Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

北条氏

佐介宗直

北条 宗直(ほうじょう むねなお、生年不詳(1260年代前半?)~1333年)は、鎌倉時代後期から末期の武将、御家人、北条氏一門。父は北条頼直。子に北条(佐介)直時。官途は左近大夫、近江守。佐介宗直(さすけ ー)とも呼ばれる。 まず、次の史料を見ておきた…

北条頼直

北条 頼直(ほうじょう よりなお / よりただ?、1241年頃?~没年不詳(1263年以後))は、鎌倉時代中期の武将、御家人。北条氏一門。武蔵守・北条(大仏)朝直の8男。通称は八郎(武蔵八郎)。子に北条(佐介)宗直。 まず、『吾妻鏡』での登場箇所は次の通りであ…

江間頼時

江間 頼時(えま よりとき、1183年〜1242年)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。江間小四郎義時(北条義時)の長男。母は阿波局*1。幼名は金剛(こんごう)。通称(仮名)は太郎。表記は「江馬」とも。北条頼時(ほうじょう -)とも呼ばれる。 のちに北条泰時(…

北条時連

北条 時連(ほうじょう ときつら、1175年〜1240年)は、鎌倉時代前期の武将。北条時政の3男で、北条政子・北条(江間)義時の異母弟。北条(大仏)朝直らの父。鎌倉幕府初代連署。仮名は五郎。 本項では、後に北条時房(- ときふさ)と改名するまでを扱う。 次の…

北条義時

北条 義時(ほうじょう よしとき、1163年~1224年)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士。鎌倉幕府第2代執権。 北条時政の次男。母は伊東入道(=祐親か)の娘と伝わる(『前田本平氏系図』)*1。通称および官途は 江間小四郎、相模守、右京権大…

北条貞村

北条 貞村(ほうじょう さだむら、1270年代?~1305年)は、鎌倉時代後期の武将、北条氏一門。政村流北条氏・北条時村の子。 細川重男氏の研究*1によれば、嘉元3(1305)年4月23日子の刻に、得宗・北条貞時(副将軍*2・前執権、法名:崇演)の「仰」と号する(『保…

北条時益

北条 時益(ほうじょう ときます、1301年カ?~1333年)は、鎌倉時代末期の武将、北条氏一門。鎌倉幕府最後の六波羅探題南方。北条氏政村流・北条時敦の嫡男。兄弟に親雅(しんが)*1がいる。主な通称および官途は、左近将監、越後(左近)大夫将監。 生年の推定 …

北条宗房

北条 宗房(ほうじょう むねふさ、生年不詳(1250年代後半か?)~没年不詳(1295年以前?))は、鎌倉時代中期の武将、御家人。時房流北条時隆(ときたか)の子。官途は右馬助、左馬助、土佐守。法名は道妙(どうみょう)。 系譜について 生年と烏帽子親の推定 脚…

金沢時直

北条 時直(ほうじょう ときなお、1276年頃?~1333年)は、鎌倉時代後期から末期の武将、大隅・長門・周防守護。金沢流北条実村の子で、金沢時直(かねさわ ー)とも呼ばれる。官途は上野介。 系譜について 大隅・防長守護として 『長門守護代記』の記載の再…

北条泰家

北条 泰家(ほうじょう やすいえ、1307年?~1335年?)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将、北条氏得宗家の一門。父は鎌倉幕府第9代執権・北条貞時。母は安達(大室)泰宗の娘・覚海円成で、第14代執権・北条高時の同母弟にあたる。妻は大仏維貞の娘か*…

北条宗政

北条 宗政(ほうじょう むねまさ、1253年~1281年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。北条氏得宗家の一門。北条時頼の子(準嫡子)、北条時宗の弟。子に10代執権・北条師時(四郎)、北条時信(五郎)*1、政助(頼助弟子)、北条忠時(万寿、十郎)*2などがい…

北条宗頼

北条 宗頼(ほうじょう むねより、1246年頃?~1279年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。北条氏得宗家の一門。北条時頼の庶子(庶長子か?)。母については弘安8(1285)年9月晦日付『豊後国図田帳』*1の中に見える「相模七郎殿母御前辻殿」が該当すると考えら…

【論稿】代数論:世代推定の試み① ー桓武平氏嫡流から北条・長崎氏までー

はじめに 高望とその息子たち 貞盛から忠盛に至るまで 貞盛から北条高時に至るまで 貞盛から長崎円喜に至るまで 脚注 はじめに 元弘3(1333)年5月、鎌倉幕府滅亡直前のこと。「始武蔵野の合戦より、今日に至るまで、夜昼八十余箇度の戦」(『太平記』巻10「長…

大仏高政

北条 高政(ほうじょう たかまさ、1310年頃?~1333年?)は、鎌倉時代末期の武将、御家人。北条氏一門・大仏貞直の嫡男で、大仏高政(おさらぎ ー)とも。通称は五郎。 本項で扱うのは、次の史料に現れる人物である。 【史料A】(嘉暦4年?)「崇顕(金沢貞顕)…

規矩高政

北条 高政(ほうじょう たかまさ*1、1307年頃?~1334年カ)は、鎌倉時代末期の北条氏一門。肥後国守護。豊前国規矩郡(のちの企救郡、現・福岡県北九州市)を領したので、規矩高政(きく ー)とも呼ばれる。通称は上総掃部助、規矩掃部助。 関連史料の紹介 …

