2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧
毛利 経光(もうり つねみつ、1230年頃?~1270年頃?)は、鎌倉時代中期の武将、御家人、安芸毛利氏の当主。父は毛利氏の始祖である大江広元の4男・毛利季光。 生年の推定 烏帽子親の推定 毛利師雄について 脚注 生年の推定 historyofjapan-henki.hateblo.jp …
毛利 泰光(もうり やすみつ、1227年頃?~1247年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。父は毛利氏の始祖である大江広元の4男・毛利季光。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 父・季光については、宝治合戦(1247年)で三浦泰村方について自害した時46歳(数え年)…
尾藤 頼景(びとう よりかげ、1230年代後半?~没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将、御内人(得宗被官)。尾藤景氏の嫡男。尾藤時綱(演心)の父。 頼景については、生没年も含め不明な点が多い。まずは世代の推定にあたって、『尊卑分脈』に基づき作成した次の…
大掾 高幹(だいじょう たかもと、1310年頃?~1380年頃?)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。桓武平氏より分かれた大掾氏の嫡流にあたる多気氏の当主で、多気高幹(たけ ー)とも呼ばれる。通称は十郎。 世代と烏帽子親の推定 史料における高幹…
三浦 高継(みうら たかつぐ、1305年頃?~1339年カ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。三浦氏の庶流・佐原氏の一族から盛時が再興した "三浦介" 家(=相模三浦氏)の当主であり、歴史研究では佐原高継(さはら/さわら ー)とも呼ばれることも…
相馬 高胤(そうま たかたね、1315年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将、下総相馬氏当主。通称は小次郎。 相馬氏の系図上では確認できない人物だが、次の史料により実在が確かめられる。 【史料A】元弘4(1334=建武元)年正月付「…
足利 高義(あしかが たかよし、1297年~1317年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。足利貞氏の長男で最初の嫡子。母は北条(金沢)顕時の娘・釈迦堂殿とされる。足利尊氏・足利直義の異母兄にあたり、子に足利安芸守、田摩御坊源淋、女子(上杉朝定室)、女子…
足利 貞氏(あしかが さだうじ、1273年~1331年)は、鎌倉時代後期~末期の武将、鎌倉幕府御家人。足利家時の嫡男で、足利宗家第7代当主 。足利高義・足利尊氏・足利直義の父。通称および官途は 三郎、讃岐守、讃岐入道。法名は義観(ぎかん)。 足利貞氏像(…
足利 泰氏(あしかが やすうじ、1216年~1270年)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府御家人。足利義氏の嫡男で足利宗家第4代当主。 『尊卑分脈』*1などによると、文永7(1270)年5月10日に55歳(数え年、以下同様)で亡くなったといい、『吾妻鏡』建長3(1251)年12月2…
足利 頼氏(あしかが よりうじ、1240年~1262年)は、鎌倉時代中期の武将、鎌倉幕府御家人。足利宗家第5代当主。父は足利泰氏、母は北条時氏の娘(北条時頼の妹)。初名は足利利氏(ー としうじ)。 『吾妻鏡』における初見は建長4(1252)年11月11日条の「足…