Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

北条時頼の偏諱

安達時盛

安達 時盛(あだち ときもり、1241年~1285年)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。 ▲【系図A】安達氏略系図*1 『関東評定衆伝』建治2(1275)年条にある「城左衛門尉藤原時盛法師(秋田城介義景男)」のプロフィール*2によると、弘安8(1285)年6月10日、高野山に…

平頼綱

平 頼綱(たいら の よりつな、1230年代後半?~1293年)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家の御内人。鎌倉幕府第8代執権北条時宗・9代執権北条貞時の執事で、貞時の乳母父。 頼綱については多くの先行研究が発表されており、改めて本項で述べる必要もない…

伊東祐頼

伊東 祐頼(いとう すけより、1237年~1293年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。 伊東祐時の8男。母は三浦義澄の娘*1。通称は与一(または余一)、刑部左衛門尉。日向国諸県郡木脇を領したことから、木脇祐頼(きわき ー)とも呼ばれ、木脇氏の祖となった。…

後藤基頼

後藤 基頼(ごとう もとより、1238年~1301年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。 父は後藤基政(もとまさ)、母は葛西清親の娘と伝わる。子に後藤基宗(もとむね)がいる。 はじめに:基頼の経歴について 基頼・基宗父子の烏帽子親 『吾妻鏡』における基頼前半…

二階堂頼綱

二階堂 頼綱(にかいどう よりつな、1239年~1283年)は、鎌倉時代中期の御家人。鎌倉幕府政所執事。 『尊卑分脈』によれば、父は二階堂行綱。その次男・頼綱の項に「弘安六十廿四卒四十五」(弘安6(1283)年10月24日、数え45歳で死去)とあり*1、逆算すると…

長井頼重

長井 頼重(ながい よりしげ、1243年頃?~没年不詳(1295年頃?)) は、鎌倉時代中・後期の人物、御家人。長井氏庶流、六波羅評定衆家(泰重流)の第2代当主。 historyofjapan-henki.hateblo.jp こちら▲の記事で、父・泰重の生年が1220年頃であることを紹介…

長井時秀

長井 時秀(ながい ときひで、1242年頃?~没年不詳)は、鎌倉時代中期の御家人、幕府官僚。大江時秀(おおえ ー)とも呼ばれる。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 生没年未詳だが、父・泰秀が1212年生まれ、嫡男・宗秀が1265年生まれであるから、おおよそ1232…

六角頼綱

佐々木 頼綱(ささき よりつな、1242年~1311年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。 のちに六角氏となる近江宇多源氏佐々木氏嫡流の当主で、父・泰綱が京都六角堂に邸宅を構えたことにちなんで*1六角頼綱(ろっかく ー)とも呼ばれる*2。 his…

塩冶頼泰

佐々木 頼泰(ささき よりやす、1243年頃?~没年不詳(1303年以前))は、鎌倉時代中期から後期にかけての武士、御家人。塩冶頼泰(えんや ー、旧字体:鹽冶賴泰)とも。 『吾妻鏡』正元2(1260=文応元)年正月1日条には「信濃次郎左衛門尉」(=佐々木時清)…

佐々木時清

佐々木 時清(ささき とききよ、1242年~1305年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武士。隠岐時清(おき ー)とも。 新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その102-隠岐時清 | 日本中世史を楽しむ♪(細川重男氏のブログ記事)による経歴は次の通りである。 >…

千葉頼胤

千葉 頼胤(ちば よりたね、1239年~1275年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。千葉氏第8代当主。 人物の詳細については本文末の 外部リンク を参照のこと。 以下、本項では名乗りに関する記述に留める。 『千葉大系図』*1による基本情報は次の通りである。 …

武田時綱

武田 時綱(たけだ ときつな、1245年~1307年)は、鎌倉時代中~後期の武将。甲斐武田氏第8代当主。通称は六郎。 【史料】「甲斐信濃源氏綱要」*1 時綱の注記より一部抜粋 ……後深草院建長五年正月十五首服、(年九)加冠平時頼、因例號名時綱…… ● 建長5(1253…

平賀惟時

平賀 惟時(ひらが これとき、生年不詳(1230年代後半?)~1304年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人。 『平賀家文書』所収「平賀氏系譜」 *1によると、父は松葉資宗(助宗)、母は天野政景の娘*2。兄に松葉実宗(朝宗)、平賀惟泰(異母兄)、弟に平賀泰実(のち…

頼助

頼助(らいじょ、寛元2(1244)年~永仁4(1296)年2月28日)は、鎌倉時代の僧。 historyofjapan-henki.hateblo.jp 鎌倉幕府4代執権・北条経時の次男。経時の菩提所である鎌倉佐々目の遺身院を拠点としたので、佐々目頼助とも呼ばれる。 生まれて間もなく父・経時…

名越長頼

北条 長頼(ほうじょう ながより、1235年頃?~12??年)は、鎌倉時代中期の武将、御家人、北条氏一門。名越流北条時長の子で、名越長頼(なごえ ー)とも。 母は三浦義村の娘。金沢流北条実時の娘を妻に迎えた。(いずれも後述参照。) 長頼の父母について 『…

三浦頼盛

三浦 頼盛(みうら よりもり、1240年頃?~1290年代?)は、鎌倉時代の武将、鎌倉幕府の御家人。法名は道法。頼盛の「頼」は執権・北条時頼の偏諱だろう。 『吾妻鏡』における頼盛の活動 烏帽子親について 北条時輔次男の謀反計画 頼盛死没時期の推定 脚注 『…

名越頼章

北条 頼章(ほうじょう よりあきら / よりあき、1245年~1256年)は、鎌倉時代中期の武将。 名越嫡流を継いだ名越時章の次男で、名越頼章(なごえ ー)とも呼ばれる。 頼章の生涯 備考:頼章―貞持父子説の誤り 脚注 頼章の生涯 ●1245年、生誕か。 『福富…

【論稿】北条得宗家と足利氏の烏帽子親子関係成立について

[目次] 北条・足利両家の一字共有 得宗からの一字拝領の慣例化 泰氏の一字拝領 と 北条・足利両家の関係性 泰氏の子の命名 と 頼氏の改名の意味 時宗による家時への一字付与 "得宗専制"下での烏帽子親子関係 家時と宗家 貞時による貞氏への「足利氏嫡流」「…

小山時長

小山 時長(おやま ときなが、1246年?~1276年5月)は、鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府の御家人。 通称は左衛門五郎。下野大掾。父は小山長村、母は刑部少甫忠成(=大江広元の子・海東忠成)の娘。(以上『尊卑分脈』より) 『鎌倉大日記』建治二年の項に「…

京極頼氏

佐々木 頼氏(ささき よりうじ、1242年~1297年2月1日)。鎌倉時代の武将、鎌倉幕府の御家人。通称は対馬太郎、佐々木対馬太郎左衛門尉。左衛門尉。豊後守。 のちの京極氏となる家系に生まれ、京極頼氏とも呼ばれる。 佐々木氏信の長男。弟に範綱・満信・宗…