金沢貞顕

北条 貞顕(ほうじょう さだあき、1278年~1333年)は、鎌倉時代後期~末期の武将、御家人、北条氏一門。金沢顕時の嫡男。母は遠藤為俊の娘・入殿。金沢流北条氏の第4代当主で、金沢貞顕(かねさわ ー)とも呼ばれる。鎌倉幕府においては第12代連署、第15代…

普音寺高基

北条 高基(ほうじょう たかもと、1316年頃?~1333年)は鎌倉時代末期の武将。普音寺流北条氏の一門。第13代執権・北条基時(普音寺基時)の子で、普音寺高基/普恩寺高基(ふおんじ ー)とも呼ばれる。 まずは次の史料をご覧いただきたい。 【史料1】 (年…

赤橋義宗

北条 義宗(ほうじょう よしむね、1253年~1277年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。赤橋流北条氏第2代当主で赤橋義宗(あかはし ー)とも。 第6代執権・北条長時の嫡男(長男)。六波羅探題北方や第2代連署などを歴任した北条重時の嫡孫にあたる。 ▲赤橋流…

名越宗基

北条 宗基(ほうじょう むねもと)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。名越流北条時基の嫡男で名越宗基(なごえ ー)とも呼ばれる。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 各々注記の内容に若干の相違はあるものの、こちら▲の記事で紹介した『入来…

北条宗方

北条 宗方(ほうじょう むねかた、1278年~1305年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。北条氏得宗家の一門・北条宗頼の次男。母は大友頼泰の娘。官途は右近将監、左近将監、駿河守。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その16…

大仏高直

北条 高直(ほうじょう たかなお、1316年頃?~1334年)は、鎌倉時代末期の武将・御家人。 大仏流北条維貞の子で、大仏 高直(おさらぎ ー)とも呼ばれる。 元弘の変における高直 "陸奥右馬権助"高直 生年と烏帽子親の推定 高直の刑死 参考ページ 脚注 元弘の…

大仏貞直

北条 貞直(ほうじょう さだなお、1290年頃?~1333年)は、鎌倉時代末期の武将・御家人。 大仏流北条宗泰の子で、大仏 貞直(おさらぎ さだなお)とも呼ばれる。 はじめに 大仏宗泰の子 史料紹介①(陸奥守任官以前) 史料紹介②(陸奥守任官後) 参考ページ …

大仏貞宣

北条 貞宣(ほうじょう さだのぶ、1285年頃?~1320年)は、鎌倉時代末期の武将・御家人。 大仏流北条氏の一族で、大仏 貞宣(おさらぎ さだのぶ)とも呼ばれる。官途は兵庫助、丹波守。 はじめに ー 貞宣の経歴 元服時期の推定 三人の兄 宗宣・宗泰・貞房 甥…

大仏宗泰

北条 宗泰(ほうじょう むねやす、生年不詳(1260年代後半か)~1305年?)は、鎌倉時代後期の武将・御家人。通称は六郎。官途は民部少輔、土佐守。 大仏流北条宣時の子、第11代執権・北条宗宣の弟で、大仏宗泰(おさらぎ ー)とも呼ばれる。 はじめに 宗泰の…

名越貞宗

北条 貞宗(ほうじょう さだむね、生年不詳(1280年代後半?)~1305年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 本項では名越流北条宗長の息子(通称:備前四郎、備前掃部助)について扱う。 北条氏一門では他に大仏流北条維貞(の初名)およびその息子が「貞宗」…

大仏貞房

北条 貞房(ほうじょう さだふさ、1272年~1309年)は、鎌倉時代末期の武将・御家人。大仏流北条氏の一族で、昨今の研究上では大仏 貞房(おさらぎ ー)、坂上 貞房(さかのうえ? / さかうえ? さだふさ)*1とも呼ばれるが、実際は佐介 貞房(さすけ ー)と呼…

常葉重高

北条 重高(ほうじょう しげたか、1312年頃?~1333年5月22日?)は、鎌倉時代後期~末期の武将、御家人。北条氏一門、常葉流北条範貞の子で、常葉重高とも。通称(輩行名)は三郎(越後三郎 → 駿河三郎?)。 「正宗寺本 北条系図」での記載について 重高の年…

常葉範貞

北条 範貞(ほうじょう のりさだ、1280年頃?~1333年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。北条氏一門・常葉流北条時範の子で、常葉範貞(ときわ ー)とも呼称される。 詳しい活動内容・経歴については ● 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その34-常葉範貞 | …

塩田重貞

北条 重貞(ほうじょう しげさだ、1282年頃?~1333年5月22日?)は、鎌倉時代後期~末期の武将、御家人。北条重時の子・義政を祖とする塩田流北条時治(時春とも、義政の子)の子で、塩田重貞とも。『尊卑分脈』の北条氏系図上では「式部大夫」と注記される。…

佐介貞俊

北条 貞俊(ほうじょう さだとし)は、鎌倉時代後期の武将、御家人、歌人。 『尊卑分脈』等の系図類によると、佐介流北条時俊の子であり、佐介貞俊(さすけ ー)とも呼ばれる(『太平記』、後述参照)。 北条貞時の烏帽子子 『太平記』に描かれる貞俊の最期 …