈』に掲載の、安達泰盛の末弟・安達時景の子について述べる。泰盛の子については 安達盛宗 (越前守) - Henkipedia を参照のこと。 historyofjap…

安達盛宗 (越前守)

安達 盛宗(あだち もりむね、1255年頃?~1285年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。安達泰盛の庶長子。 史料における安達盛宗 越前守任官と生年について 脚注 史料における安達盛宗 ▲【図A】『蒙古襲来絵詞』より 弘安4(1281)年6月の「弘安の役」で、蒙古兵…

安達宗景

安達 宗景(あだち むねかげ、1259年~1285年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。安達泰盛の嫡男。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 『関東評定衆伝』弘安4(1281)年条には、引付衆の一人に「城九郎藤原宗景」の記載があり、その注記を見ると、この時23歳だ…

平頼綱

平 頼綱(たいら の よりつな、1230年代後半?~1293年)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家の御内人。鎌倉幕府第8代執権北条時宗・9代執権北条貞時の執事で、貞時の乳母父。 頼綱については多くの先行研究が発表されており、改めて本項で述べる必要もない…

平宗綱

平 宗綱(たいら の むねつな、1260年頃?~没年不詳(1310年頃?))は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家の御内人、執事(内管領)。父は平頼綱。 『とはずがたり』において、作者・後深草院二条が「平左衛門入道と申す者が嫡子、平二郎左衛門が、将軍の侍…

飯沼資宗

飯沼 資宗(いいぬま すけむね、1267年~1293年)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家の御内人。内管領(得宗家執事)であった平頼綱の次男。 飯沼資宗 - Wikipedia にて言及されている通り、弘安2(1279)年のいわゆる「熱原法難」の様子を伝える、日興(日…

千葉胤貞

千葉 胤貞(ちば たねさだ、1288年~1336年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 はじめに 生誕と元服 参考ページ 脚注 はじめに historyofjapan-henki.hateblo.jp 千葉宗胤の嫡男。『尊卑分脈』では宗胤の子は「貞胤」となっており、「貞胤」と「胤貞」はと…