Henkipedia

アンサイクロペディア、エンサイクロペディア等に並ぶことを目指す、Wikipediaの歴史系パロディサイト。扱うのは主に鎌倉時代、たまに室町~江戸時代も。主に"偏諱"に着目して、鎌倉幕府御家人の世代や烏帽子親(名前の1字を与えた人物)の推定を行い論ずる。あくまで素人の意見であるから、参考程度に見ていただければと思う。

小山氏/結城氏

結城時広

結城 時広(ゆうき ときひろ、旧字表記:結城時廣、1267年(1271年とも)~1290年)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将、御家人。下総結城氏第4代当主。 父は結城広綱。母は二階堂行忠の娘*1。 市村高男氏の見解によれば、結城氏第2代当主・朝広の息子の…

結城貞広

結城 貞広(ゆうき さだひろ、旧字表記:結城貞廣、1289年~1309年)は、鎌倉時代後期の武将、御家人。下総結城氏第5代当主。 父は4代当主・結城時広。母は小山時村の娘*1。 historyofjapan-henki.hateblo.jp ▲【図A】「結城系図」(東京大学史料編纂所架蔵謄…

【論稿】結城氏の系図について

下野の豪族・結城(ゆうき)氏は、三上山の百足退治の伝説や平将門の乱で有名な "俵藤太" こと藤原秀郷を祖とし、末裔である小山政光の3男・朝光のときに烏帽子親の源頼朝から下総国結城(現・茨城県結城市)を与えられて本領とし、これを姓としたことに始ま…

小山宗長

小山 宗長(おやま むねなが、1264年頃~1307年?)は、鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府の御家人。 通称は五郎。左衛門尉。父は小山時長、母は宇都宮泰綱の娘。(以上『尊卑分脈』より) 残念ながら、宗長については史料があまり残されておらず、その活動内容は…

小山貞朝

小山 貞朝(おやま さだとも、1282年~1330年)は、鎌倉時代後期の武将。鎌倉幕府の御家人。 生没年について 系図での注記について 脚注 生没年について 貞朝の死去については次の二つが伝わる。 ① 徳治二(1307)― 関東下向之時頓死(『尊卑分脈』小山貞朝項…

小山秀朝

小山 秀朝(おやま ひでとも、1306年頃?~1335年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初頭にかけての武将。 初めは得宗・北条高時の偏諱を受けて小山高朝(- たかとも)と名乗っていた。 小山秀朝の最期 小山秀朝の系図上での位置 小山秀朝の活動 ―鎌倉幕府滅亡…

小山時長

小山 時長(おやま ときなが、1246年?~1276年5月)は、鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府の御家人。 通称は左衛門五郎。下野大掾。父は小山長村、母は刑部少甫忠成(=大江広元の子・海東忠成)の娘。(以上『尊卑分脈』より) 『鎌倉大日記』建治二年の項に「…