Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱(へんき)"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

北条氏(名越流)

名越宗基

北条 宗基(ほうじょう むねもと)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。名越流北条時基の嫡男で名越宗基(なごえ ー)とも呼ばれる。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 各々注記の内容に若干の相違はあるものの、こちら▲の記事で紹介した『入来…

名越貞宗

北条 貞宗(ほうじょう さだむね、生年不詳(1280年代後半?)~1305年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 本項では名越流北条宗長の息子(通称:備前四郎、備前掃部助)について扱う。 北条氏一門では他に大仏流北条維貞(の初名)およびその息子が「貞宗」…

名越朝時

北条 朝時(ほうじょう ともとき、1194年~1245年)は、鎌倉時代前期の武将、御家人。鎌倉幕府第2代執権・北条義時の次男。名越流北条氏の祖で名越朝時(なごえ ー)とも呼ばれる。 朝時については『吾妻鏡』に元服の記事がある。 【史料】『吾妻鏡』建永元(…

名越朝貞

北条 朝貞(ほうじょう ともさだ、1287年頃?~1333年)は、 鎌倉時代後期から末期にかけての武将、御家人、歌人。名越流北条時基の子で名越朝貞(なごえ ー)、小町朝貞(こまち ー)とも呼ばれる。通称は七郎、中務権大輔(または中務大輔)。 生年と烏帽子…

名越宗長

北条 宗長(ほうじょう むねなが、1252年頃?~1309年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人、北条氏の一門。名越流北条長頼の嫡男で、名越宗長(なごえ ー)とも。主な通称および官途は、備前二郎、備前左近大夫、備前守。 『吾妻鏡』での宗長 宗長の烏帽子親の…

名越長頼

北条 長頼(ほうじょう ながより、1235年頃?~12??年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人、北条氏一門。名越流北条時長の子で、名越長頼(なごえ ー)とも。 母は三浦義村の娘。金沢流北条実時の娘を妻に迎えた。(いずれも後述参照。) 長頼の父母について 『…

名越宗教

北条 宗教(ほうじょう むねのり、1255年頃?~ 1333年?)は、鎌倉時代の武将。 北条泰時の弟・名越朝時を祖とする名越流の一門であり、名越宗教とも呼ばれる。父は名越教時(北条教時:朝時の六男)。 [目次] 北条時宗の烏帽子子 二月騒動 ~教時流の粛清…

名越貞持

北条 貞持(ほうじょう さだもち) は、鎌倉時代末期の武将。 北条氏名越流の一族で、史料では名越貞持、名越兵庫助と呼称される。 『太平記』によれば名越時有の甥である。 名越貞持の活動について 世代の推定 『太平記』に見えるもう一人の "名越兵庫助" …

名越公貞

北条 公貞(ほうじょう きみさだ、1278年頃?~1309年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 名越流の一族で、名越公貞とも呼ばれる。父は名越公時で、名越時家(北条時家)の弟にあたる。 史料における公貞 世代と元服時期の推定 脚注 史料における公貞 公貞は…

名越高家

北条 高家(ほうじょう たかいえ)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。 北条朝時を祖とする名越流北条氏、同時代に2名実在が確認され、ともに名越高家(なごえ ー)とも呼ばれる。 名越時家の子。鎌倉時代末期に名越流嫡流の当主を務めた。本項で中心的に扱う…

名越頼章

北条 頼章(ほうじょう よりあきら / よりあき、1245年~1256年)は、鎌倉時代中期の武将。 名越嫡流を継いだ名越時章の次男で、名越頼章(なごえ ー)とも呼ばれる。 頼章の生涯 備考:頼章―貞持父子説の誤り 脚注 頼章の生涯 ●1245年、生誕か。 『福富…